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時代とともに仕事のニーズは変化していく

私の父と祖父は、2代に渡る桶職人だった。静岡の茶農家に生まれた祖父は、生家を出て神奈川の小田原で桶職人の職に就いた。

小田原は箱根や熱海などの温泉街が近いため、かつては桶屋が多く存在していた。桶の材料となる材木屋も多く、東京の木場で買い付けた材木が国鉄東海道線の貨物列車で運び込まれてきていた。

桶屋で修行を積んだ祖父は、自宅の長屋を改造して桶屋を営んでいた。祖父の背中を見て育った私の父は、中学を卒業してすぐに桶製作所に丁稚奉公しながら桶の修行をしていた。

桶製作所に住み込んで修行をした後、現在の場所に土地を借りて小さいながらも念願の家を建て、道路に面した部分は桶屋を営むために作業場を設けた。鈴木桶製作所は近隣地域の家庭から桶の受注を受けて繁盛し、桶御殿が建っているはずだった。

しかし、時代とともに桶の需要はどんどん減っていった。風呂釜は木材からポリバスになり、一般家庭だけでなく銭湯、旅館やホテルまでもが手入れの簡単なプラスチック桶になった。農家が減り、梅干しやたくあんを漬ける桶、炊いたご飯を保存するおひつの需要もほとんどなくなった。桶の需要は高級旅館のみとなってしまった。

父は自宅を建ててからも桶製作所に勤めていたのだが、数少なくなった桶づくりは昔からいる職人に任せ、住宅設備会社として風呂場や台所などの水回り設備、ボイラーの施工や機器の販売へと大きく舵を切った。平日の父は木屑にまみれる桶職人から、機械油にまみれる設備施工業者になった。

日本全国を見ればまだまだ桶職人は存在しているが、廃業した桶職人の数の方が遥かに上回る。父が働いていた桶製作所が、早めに桶に見切りをつけて住宅設備の会社へと方向転換したのは、いい目の付け所だったと思う。そうしなければ、桶職人を抱えたまま廃業するはめになっただろう。そして父は失職する。ああ恐ろしや。

たとえその職業を志すためにどれだけ修行を積んだとしても、時代のニーズとともにその職業が失われていくこともある。失われなかったとしても、テクノロジーの進化によってその内容は大きく変化していく。

だから、どんな職業だって時代のニーズを読みながら柔軟に変化していくほうが、たとえ形がまったく違うものになってしまったとしてもうまくやっていけるのだと思う。

私が物心ついたときにはすでに父は住宅設備の仕事をしていたのだけど、それなりに楽しんでいるように感じた。バブル絶頂期は仕事先でうなぎをごちそうになったりなど、けっこうおいしい思いもしたみたいだ。うらやましい。

今私が従事している舞台照明の仕事も、10年後には大きく変化しているかもしれない。20年後にはなくなっているかもしれない。でも、今ある形にこだわることなく柔軟に自分自身も変化していければいいと思う。

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父が桶の製作で使っていた工具一式は小田原市に寄贈し、現在は小田原城の近くにある郷土文化館2階の民俗資料コーナーに展示されています。小田原を訪れた際はぜひお立ち寄りください。


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