月ちゃん

初めまして🤗月と申します🙇‍♀️職業はポンコツ看護師です👩‍⚕️このnoteでは私の破天荒人生を包…

月ちゃん

初めまして🤗月と申します🙇‍♀️職業はポンコツ看護師です👩‍⚕️このnoteでは私の破天荒人生を包み隠さず自己開示していくことで同じ悩みを持った人達にこういったやり方や考え方があるんだなど少しでもお役に立てたらいいなと思い始めてみました👍宜しくお願いします🤗

記事一覧

人間不信②

それから、捜査が始まりました。 当時彼女は、甲状腺の治療の為、入院中。 刑事さんのお話では今取り調べは出来ない状態なので、もう少し容態が落ち着いてから捜査に入る…

月ちゃん
6か月前
27

人間不信①

仕事にもようやく慣れて来た頃の話。 仕事とは全く関係ない世間知らずな私のまたちょっと辛いお話しです(笑) 高校時代から凄く仲のいいお友達がいたのですが、その子と…

月ちゃん
6か月前
28

大失恋②

それから付き合って1年半くらい経った頃だったと思います。 紹介してくれた高校の時のお友達が長く付き合っていた彼と別れたと。 その彼は私のお付き合いしていた方とは…

月ちゃん
7か月前
37

大失恋①

お仕事の話ばかりもつまらないので、 今回は少し私の若かりし頃の恋愛話を。 興味ないと思いますが(笑) 看護学校の時から2年程お付き合いした方のお話です。 私が19…

月ちゃん
7か月前
43

戦場

ということでブラック続きで… 休みも有給なんてあったかなあ?しかも4週6休だったと思います。 今思えば良く働いてたと思うし、今そんな求人見ても絶対就職しないと思い…

月ちゃん
7か月前
28

試練

時の流れは無情に過ぎて行くもので。。 とうとう異動の日がやってきました。 はあ~嫌だな...そんな思いしかありませんでした(笑) でもやるしかないよね~。意を決…

月ちゃん
7か月前
25

辞令

脳神経外科一般病棟に勤務してあっという間に半年経った頃、確かあれはお昼過ぎだったと思います 師長からナースステーションにみんな集まってと呼び出しが… (師長)異…

月ちゃん
7か月前
24

後悔

こうして無事に准看護師資格を取得。 このまま、あと3年、医師会の専門学校で正看護師資格取得の勉強をしながら働くという選択肢もありましたが、とにかく勉強嫌いだった…

月ちゃん
8か月前
26

准看護師合格

私は高校を卒業後、病院で仕事をしながら准看護師の専門学校へ行く事を決めました。 学校は2年間。その間就職先の病院は少し大きめの総合病院だったので看護助手として3か…

月ちゃん
8か月前
27

看護師の道

こういう状態になったのは3年の時でしたが、高校も辛いだけではなく、30年くらい続いているお友達も出来ましたし、恋愛も出来て楽しい思い出もありましたよ(笑) 高校1…

月ちゃん
8か月前
23

双極性障害

そんな状態でも祖母が怖くて学校には1日も休まず通いました。(笑) 友達は私の異変に気づいた様で心配して声をかけてくれるけれど笑顔を作れない。喋れない。また落ち込…

月ちゃん
8か月前
18

コミュ障

それ以来、私は母に言われた言葉がトラウマになり、人と話す時は沈黙になるのが物凄い恐怖でした(笑) 因みに今は沈黙も克服してますよ(笑) 元々極度の人見知りだった…

月ちゃん
9か月前
18

母の一言

そんなこんなで私は高校を卒業し、泣く泣く18年間育ててもらった実家を離れ2DKの古いアパートに母と暮らす事になりました。 この頃実は、既に私は母が嫌いだったんです。 …

月ちゃん
9か月前
22

私の生い立ち⑤

それから私は市立の小学校、中学校、県立の高校へ何不自由なく行かせてもらいました。 祖母は学校を休むことに厳しくどんなに具合が悪くても絶対登校させる人でした。結局…

月ちゃん
10か月前
30

私の生い立ち④

私は月に一度家に帰ってくる母を楽しみに待ち、帰ってきた日にはボール遊びや公園に行ったりと遊んでくれたのを覚えています ただ前にもお話した通り母は気分の浮き沈みが…

