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車いすママの日常31 「車の運転は…できないですよね?」

警察の事情聴取がありました。
年末の会社帰りに左折車に巻き込まれて車いすごと転倒し、唯一動く指だった右手人差し指を骨折してしまった旦那の、被害者側の事情聴取。家に警官が来ましたよ。何も悪いことしていないのに威圧感にドキドキしてしまうのはなぜだろう。

その中で車が左折する時にどう動くかという話になったとき「◯◯さんは…車を運転したことは…ないですもんね」と言われていました。私は黙って聞いていたんですけどね、ここだけは「いや、免許持ってますから、車いすでも運転できるんですよ、車」と口を挟んでしまいました。

車いす=こういう感じ、という図式が多くの人の頭の中に出来上がっていて、それは例えば私が外国人の人を見たら「あっ、日本語わからないかもな」と思ってしまうのと同じで、偏見という言葉が立ち上がってくる前に自然に感じてしまうものなのだろうと思う。もちろん、外国人の人を見て、日本語わからないかもな、と思うのはよくないし、自分の中のルールに人を当てはめて見るようなことはやめよう、と思っているけれど、ふっと出てきてしまうことってあると思う、人間だから。

だから私たちを見た警察の人が、車いすだもんな、車の運転はできないんだろうな、と思ってしまうのもわかるといえばわかるよ。わかる。

でもあまりにもこういう場面が多すぎて、悲しくなるのも事実なのです。

イトーヨーカドーのエレベーターで駐車場の階のボタンを押したら「そこは駐車場しかないのよ?わかる?駐車場は車で来てる人たちのところなのよ?」と親切に教えてくれたおばさまがいたり。「実は私は車で来ているんです」と言ったらびっくりしていました😅

ネギが飛び出ている袋をよいしょと膝に抱えてスーパーから帰ろうとしたら「あらえらいわね、お手伝いしているの?すごいわね〜」と笑顔で褒めてくれるおばさまがいたり。←20代の時、会社帰り。

息子を膝に抱っこして予防接種に連れて行ったら「このお子さんのお母さん、どちらですかー!」と周囲に向かって大声で叫ばれたり。いえ、この子を産んだのは私ですw

最近は息子と出かけると息子は私の息子ではなく付き添いだと思われることが多く、「えらいわね、この人の面倒見てるのね」と言われたりも結構する。だから息子はわざと大きな声で私に「ママさぁ!」と話しかけるんだそうです。自分が息子だと周囲に知ってもらうために。なるほど、、息子も考えているんだなとこの前知った。

人は自分の頭の中に描いているイメージにその人を当てはめてしまうところがあるようで、もちろん私もそうで、だからまず私を見たら、車の運転はできないんだろうなとか、子どもなんかいるわけないとか、思うんだろうな。でもほら、実際に喋ったり、仲を深めていくとそんなのは全然誤解で、なんかごめんねー最初は全然違うふうに思ってたよー!っていう友だちもいるし、みんな、知らないだけなんだよね。悪気なんかない。決めつけて来られるとやっぱり悲しいしショックを受けるけど、これをうまくかわしていく術をそろそろ身につけねばならぬなぁ、私もシジュウも半ばに差し掛かるしなぁ、と思った1日でした。まなび、まなび。

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