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車いすママの日常 12(一周まわって幸せならよし)

日々色々あるけれど、結局うまくいってるな、と思えれば万々歳だなと思っています、木綿子です。こんにちは。

息子は小学校では、介助員さんをお願いしていました。骨の病気があり、例えば重い荷物を持てないためそれを代わりに持ってもらったり、階段の昇降が苦手で人とぶつかったりしたら一大事なのでそこを見守ってもらったり、骨の痛みがひどい時は車いすで登校するのでそれを押してもらったり、という内容で介助員さんをお願いしていました。

しかし年齢とともにかなり体もしっかりしてきて、登下校時に荷物の持ち運びや時には車いす介助などのためにお願いしていたヘルパーさんも、5年生の時に完全にやめることができました。その代わり痛みで動けなくなった時にすぐ連絡が取れるようにと、キッズケータイを持たせることを校長先生から許可いただき、少しずつ、少しずつ、1人でできることを増やしてきました。6年生に上がる頃には学校内で介助員さんにお願いすることもほぼ無くなり、ただの見守りとなっていました。

しかし昨年中学に上がるときには、慣れない環境であることからやはり介助員さんをお願いした方が良いだろうという話になり、介助員さんを探すことに。介助員は役所でどうこうしてくれるわけではなく、学校と親が協力して探します。そしてお願いできる人が見つかったら、その人と役所が契約をするのです。しかしこれがとにかく大変で。入学ギリギリまで見つからない状況だったのです。

重いものが持てないため教科書は全て2冊ずつ用意して学校、家、それぞれに置きっぱなしにすること、教室移動がある場合は階段の昇降時にぶつからないように少し時間をずらして移動することなどはあらかじめ学校に了解を得ていました。しかし中学生ともなると体も大きく、思わぬところでぶつかったりすることもあるという心配から、中学校生活に慣れるまでの危険回避の意味と、この子は病気があるよ、というのを周りに知ってもらうために介助員をお願いすることになりました。

我が家は病気があることを一切隠さない、と決めているため、小学校でもクラス替えがあるたびに息子自身の口からクラスのみんなに病気の説明をしてきました。小学一年生の時は校長先生が付き添ってくれて、たどたどしいながらも自分で説明をさせました。これが酷だと言われることもあるけれど、一生付き合う病気だからこそ自分自身が目を逸らしちゃならないと思っているため、我が家はしっかりと自分の口から自分の言葉で説明をさせてきました。

余談ですが、新しいクラスになりいつも通り病気の説明をしたあと、隣の席の女子が

「◯◯くん、病気かわいそうだね、早く治るといいね」

と声をかけてくれたことがあったそうです。これに対して息子はさらっと

「うん、病気かわいそうじゃないよ。あと、これは一生だから治らない。でもかわいそうじゃないよ」

と応えたら、その場がしーんと静まり返った、と。

「やばーと思ったよー。みんな深刻すぎー」

と笑いながら話す息子を見て、おおすごいな、と素直に思いました。我が子ながらたいしたもんだ、と息子には常に驚かされています。

もちろん、痛みが出た時は「なんでこんな体なんだ!」と怒ることもあるし、「もうこんな体いやだ!」と泣く時もあります。でも少し落ち着くと「やっぱりこの家に生まれてよかったわー」と言う。この家に生まれる、イコール私の病気が遺伝する、ということです。そういえば一昨年テレビの取材を受けた時にも「病気があるからって重く考えるより、楽しければまぁいっかーと思っています」とあっけらかんと応えていました。我が息子、たいしたもんだ、です。

そんなわけで、中学でも全体に向けてまずは病気の説明をすることになっていたので、最悪、息子自身は介助員がいなくても多分なんとかなると思う、とは言っていました。しかしやはりいた方が安心なことは間違いない。さぁもう2月、入学までもう時間がない。そんなとき、中学入学前最後の説明会がありました。

説明会の帰り、万が一介助員がこのまま見つからなかったらどうなるのか、それでもうちの子は学校に行けるのか、相談に行こうと考えていました。するとなんと校長先生のほうから声をかけてくださって、

「介助員がまだ見つからないけれど、見つからなかった場合は教員の方でなんとかするから、介助員なしでももしかしたらやっていけるかもね?と思ってます。大丈夫、お母さん、なんとかなるよ!」

と言ってくれたのです。

なんとあっさり、校長先生がまるっと

「よし、それでおっけー👌」

とまとめてくれました。

私はもう、一安心なんてものじゃありません。ギリギリまで探すけれど、見つからなかったとしてもちゃんと通える。ああ本当に、ほっとしました。

そしてなんと、入学式ギリギリ前に介助員が見つかったのです!驚きました。学校側で必死に探してくださった結果でした。本当に感謝は尽きません。

実は部活も、介助員が活動できない放課後の活動になるので参加は諦めてほしいと前もって役所から言われていました。

こういう時、なんだか私はどうしても自分を障害者という位置に置きたがる傾向があり、だから障害を理由にあれはダメこれはダメと言われるとそりゃあもう、自分の中で高らかにゴング鳴り響いちゃったりするわけですが、いやまてよ、そこで戦うなよ、と気付かせてもらえる出来事がありました。

信頼しているある方にこの話をしたところ、

「でもさぁ、むかつくのはわかるけど、でもそれって戦う必要あり?それって息子のためになってるの?」

と言われたのです。

ああ確かに。
息子自身は別に部活にどうしても入りたいわけでもなく、だったらドラムレッスンを一回増やしてくれない?と言っている状況でした。

障害を原因に話されたから私はもうここは戦うべきところだー!とファイティングポーズバリバリになっていたけれど、あれ?本当にそう?と立ち止まれる瞬間でした。ああそうか、ここ、戦うところじゃないね?と気がつけたため、このあと無駄に戦うことはせず、穏やかに入学を迎えました。

そんなふうに前向きに考えていたら、入学後担任から「文化部なら大丈夫だから、先生が力になるから、入りたい部を選んでおいて」と言ってくださったのです。まさか、部活に入れるなんて。息子は最初から諦めていたので、この話を聞いて本当に驚いていました。結局今は無事、文化部に入ることができ、1回増やしたドラムレッスンも、部活動も両方楽しんでいます。

何事も最初から肩肘張らないことが大事なんだな、と最近になってわかってきました。

あれもこれも心配。
どうしたらいいんだろう。
あああああああ
もう!!

と、パニックになるのは常。
しかし待てよ、と。
今それが本当に必要なのか?
そう考えたら、意外とそうでもないものがたくさんありました。
今はできることを出来る限りやればいい。
あとはまた、その時が来たらなんとかする。
それでもいいのかもしれない、と思えるようになりました。

もろもろ力が抜けたら楽になりました。
結局、周りの方々のおかげでこうやって、ぐるっと大回りしていても良い方へ向かってゆく。本当に我が家は人との出会いに恵まれています。心から、ありがたい人生です。


続く。

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