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星になった人

彼は立派な人になろうと心に決めて一所懸命努力をした。彼はすべてを仕事に捧げて成功と富を得た。さらに美しく心優しい女性と結婚をして家庭を持った。町を見下ろす丘の上に大きな家を建てた。

彼を訪れる友人たちも善良さと気品を備えていた。彼は成り上がり者にありがちな尊大な態度を取ることなく謙虚に振舞ったので、人々は彼を人格者として尊敬していた。

彼は幸せだった。彼は満ち足りていた。彼はこれが永遠に続くように願った。すべてが順調でそこには何の間違いも問題もなかった。

彼はこの生活を愛おしく思い、誰にも奪われたくなかった。彼を貶めようとする人は誰もいなかったが、ただ死がこれを奪い去る。彼はこの考えを押し殺した。

彼はこの素晴らしい人生がいつか去っていくものだと思いたくなかった。彼は病気を恐れ、年老いていくことを悲しみ、すべてを奪い去る死を疎ましく思った。

だが、どんなに偉大な人間でも神が刻む時計を止めることはできない。彼は年老いて病気になり、ついに人生の終わりが迫ってきたことを知った。

やがて彼はベッドから起き上がることができないほど衰弱してしまった。彼の横で長年連れ添ってきた妻が彼の手をやさしく包んでいる。

彼にとって妻の手のぬくもりだけがそこにあった。結局、彼はあれだけの努力をしてきたのに、いま感じられるものはわずかしかない。

最後の最後に手のぬくもりという小さな幸福だけがそこにあった。死は迫っていた。彼はこの小さな幸福さえ手放さなくてはならない。

最後にすべてを失わなければならないなら、彼がしてきたことは間違いだったのだろうか。意識の中で何かが無言で応えた。そこで彼は気付いた。

彼は何も自分でしたことなどない。あらゆる発想、あらゆる機会、あらゆるもの、あらゆる人々、すべては世界から与えられたものだ。何ひとつ彼のものはなかった。

確かに彼は世界で働いたが、すべての機会は世界が与えてくれたのだ。彼は世界に借りがあり、死とはその借りをすべて返す時なのだ。

もう彼は妻の手のぬくもりも感じられなくなった。だが彼が返す必要のないものがひとつだけあった。彼が返さなくていいものは彼自身で在ることだ。

彼はすべてを世界に返したとき、そのことに気が付いた。彼は小さな星になった。            

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