月ちゃん
10か月前
32

私の生い立ち③

ここで簡単な家族紹介を 祖父は昔はとても厳格で恐い存在だったそうですが、年老いてからはいつもニコニコしていて口数が少なく穏やかな人でした。相撲が大好きでいつも拍…

月ちゃん
10か月前
33
人間不信②

人間不信②

それから、捜査が始まりました。
当時彼女は、甲状腺の治療の為、入院中。

刑事さんのお話では今取り調べは出来ない状態なので、もう少し容態が落ち着いてから捜査に入るということになりました。

それから1カ月くらい経った頃でしょうか?やっと取り調べが出来る状態になったため、○月○日に取り調べしますと刑事さんから連絡が入った。

やはり彼女がやったと。。

理由は『私なら許してくれると思ったから…』

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人間不信①

人間不信①

仕事にもようやく慣れて来た頃の話。

仕事とは全く関係ない世間知らずな私のまたちょっと辛いお話しです(笑)

高校時代から凄く仲のいいお友達がいたのですが、その子とは職場は別々でしたが、看護学校も一緒で良く仕事がお休みの時は、お互いの家に遊びに行ったりする程の仲でした。

そのお友達は誰とでも分け隔てなくコミュニケーションが取れる人。

お話してるとめちゃくちゃ面白くて話しやすく、唯一気を使わない

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大失恋②

大失恋②

それから付き合って1年半くらい経った頃だったと思います。

紹介してくれた高校の時のお友達が長く付き合っていた彼と別れたと。
その彼は私のお付き合いしていた方とは高校時代からの友人。

私のお友達はとても落ち込んでいて、私の彼に良く電話で泣きながら相談をするようになりました。私には一切内容は教えてくれず(笑)

最初は仕方ないのかなあと思いそのまま放っておいたのですが、しばらくすると私の彼は友人の

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大失恋①

大失恋①

お仕事の話ばかりもつまらないので、
今回は少し私の若かりし頃の恋愛話を。

興味ないと思いますが(笑)

看護学校の時から2年程お付き合いした方のお話です。

私が19歳の時でした。高校の時のお友達から「紹介したい人がいるけどどう?」と話を持ちかけられました。

その頃は好きな人もいなかったので会ってみようかなあと思い、軽い感じで「じゃあ」ということになりました。

その方は同い年で、某〇〇自動車

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戦場

戦場

ということでブラック続きで…

休みも有給なんてあったかなあ?しかも4週6休だったと思います。

今思えば良く働いてたと思うし、今そんな求人見ても絶対就職しないと思います(笑)

看護師という仕事は人の命を預かる仕事。確かに身体はきつくブラックではあったけど、人生においてとても貴重な経験だったと思います。

処置をして元気になられる患者さんもたくさんいました。回復されて一般病棟に転棟される患者さん

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試練

試練

時の流れは無情に過ぎて行くもので。。

とうとう異動の日がやってきました。
はあ~嫌だな...そんな思いしかありませんでした(笑)

