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真実を知る人

彼は真実を知った。その真実とは、自分は意識の一点として存在しているということだ。瞑想しているときに、そう気づいた。

その気づきは作られたものではない。そうあるように繕おうとしているわけでもない。何の努力をしなくても、自然にそう在る。

そう彼が気づいた後も、世界は変わりなく流れ続ける。彼はいままで通り世界で行為し、心の中で考え、言葉を語る。彼の外見は何も変わらない。

海の表面は風によって波が立つ。彼は波の立つ海面から海の底に潜っていく。どんなに海面が嵐で荒れ狂っていても、深度が増すに従って海の中の静寂は増してくる。

だが、それは海面との分離を意味しているわけではない。荒れ狂う波も、静寂の深海も、同じ瞬間に存在する海であり、それは同じ海水でつながっている。

その海の深さによって動いているか、静まったままかの違いがあるだけだ。ただ、風という波の原因が及ばない深海は静かで在り続け、波立つ海面がその静けさを破ることはない。

彼がこの深海の一点に至ったとき、その静けさを通して、自分は海面でも深海でもない海水であることを悟る。海のあらゆる状態を超えて、そこで深海の透明な海水そのものになる。

海水そのものであるとき、海面が激しく波立ったとしても、それが海水であることに変わりはない。海には波が起こり続ける。だが、そこで深海の静寂にあふれている透明な海水を失うことはない。

これが意識として在るということだ。そう在るとき、彼は荒れ狂う現象から自由であり、どんな現象の中にあっても意識として存在している。現象の形態は変わるが、自分そのものは変わらない。

海水がすべての海に行き渡っているように、彼の意識はすべての世界に行き渡っている。だから彼は世界がどんな嵐になっても、深海の静寂から離れることがない。

彼は何もない静寂の意識の中で、自分がそこにいる唯一の存在だと知っている。たとえ彼が荒れ狂う激しい感情の動きに同化してるように見えても、彼はただ意識という存在でいる。            

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