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自由に書いていいんだなぁ、と思った日。

2018年6月。
忘れもしない、Twitterで「そらいろ」というアカウントを立ち上げた日。

Twitterはもともと別アカウントを持っていて、そちらは日常の生活を呟く…というよりは、ほぼ情報収集用アカウントだった。
でも活用しきれているとはとても言えなくて、正直Twitterって何が楽しいのかな…って思ってた。

だから「書きたくて仕方ない」思いのみで立ち上げたアカウントも「所詮期間限定だし」って思ってた。
「仮アカ」くらいの位置づけだった。

それがどうでしょう。
気づけは3年半、ここが本アカじゃなくてどこが本アカなんですか?というレベルで「そらいろ」アカウントに居ついてしまった。

たぶん私がしたかったのは「情報収集」じゃなくて、「自分からの発信」だったのだと思う。
だから、そらいろアカウントはとても楽しかった。
いろんな人とつながって、時にはオフ会までやる事もあった。

でも、いる時間が長くなるにつれ、いろいろなことを意識せざるを得なくなった。

私なんてホントにフォロワーもほとんどいないし影響力もないアカウントなんだけど、タグ付けして書くことが多いので、もしかしたら書いた対象がエゴサしてるかもしれないから(いやかなりの高確率で公式とかはしてる)あまりいらんことは書かない方がいいかな、とか、
マイナスな意見は書いてもしょうがないかな、とか。

また、映画やドラマを観るたび、なぜか「感想を書かなきゃ…」という半ば強迫観念みたいなものに襲われるようにもなってきてしまった。
だから映画を観てても、何か考えないと。文章を書くとっかかりをみつけないと、と思いながら観るようになってしまって、素直に楽しめなくなってきてしまった。

別に書かなきゃいけない、というわけでもないのに、感想をツイートしてからでないと他の些細な事を言ってはいけないような気がしてきてしまったのだ。

もちろん、こんなこと誰に言われたわけでもなく、どちらかというと自分自身で決めた縛りなのだけど、それが大きくなってなんだかちょっと辛くなってきてしまった。

それでも、Twitterにこだわり続けてきた理由。
実は、この数年で、なぜか長文が書けなくなっていったのだ。
もともと私は長文書きで、これでもか!というくらい長文を書くタイプだったのだけど。

なぜか長文が書けない。
まとめられない。
自分で気に入った文章が書けない。

そんな現象に襲われてしまい、文章に対する苦手意識がどんどん広がってしまっていた。

そんな私にとって、Twitterの144文字という長さはちょうどよい長さだった(とはいえ、その144文字をつづるのに毎回15分はかかってしまうのだけど)。
だから何のかんの言いつつこの数年ずっと続けてきたし、この先も続けていく予定ではございますが。

更にここ数年は、人と自由に会う事も出来ない世の中になってしまい、私の中で「話したいけど話せない」ストレスがどんどん膨らんでいくのが分かった。
特にエンタメを楽しむなんて人としてありえない!とでも言わんばかりの「人流を減らすべし」というお触れ。

大好きなアーティストが感染対策に気を使いまくったライブを再開しても、大好きな俳優さんがとても久々に舞台をやっても、観に行ったことなど身近な人たちには絶対に話せない。

そして、これこそが「分断」というのか、今まで同じようにエンタメを楽しんできたフォロワーさんや周りの方たちもさまざまな状況の変化により、ライブや観劇を控えざるをえない、とか、そもそも行くべきではないという空気になってきていて。
下手するとTwitterでもあまり話せないような状況になってきてしまい、いよいよ本当に辛くなってきた。

noteはもともとちょこちょこ書いてたけど、なかなか続けることができず(これ私の特性の一つなんですよね。基本は瞬発力で持久力がない。Twitter3年続けてるのが奇跡)
また、先述したように長文を書くのも辛くなってしまって。
もうこれどうしようかな…って思ったのだけど。

最近、とある方のノートをきっかけにちょっと戻ってみて、他の方がどんな風に書いているのかな?ってちらちら回ってみて、思った。

みんな、自由だ。
もちろんすごく素敵にまとめてらっしゃる方もいるし、言葉だけをポンポンおいてる方もいる。
数行で終わってる方もいれば、長文をちゃんと目次つけて書いてる方もいる。
でも、なんだかどれも楽しそうだし、生き生きしてる…。

