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捻じれていたご縁の糸が
自然とほどかれていくように

命は育まれ運ばれ
あなたや誰かの元へ

いつか辿りつけるような
シナリオが私の内側のどこかに

内臓されているから
無意識に動いてしまうものなのかな?

もし、本当に〝運命〟があるなら
だからこそ、人の負の働きとなって

他者の人生を何かしらのカタチで
外側から捻じ曲げてしまうことになるのかもしれない…

だから、私は現在地で彷徨い
沸々と湧き上がってくる感情に飲み込まれ

振り回されて続けていたのか…
ただ、それだけだったことに気づくと同時に

哀しさの入り混じった
笑いがこみあげてくる

1つ1つの命が捻じれてたら
反発しあうのも当然だ

本当はとっくの昔に辿り着けた場所で
違った〝いま〟を生きていたのかもしれない。


まっすぐな命に対し
相対する命が捻じれているなら

絡まってしまうのは当然だ
捻じれた感情は絡まったクモの糸と同じ

それらをほどく作業は他者との関係性や
自己内省の中で気づき宥めるほかない

折り合えない気持ちを
どこか引きづったままでも

生きていられる人たちにとって
捻じれ続けることが

自身の命を保つ
熱量になるのだろうから

まっすぐな命の前では
拗ねている自分を思い知るだけだ

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