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意識が覚醒した人

彼は自分自身の中で意識が覚醒していることを知った。意識の覚醒とはただ単に目覚めていることだ。それ以上でもそれ以下でもない。そう知っていても、彼は外見上何も変わらない。

相変わらず世界は彼に問題を突き付けてくる。意識が覚醒しているからといって、問題を無視することはできない。彼は汗をかきながら走り回る。心地いいことも、不快なこともある。幸福も苦悩もある。

幸福と苦悩があるが、彼はどちらも変わりがないと思っている。それらは表面的には明らかに違うが、その根底は明らかに同じであると感じている。

マインドのレベルでは違うことだが、彼の意識のレベルでは同じなのだ。まったく両極端のように見えても、それは意識においては完全に融合している。

世界には静寂と活動があるが、意識においてはどちらも完全に融合して何の違いもない。静寂から活動が生まれ、活動の中に静寂がある。すべては意識の上で起こっている。

何かが起こっても、そこには必ず意識の静寂と自由がある。意識には内側も外側もなく、外側の世界でさえ意識の中に存在している。言葉にすると理屈に合わないが、覚醒においては自然なことだ。

彼にとって覚醒とは何だったのだろうか。それはマインドにとって、意味や価値があるものではない。意味や価値を意識の覚醒に求めれば落胆するだけだ。

覚醒しても彼の人生に起こることは何も変わらず、思い通りになる世界が開けてくるわけではない。意識の覚醒は自分が意識だという真実を知ることであり、意識として以外に存在できなくなることだ。

覚醒した彼の人生は、マインド中心から意識中心に変わる。それは自分の位置を元々あった正しい場所に戻すことだ。

マインドが意識の覚醒に対して、驚くべきこと、素晴らしいことだとが驚嘆したとしても、意識はそれについて何の反応もしない。彼は覚醒によって、ずっとそれとして存在していたことを知っただけだ。

彼にとってそれは驚くべき経験ではない。自分が猿ではなく人間であることを思い出すような当たり前のことだ。

意識の覚醒とはそのようなものだ。真実を真実として確かに知る、覚醒した彼が感じるのはそれだけだ。

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