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トロ火の心持ち

最初に。

個人的には「推し」「推し活」という言葉は好きじゃないのですが、この話題で推しの個人名を出すのはちょっと違うかな?と思うのと、誰でもある程度知っている言葉という事で、あえて使っています。

この「推し」が実際誰なのか?は写真でお分かりかと思いますが(笑)、タナカーさんじゃない方は、私の他のnoteからお察しいただければな〜と思います。


推し活のはじまり


私がいわゆる「推し活」というものをするようになったのは今から6年前、2018年の春。

もともと凝り性で、いったん走り出すと止まれないタイプの私は、パート勤務で時間があったこともあり、全力で推し活に取り組んでいた。

当時の推しはとにかく大ブームという言葉でしか表現できない状況にあった。

ありとあらゆるジャンルの雑誌に登場し、CMにも映画にもドラマにもバラエティにもひっぱりだこ。

しかも、過去作品も大量にある。

もう時間(とお金)がいくらあっても足りない。

とにかく片っ端から雑誌を追い、映画やドラマを観て、推しの広告を探しに街に出る。

まるで高温で煽られているかのように何かに突き動かされ、睡眠時間や家族との時間が激減してもものともせず、仕事以外の時間はほぼすべて推し活に充てていた。

もう毎日がすごく楽しいし、
ファンならこのくらいは当然だと真剣に思っていたし、
推し活が自分の人生を充実させてくれる!
…と思っていた。

途中までは。

いや、心のどこかで「このままではまずいのでは…」と思いつつも、どうしてもやめられなかった、というほうが正解かもしれない。

辛くなり始めた推し活


やがて頑張れば頑張るほど自分の限界が見えてきて、少しずつ辛くなり始めた。

そもそも、どれだけ頑張ろうとも、地方在住者にはできないことの方が多い。

もちろん金銭(遠征とか)で解決できることもあるけど、パートの身でそんな贅沢なことはできないし、家族に対する罪悪感も膨らむ。

過去作だって円盤化されていないものもあり、全てを網羅するのは難しい。

あれもできない。
これも足りない。

体力的にも時間的にも経済的にも、少しずつほころびが出始めてきた。

こんな無理な生活が長く続くはずもない。

最後は、自分自身の想いや行動すらだんだん面倒になってきてしまった。

そしてそれが、推しに対する八つ当たりみたいな気持ちになりつつあることにも気づき始めた。

今まで乗り越えられなかった波


実はこれ、今までも推しができるたびに繰り返してきたこと。

自分がやりたくて勝手にやってるだけのことなのに、自分の義務みたいな気になってしまい、推しや周りのファンを見るのが辛くなる。

勝手に疲れ果て、気力がなくなり、気分とテンションが沈み込む。

ファンなのにこのくらいのこともできないなんて…!って自分を責め始める。

好きで、楽しくてやってるはずのことがどんどん苦痛になり、そしていつのまにか推しに対しての気持ちすら変化し始める。

関心はあるのに情報をあえて避け、見ないようになっていく。

ああ、今回も結局またこうなってしまうのか…😥

やめてしまえればいいのに。

せめて無関心になれれば、こんなに面倒な気持ちにならずに済むのに。

しかも今回は今までと違って、ファンクラブに入っているから、そこもどうにかしなくちゃいけない。

HPもSNSも全然といっていいほど追っていないのだから入っている必要なんて全くないんだよね…。

いつまでもそんなものにしがみついているから余計に辛いんだよ。

スパっとやめてしまえばいいのに。
未練がましい。

理屈では分かっていたけど、それだけはどうしても決断できなかった。

月々の会費が少額だから。
退会するのもめんどうだし。

いろいろ言い訳し続けていたけど、今思えば心のどこかで、完全に切れてしまうことを恐れていたんだと思う。

もうファンクラブ限定の何かに参加することはないかもしれないと思いつつも、
細い細い細い糸でいいから、どこかでつながっていたかった。

自分自身の生活の変化


そして同じ位の時期に、私自身の生活にも変化があった。

勤務時間や内容が変化して完全に仕事中心の日々になり、私生活はあってないような生活に変わってしまったのだ。

精神的余裕がなくて、推し活どころかドラマすらまともに観られない生活。

余計なことを考えることもなく、仕事以外の事に関してはほぼすべてを棚上げして、とにかく走り続けるだけの日々を過ごすことになってしまった。

もういよいよ推し活などしている場合じゃない。
ここで終わりかな…。

推しが舞台に立つことに


そんな中、2年ぶりに推しが舞台に立つことになった。

忙しくて目が回りそうな日々で、そこまで積極的に情報を追っているわけでもないのに、なぜかチケット情報だけはしっかり目に入ってくる。

そしていったん見てしまったら、やはりチケットをとらずにはいられない…!

もう半分くらいは義務感だったような気もするけど、何かに突き動かされるような気持ちで「とりあえず」チケットだけは着々と確保していった。

こんなに余裕がない生活の中なのに、結構メンドクサイ(舞台観る人ならわかりますよね…)チケ取りをここまでマメにし、フラフラになりながら泊まりでの遠征計画までたてる自分の気持ちが本当に理解できないと思いつつも、もう本能レベルで準備を進めていた。

しかも観劇当日になっても、劇場に向かい座席に座り幕が上がる直前まで、自問自答し続けていた。

ホントに彼の舞台を見たいと思ってるの?
ほぼ義務感じゃないの?
私はここにいていいの?

よし。
舞台を観て、他の舞台みたいにあんまり心が動かなかったら、そこで終わりにしよう。

ファンクラブも退会しよう。
そう心に決めた。

そして、幕が上がった。


推しが舞台に上がって、画面やスクリーン越しでは感じられない、舞台からでしか感じられない空気と繊細なお芝居をしていた。

そしてそれを観た瞬間、悟った。

ああ。
私が見たかったのは、
会いたかったのは、この人だ。

私にとってこの時間はかけがえのないもの。
どんなことがあっても絶対に手放しちゃダメなんだ…!

しんどい中でちゃんとチケットとった自分GJ!!
自分にとって大事なこと、心の奥底で分かってたんだね…🥺

すごく感動した!泣いた!とかいうわけじゃないのに、迷いがほどけて、固まっていた心がゆるゆると溶けていくような気がした。


大千穐楽から1ヶ月経った今。


そこからさらに別イベント(ファンミ)を経てたどり着いた心境は、微熱とかトロ火くらいの気持ちだった。

舞台とファンミを通して自分なりに掴んだ推しの人柄から考えたとき、ああ全ての情報を追わなくても大丈夫なんだなって思えるようになってきた。

もちろん、地方在住であることに切なさを感じたり、周りのファンと比べてしまうこともまだまだあるけど、あえて情報を取り入れないことで周りと比べないようにする、自分の心を守る、ということが少しずつできるようになってきた。

仕事も少しずつ落ち着き、精神的にも余裕が出てきたことも大きいかもしれないけど。

「強制的に離れる時間があった」
「でも完全に手放さずにつながり続けていた」

ことは大きかったと思う。

今のこの状態が、終着点かどうかはまだわからない。

もしかしたらまた何かの波がやってくるのかもしれない。

でも今回、今まで乗り越えられなかった波を乗り越えられた、という自信は大きい。

トロ火の幸せ

推しのことを考えると心が暖かくなって、ちょっとだけ幸せになれる。
なにか良いことが起こりそうなきがしてくる。

現在のこのトロ火みたいなホカホカした想いはすごく心地いい。


ずっとここにいられるために。
ブレずに応援し続けるために。

自分なりの距離感をしっかり保ちながら、推しのことを想い続けていきたいと思う。

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