静寂になる人
彼は瞑想をしていた。彼は心の中に静寂が在ることを知った。初めその静寂は陽炎のように頼りなく、瞑想の後しばらくすると消えてしまった。
彼は瞑想を続けた。いつしかその静寂は存在力を増していった。そして彼の心にしっかりと宿った。瞑想をするといつでもその静寂を感じることができた。
その静寂は瞑想中に心が騒がしいときでもその背景にある。それは失われることがない。心の騒がしさに引きずられることなく、静寂は静寂のままでいる。
彼は瞑想してなくても、その静寂を感じられるようになった。仕事に追われているときや、お酒を飲んで愉快に話しているとき、深刻な問題に頭を抱えているときでさえ、静寂はそこにある。
彼は静寂を保つように努力しているわけではない。それは彼の努力を越えて存在している。心の中に静寂が宿ってから、その静寂から離れることは不可能になった。
それは元々そこにあったのだ。彼が知っている時間を越えて、それはそこに在った。彼の意思でその静寂を消したり作り出したりしているわけではない。
それはひとりの人間の想像を遥かに超えた存在だ。この静寂がそこにあると知った途端に、それは彼にとって消すことのできない現実となる。
心に浮かぶ思考というものは、その静寂から現れては消える陽炎のようだ。すべてはそこから現れ、儚くもそこに消えていく。そこに静寂だけが決して消えない存在として残っている。
彼は静寂とともに在り続けた。いつしか静寂とひとつになって、彼自身が静寂になった。彼がそうなっても、彼は考え、仕事をし、遊びに夢中になる。それは静寂になる前と同じだ。
だが、静寂になった彼は、心に浮かぶ思考のように消え去ることなく、どんな感情にも巻き込まれることがない。彼にとってこのことだけが違っている。
彼は人として語り、行動をし、泣いたり、笑ったり、成功したり、失敗したりするだろう。彼は何も変わらないように見える。それでも彼は静寂になった。このことを知る人は彼の他に誰もいない。
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