見出し画像

自分に戻る人

何もかもが眠っていた。静けさが辺りを覆っている。そこは深く安らかな空気に満たされていた。そこに眠っている誰かがいた。

彼は目を覚ました。彼は静けさの中で目覚めた。彼は目覚めたが、それで辺りの静けさが乱されることはなかった。

自分の周りが静けさで満たされていること以外、彼は何も感じられなかった。そこで彼は何かを見ることを求めた。即座に彼には見ることが与えられた。

そして見るための目が与えられた。同じように聞くために耳が、嗅ぐために鼻が、味わうために舌が、感じるために皮膚が与えられた。それは彼の身体になった。

彼は静けさを母胎として、身体という生命をそこに宿したのだ。次に彼はその身体が感じ取れる世界を創造した。

そして彼の中で思考が活動を始めた。思考はこの身体が世界で体験することを分析し記憶する。思考はその世界の中で身体を守り、心地良い状態を維持しようとする。

思考は彼が幸せで満たされる何かを世界に求め始めた。思考は体験を記憶し未来を予測した。日々の体験を分析し、彼にとって何が良いことなのかを選別した。思考は多忙になった。

それは高い精度を要求される仕事であり、予断を許さないものだ。世界は予想外の動きをする。静けさだった彼は、身体という個人の分析官として忙しく働くようになった。

膨大な記憶から個人が生きるための最良の選択がなされていく。それでも失敗することがある。それは後悔や悲しみの記憶として保持された。望むことを行おうとして邪魔されることもあった。それは怒りや嫉妬として記憶された。

彼は静けさを望んでいなかった。いつしか彼は人生の分析と戦略を担う思考として、充実した日々を送るようになった。

そうして彼は思考や身体としての時間を費やしていった。だが、彼の身体は永遠ではない。それは宇宙の法則に従って変化し、生命力が尽きて機能が停止する。

それでも彼は仕事を続けたいと思った。その願望は叶えられ、彼には次の身体が与えられた。この繰り返しは、思考が仕事を続けたいと思う限り続いていく。

思考はなかなか上手く運ばない人間の人生を完璧に仕上げたかった。人生を完璧に仕上げるために何が足りなかったのかを知るために、思考は何度も世界を見直した。

思考は自分を完璧する何かを見つけて、満足のいく仕事を果たしたかったのだ。思考はその分析の結果、自分自身に問題があることを見つけた。

彼が何をするのか選択し、それを実行してもその結果は完璧にならない。なぜならそれは一時的だからだ。それは完璧だと思っても、すぐに崩壊してしまう。

そこで唯一変わらないのは自分自身という存在だけだ。この彼自身の存在だけが、どんなときでも失われずに残っている。

失われないことは、変化を性質とするこの世界では奇跡的なことだ。彼はそれが求めている完璧なことだと気づいた。思考はそれを見つけ出そうとして、自分自身の静寂に見つけた。

それを見つけた時、彼の思考は静けさの中に消えていった。思考が消えて、身体から解放されて、彼は完璧になった。身体に支配されている思考自身が、完璧さを邪魔する唯一の障害だったのだ。

彼は自分自身の中で静けさとして目覚めた。思考はその完璧さの中で退き、彼の人生を支配することから外れていった。

彼はまだ身体と思考を持っているように見える。だが、自分の存在は静けさの中にある。彼は身体や思考という檻から解き放たれ自由になっている。

過去や未来、この瞬間さえ、誰も彼を束縛することはできない。静けさには誕生も死もない。静けさでいる限り、もう人生を繰り返す必要はない。

彼自身が静寂であることで、何も求めようがないほど完璧だった。この彼の完璧さを損なわせるものなど、この宇宙には存在しない。

そうして求めることが終わった彼は、静けさとして覚醒したまま、そこで輝き続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?