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きょうのそら

2023年11月21日(火)そこはかとなく


 朝から部屋に朝日が入るとやっぱり心地良いですね。部屋の構造上湿気対策にエアコンをぬるく緩くいれているのもあって、朝から空気の入れ替えをすると冷たい空気が一気に部屋にはいってきて、寒いけれど気持ち良いのです。
 爽やかに感じるからこそ、こんな時期に早朝の散歩をするのが好きなのですけれど、身体に負荷をかけすぎる気がするので、今は避けています。ヒートアイランドショックってお年寄りだけの問題でもないと思うので。

 ぼーっと惰性的な生き方をしていた20代から30代の頃の自分を振り返ると、その当時は、それなりにいろいろ考えながら生きていた気もするけれど、全然そうじゃなかったなぁと今の私だから思うようになりました。
 それだけ、外付けハードディスク的な行動ばかりしていたような気がするのです。自分のスペックをわかってなくて、ただ、ある程度自分が使いやすいアプリを溜め込んでいくだけだったなぁと思って。
 あっ外付けハードディスクじゃないや。もう一台タイプの違うPCを使ってるみたいな感じのほうがあってるかも。
 
 一人で行動することが多かったのですが、コロナ禍も空け落ち着いてきたので、今年は、自宅からでて人と関わるような一年にしたいなぁと思って行動していました。
 私の目標はまた社会の中で短時間でもいいからお仕事をすること。今の自分でも長い期間働かせていただける場所があればいいなと思っているので、その準備のために通所をしたり、ハローワークへ問い合わせをしたりして、リハビリと並行して就労の準備もはじめました。
 それに伴って、検査のようなことをすることになったので、久しぶりに事務作業をしました。いくつかの作業をしたのですが、かなり久しぶりだったからか、どれも楽しすぎてちょっと力が入りすぎました。でも、もっとしていたかったです。

 自分の特性の中の一つに〝負けず嫌い〟なこともあって、テストとか検査のようなことだとどうしても、力が入りすぎるのです。限られた時間の中でどれだけこなせるのか…とか作業が早く終わることに優先順位が傾いてしまうんですね。昨日の場所では、速さよりも指示をきちんと聞いたり、所定の用紙を読み込んで作業をこなし、ある程度の時間内に正確に作業することのほうが望ましかったと思うのですけれど、早く終わることのほうに意識が向きすぎてしまって、自分の悪い部分が顕在化しちゃった(化けの皮が剥がれた)ような状況になりました。
 でも、それが本来の自分なんだと気がつかされたのですが、仕事場で事細かく仕事を教えてもらえることって本当に少なかったし、特に事務作業は、作業内容で指示を事細かく指導してくださる現場とその現場で作業しながら自分でメモをして作業内容を覚える現場とあるし、企業などだとマニュアルも研修も受けることもあるので、随分違います。
 それでも、私の場合は、マニュアルや十分な研修がある仕事場で働いたことは少なく、作業しながら教えていただいたり、自分なりに覚えていくほうが多かったので『教えてもらえなかったからできない』という言い訳をするのはカッコ悪いと思っています。だから、そういう言い訳をする人に共感できなかったりしてきました。

 が、最近気がついたのです。教えてもらえることを拒否していた人もいるのかもしれないけれど〝教えてもらう〟ということが悪いことのような社会になっているんじゃないかって。後、間違うことも許されない世の中だからこそ、最初にきちんと正しい方法を教えてもらうことを望んでしまうのかもなぁ…なんていうことを思ったら、自分で自分のハードル上げてたんだなぁと思うにいたりました。いや、現場では好まれたりもするんでしょうけれど、ハードルはあげすぎないに越したことはないなって最近よく思うのです。
 だって、みんな一人ひとり、積み重ねてきた経験はかなり違うから。どんなに同じ教科書を広げていたとしても、義務教育を受けられる環境に生まれたとしても、同じように学べないのが〝人〟でもあると思うのです。
 
 そして、私へ。「もう少しぼちぼち行こうよ。スピードも緩めて行こ。」


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