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あれから5年‐やまゆり園事件を通して思うこと①‐

※自分史を仕上げる前に『やまゆり園』の事件を通して感じている記事を数回に分けて綴りたいと思います。

 5年前の今日、相模原の障害者施設「やまゆり園」で起きた重度障害者殺人事件。犯人は残念ながらその障害者施設で働いていた元スタッフが巻き起こした事件だったことだけではなく、知的障害が重度域の子を持つ保護者として、悲しくもありやりきれない思いでいっぱいになった忘れられない日。犯人が捕まるまで、ずっとテレビに釘づけになっていた。

 福祉サービスや障害に纏わるのことを全く知らない人たちにとっては、『ああ、そんな事件あったね』くらいの認識なのだろうか? あえて聞いたことはないのだが、日常生活の忙しさや月日が経つたびにかき消されるようにして忘れられていくのだろう。だからこそ、忘れないようにしっかりと覚えておきたいと思う。追悼の意味もこめて。

 それと、こうした無差別な事件が起こる度に〝精神障害〟や〝発達障害〟へ焦点が移り、論点がすり替わってしまうことになってきたことに対しても私は違和感を感じてきた。何故なら、私自身〝精神障害者手帳〟を持っている当事者だからだ。そして、我が子は重度域の知的障害を伴う自閉症スペクトラムであり発達障害の当事者でもあることで施設利用もしてきたからだ。

 5年前の事件が起きた日、子どもとはまだ離れ離れの状況で暮らしていた。幼い頃から障害者施設を利用し、私が心身ともに壊してしまったことからその当時は児童養護施設で生活をしていたこともあり、その日の事件の衝撃は半端なかった。

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この件については【はてなブログ】私の暮らしの忘備録 にも記事が2本ほどあるので、この記事と合わせて読んでもらえたらと思う。

● 2021年7月4日「今日の空」

●旧ブログ2016年7月29日―私の暮らしの忘備録ー

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 事件が起きたことで、過去に起きた様々な無差別殺人事件のことも再び思い出されることとなった。なぜなら無差別な殺人事件が起こる度に、必ずといっていいほど、犯人の動機よりも〝犯人がどういった人柄だったのか〟といった〝人物像〟のことのほうに焦点が切り替わりやすいということを痛感してきたからだ。

 そして、犯人の〝人物像〟の起因となってしまっているかもしれないことが、

〝健常者なのか障害者なのか?〟
 障害者だとするならば〝精神障害〟や〝発達障害〟なのか?

 ということで、毎度ながら焦点が当たってしまい照らし出されてしまってきたように私は感じている。それは、自身が精神障害者である所以でもあるからかもしれないのだが…。

 犯人は確かに人として許されないことを行ったと思う、それは法の下であろうとなかろうと決して許される行為であったと私は思わない。自身にとって大切な人が、その人の思想を元に殺害されてしまうことは、決してあってはならないと思っている。例え、どんなに自分に否がなかったとしても…。

 ただ、こうした無差別な事件が起こる度に思うのが、事件を未然に防ぐため又は繰り返さないためには、犯人がなぜ〝殺人〟というカタチで自身の承認欲求なのか悪いモノは成敗されて当然といった思想を満たすような行動からの想いがそういった行動に至った経緯は、必ず理由があるように思う。だからこそ、犯人の動機だけではなく、私たち一般人には知ることがない情報までも紐解かれなければ、本当の意味で解決したとは思えないとずっと思っていた。

 被害者となった当事者に限らず、家族や施設で寝食共にしていた利用者が不慮の事故、しかもお世話をしてくれていた支援者に裏切られるような形で殺害されてしまったこと、ケガをしてしまうようなことが間近で起きたということが、どれだけ、その人たちの今後の人生に影を落としてしまうのかということに考えが及ばなかった精神状態でもあったのだろうとは思うが、どんな状態であろうと自身の思いを殺人といったカタチで遂げることはあってはならないと思う。

 被害者となった方や残された家族にとって、自身がこの世からいなくなるその日まで、様々な思いも昇華できないまま生き続けなければならない。そして、犯人の周囲の人たちもまた違った意味で〝十字架〟を背負うことになる。それでも、犯人は自身の起こした行動が〝正しい行動〟だと認めてもらいたかったのだろうか? だとするならば、それは違うと思う。

 何故なら、福祉施設の現場での支援員を選んだのであるなら、人権の問題に限らず、現場で起こっている様々な負の連鎖を防ぐための通報するようなシステムがあるはずだし、名前を名乗らず行政などへ相談できるような場所が用意されていたと思うのだが、知らなかったのだろうか? 現場で起きていることを通報ことは、事前に学んでいるか、施設の研修などでも学ぶはずだと思うのだが…、そういった研修会などもなかったのだろうか? といった思いも浮かんでくる。

 だからこそ、犯人にとっての〝正しさ〟をネガティブな事件を起こすことなく、現場で起きていることを【通報】といったカタチで、上司又は職場以外の場所へ訴えることはできただろうと思うし、どうせ悪者になるとするならば〝重度障害者を殺害する〟といったことではなく、現場で巻き起きていることや犯人が受けていただろう〝仕打ち〟を自治体の機関や警察、又は労働基準監督署などへ訴えることはできたはずだからだ。


②へ続く

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