でもやるしかないよね~。意を決して初出勤です。

看護師さんたちはみなさんいい感じ。

しかし集中治療室というだけあって周りを見渡せば呼吸器やモニターばかりで色んな音が色んな所から聞こえてくる。

家に帰っても呼吸器のアラームやモニターのアラーム音が幻聴のように聞こ

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辞令

辞令

脳神経外科一般病棟に勤務してあっという間に半年経った頃、確かあれはお昼過ぎだったと思います

師長からナースステーションにみんな集まってと呼び出しが…

(師長)異動の辞令が出ました

誰だろう。ドキドキ。
きっと私じゃないよねー。
大丈夫大丈夫…

辞令を見ると、お察しのとおり、2名の異動者の中に私の名前が載っておりました。ガーン。しかも…

異動先は脳神経外科のICU

ウソでしょ。。。

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後悔

後悔

こうして無事に准看護師資格を取得。

このまま、あと3年、医師会の専門学校で正看護師資格取得の勉強をしながら働くという選択肢もありましたが、とにかく勉強嫌いだった私。

夕方まで働いて夜間に勉強するのは絶対に出来ないと思い、何とも意思の弱い私ですが、このまま准看護師として働くことを決めました。

資格取得後、私は同病院の脳神経外科病棟に准看護師として配属となりました。まず働き始めて感じたこと。

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准看護師合格

准看護師合格

私は高校を卒業後、病院で仕事をしながら准看護師の専門学校へ行く事を決めました。

学校は2年間。その間就職先の病院は少し大きめの総合病院だったので看護助手として3か月ごとに色んな科をまわりました。

仕事を覚えた頃に次の科へ変わる為、今思えばなかなか大変だったと思いますが、一生懸命だったのかあまり良く覚えていません。

ただ一つだけ強烈に覚えているのは、救急外来に配属になったときの事。

足の開放

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看護師の道

看護師の道

こういう状態になったのは3年の時でしたが、高校も辛いだけではなく、30年くらい続いているお友達も出来ましたし、恋愛も出来て楽しい思い出もありましたよ(笑)

高校1年ではパーマをかけて反省文を書かされたり、2年では午後から授業をさぼってお友達の家に遊びに行ったり、祖母が聞いたら泣くかもしれない不良的なこともやりました(笑)

病気の方も自然治癒でやっと落ち着いてきた頃、今後の進路を真剣に考えなくて

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双極性障害

双極性障害

そんな状態でも祖母が怖くて学校には1日も休まず通いました。(笑)

友達は私の異変に気づいた様で心配して声をかけてくれるけれど笑顔を作れない。喋れない。また落ち込む。

死にたいとまで思っていたのにその後、今度は死ぬ気も起らない無気力状態にまで落ちました。底まで落ちても学校に行った私に自分でビックリですが、こんな状態が3週間くらい続きました。

それから気分がやっと上がってきたなあと思ったら、今度

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コミュ障

コミュ障

それ以来、私は母に言われた言葉がトラウマになり、人と話す時は沈黙になるのが物凄い恐怖でした(笑)

因みに今は沈黙も克服してますよ(笑)

元々極度の人見知りだった私。

唯一保育園の頃からの幼馴染みの子だけは何でも話せる仲でした。

中学校まではいつも一緒に学校に通ったり遊んだりしていましたが、高校から違う学校に進学することになり、それからは会う事もしばらくなくなりました。

高校生になりホント

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母の一言

母の一言

そんなこんなで私は高校を卒業し、泣く泣く18年間育ててもらった実家を離れ2DKの古いアパートに母と暮らす事になりました。

この頃実は、既に私は母が嫌いだったんです。

物心ついた頃から祖父母やおじおばと喧嘩する光景を何度も見て、私も幼いながらに母が喧嘩の火種であることは何となくわかっていました。だんだんと母の事が嫌いになって行ったのです。

小学校低学年の頃は、母が授業参観に来ると友達から『あれ

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私の生い立ち⑤

私の生い立ち⑤

それから私は市立の小学校、中学校、県立の高校へ何不自由なく行かせてもらいました。

祖母は学校を休むことに厳しくどんなに具合が悪くても絶対登校させる人でした。結局登校して具合が悪くなり麻疹だったということも。

私は勉強に関しては正直あまり出来る方ではありませんでした。運動は球技は好きでしたがその他はまるで駄目。小学校のかけっこはいつもビリでした。唯一音楽と図工だけは大好きで出来る方だったと思いま

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私の生い立ち④

私の生い立ち④

私は月に一度家に帰ってくる母を楽しみに待ち、帰ってきた日にはボール遊びや公園に行ったりと遊んでくれたのを覚えています

ただ前にもお話した通り母は気分の浮き沈みが激しい性格。帰ってきた日は祖母と大喧嘩をしていたことも多々あり嫌な思いをした記憶もあります。 

極度の人見知りだった私は年長の歳で保育園に預けられました。

家の生活に慣れていた私は祖母が運転する自転車の後ろに乗せられ保育園に初登園した

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私の生い立ち③

私の生い立ち③

ここで簡単な家族紹介を

祖父は昔はとても厳格で恐い存在だったそうですが、年老いてからはいつもニコニコしていて口数が少なく穏やかな人でした。相撲が大好きでいつも拍手しながらTVを視ていた記憶があります。

祖母は気が強くサバサバした性格で、しつけなどにはとても厳しい人でした。男勝りな所がありプロレス観戦やパチンコが大好きでした。また働き者で家では何かしら内職をしていて私も手伝ったのを覚えています。

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