なんだか、頭の中だけで
「ああじゃなきゃダメ」
「こうしないと」
「きちんとまとめて」
みたいなことを考えてた自分は、もしかしたらつまらないことしてるのかもしれないな…って思えてきた。

変な奴だと思われるでしょうが、私は結構自分のtweetを気に入っていて、後で読み返して
「お、結構いい事いってるなぁ!」
なんて思ったりするのです。
(というか自分が気に入ったものしか世に出さない)

なので私にとっては、ツイートは一種の作品だったりするのですよね、自分自身の。

でも時折、こんな文章書いていったい誰得なんだ?ただの自己満足でしかないじゃん?という妙に冷めた気持ちに襲われることも事実で。

そしてさらに、
別に誰得でもいいじゃん。
というか、自分が書きたいから書いてるだけで、他の人がどう思おうといいじゃん。などという気持ちも、ずっと持ってまして。
Twitterや長文書くたび常に「誰得なんだ?」と「自分が書きたいからいいじゃん」との間を揺れ動きまくっております。

実は、今書いてるこの文章も、
いったいどういうつもりで?
自己紹介?
決意表明?
…などと考え出すと、じゃあ世に出す意味は?
とかもうめちゃくちゃめんどくさいことを考え出すわけですが。

まぁ、自分自身が書きたいから。
真夜中にふと思い立ってしまったから。
だから、書いておこう。
という単純思考で今、ほとんど本能的に書き殴っていたりしているわけなんですよね。

要は、文章なんて自由に書けばいいんだな、と思ったんです。
もちろん、他人を傷つけない配慮は必要なんだけど
(それはいつも心に置いている)
でも、全方位気にしてたら、書きたいことなんて何も書けないわけで。

私はプロの文筆家じゃないし、まとめとか起承転結とか読みやすいとか、別にそんなの置いといてもいいのか!と。

もしかしたら、こんな私の長文を読んで
「こんなんなら自分の方がましだな…」
って自信つけてくれる人がいるかもしれないし、それはそれで役に立ってるとも言えるのかな、と。

そして嬉しい事に、最近なんだか長文を書くことに抵抗が少しずつ薄れてきた気がするし。
なんだか本来の自分に戻ってきたような気持ちがする…というのか。
この辺は、メンタル的なあれこれも左右してるのかもしれないですが。

ま、とりとめもまとまりもオチもない、というのが自分の文章の持ち味!と開き直ろうかと思ってみたりw

なので、こちらはTwitterよりちょっとラフに、かつ長文で活動してみようかな、と思っています。
あと、Twitterのまとめとか作ったり。
あそこ、タグを使っても過去ログをまとめて読みにくいんですよね…。
ツイートだけだとなんでこうなったのか?って過程とかが分からなかったりするし。

先ほども書いた通り、私は自分の文章のファンなのでwあとで読み返す時に、自分なりに隙間を埋めるのも楽しいかなと。

あくまで、自分の為に、自分が楽しむ場所としてここをキープしようかと思ってます。
でも、それがもしかしたら誰かの、何かの役に立つのだとしたら、それも面白いかもしれないですしね。

なので、コメントや感想やフォローやスキは大歓迎です!
ただ…豆腐メンタルなので、批判はご遠慮いただけると幸いです。

…ええ、分かっていますとも。
公に自分の意見をいっておいて、批判はやめろなんて何様なんだ!といわれるのは。

でも、文章を書くこと。
Twitterやここは、私にとって楽しい場所にしたい。
だからやっぱり批判とか非難とかのコメントには、お返事できないかもしれないです。
明らかに間違ってる事についてはちゃんと訂正しますが、文字上でする議論ほど不毛なものはないと思っているので。

だから、最初に謝っておきます。ごめんなさい。

ということでやっぱりまとまりも取り留めもなくなりましたが、こんな感じでやっていこうと思いますので、もしよかったら適当にお付き合いいただけると嬉しいです。

よろしくお願いします。

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