賢者の石に導かれた人
意識で在ることは若さへと戻ることだ。彼は意識から生まれてきた。そのとき、彼は若さそのものだった。
時とともに彼は意識から離れて年老いていった。年老いて頑固になり、悲嘆に暮れ、愚痴を口にするようになった。
彼は意識としての若い輝きを失い、それを取り戻すことさえ忘れた。彼はマインドという小さな家を築き、そこに引き篭もった。
そこから出ることは恐ろしいことだと信じた。そして彼はその家の中にとどまり過ぎて、身体の固い、息も絶え絶えで苦しげな老人になってしまった。
こうなったのは単に時間の経過とともに歳を重ねたからではない。彼が意識から離れてしまったからだ。意識から離れるということは、こうして老化するということだ。
自分が生まれた意識の近くは若いままだ。意識に戻ることで彼は若くなり、そこではもう歳を取ることもない。彼がマインドの家を捨てて、もう一度そこに戻ることはあるのだろうか。
マインドは彼を意識から引き剥がして老人にした。彼は意識よりも、そんなマインドが大事だと思ってきた。より若々しいマインドが彼に若さを与えると思ったのだ。
だが、マインドが彼の中心にある限り、そこには意識との隔たりがある。この隔たりによって若さが自然と失われていく。彼がどんなに若さを求めようとも、老いを避けることはできない。
彼は老いの苦しさから逃れるために若さを取り戻す決意をした。彼は賢者の石を手にした。その石は永遠の若さを取り戻すと言われている。それは黄金に輝き、その光が彼を導く。
だが、それは石ではない。それは小さな光の門なのだ。彼がその光に導かれて黄金に輝く門をくぐった瞬間、彼は意識の存在になった。
賢者の石の導きによって、彼は意識に戻り、そこで永遠の若さを取り戻したのだ。若さには自由があり、恐れなく、喜びに満ちて輝いている。
計り知れない潜在力とすべてを許容する抱擁力を持っている。あらゆるところに美しさと善を見る。謙虚であり自然な徳性を備える。意識であることは素晴らしい。
だが、これらはすべてマインドの言葉だ。その言葉は意識の門へと導くことはない。彼が賢者の石に従って意識に戻ったとき、そんなマインドの言葉を超えてる。
彼はそうあろうと努力することなく、そうであることに何の違和感もない。マインドの言葉通りであることが大切なのではない。彼はただ存在自体として、生まれたばかりの自分でいるだけだ。
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