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車いすママの日常21 (障害者だ、の使い方)

息子の学年に、何かうまくできないことがある子を見つけると半笑いで「うわ、あいつ障害者だ」と言う子がいるそうで。とにかく「障害者だ」を連呼するらしく、息子は怒りのあまり震えたと。ちなみに息子とは違うクラスで、息子に障害があることは知っているけど、息子に対して言ったりはしないらしい。

「もう本当に、はらわた煮え繰り返ったよ、怒鳴りつけたくなった」というけれど、でもそこで抑えられたのはえらかった。本当によく頑張った。

残念ながらその子の近しい大人がきっと、「障害者だ」をそのような意味合いで使っているのだろうなぁ。だからそういう使い方が正しいと、きっとその子は思っているのだろう。

そういう場合、いつか気づくんだよ、その子もきっと。そしてその時、ハッとするんだよ。残念ながら「障害者でいいわね、国からお金もらえるんでしょ」とうちの母にしょっちゅう言っていた実家の近所のおばさんは、ある日突然娘さんが障害者になってしまったし、障害者なんか嫌いだ恥ずかしいと言っていたある方は娘さんが障害を持って産まれてきたし、ああ、なんか、世の中そういうふうにできているんだなと最近漠然と思う。そういうふうにできているんだよ、きっと。

例えばそういうことをいう人を変えたいと真剣に思って、ぶつかってもぶつかっても、それでも諦めない覚悟があるならぶつかっていけばいいと思うけど、自分にとってそうではない人なら、私は近寄らないようにしている。お互いに気分悪くなるのは嫌だし、なにも産まないと思うから。だから息子にも、そういう人を見ても、ああ、悲しいなぁ、残念だなぁ、とは思っても、なにくそ、このやろう、と食ってかかるのだけはやめなさい、と伝えている。


きっとこういう気持ちも、私たちの人生の学びなんだよな。だから私も、逆に誰かを差別したり、偏見の目を持ってしまったりしてはいけないなとこういう時、しっかりしないと、と思う。それは例えば、外国の人を見て「日本語しゃべれないんだろうな」と思うことすらもまた、違うんじゃないかと思うし。すべてにおいて人生はきっと、ちゃんとトントンになっていると、私は信じているよ。

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