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きょうのそら

5月7日(日) GWの終盤な週末に思うこと

 GWが終わったらコロナが5類に変わります。長かった。本当に。それでも油断はできませんけれど…。
ブログを再開したのに、あっという間に1か月が経ってしまったように感じるけれど、私にとってこの1か月は、我ながら濃い日々を送れたような気がします。
 先月、再び大きな解離が起きてしまったことで、精神科へ通院を初め16年目にして「解離性障害」という障害名を現主治医から聞きました。
とりあえず、ハッキリ告知されたわけではないので、診断されたといえる状況かはわかりませんが…。
自分では自覚ある症状だったし、歴代の主治医によっては、そうしたことで私を見ていてくださっているのだろうとは思ってはいたのですけれど、正直言って、早く告知してほしかったです。だったら、向き合う方向が結構ちがっただろうと思う部分もあるので。
とはいっても
〝自覚あるなら、そっちの方向をみればいいじゃない。〟
と言われればそれまでなんですけれど。
 ただ『解離性障害』という診断名になることで、社会的に受ける制度が変わったりすることもあるし、治療の方向性も変わるはずだからですが、一番大切なことは、本人の問題なのに、診断名をうやむやにすることが治癒過程を長期過させていると私は思うからです。無自覚だからこそ、本人に起きている問題を伝えることが意識づけする一歩手前なんじゃないのでしょうか?という言の葉をこちらに落としておこうと思います。意識づけは認知行動療法みたいなものでは?
 後、治療を受ける上で心身共に影響があるのは、投薬の問題だと思うのです。飲む薬で起こる副作用が適した投薬で起きていたとしても大切にするべきことだと思うのに、何かしら効果があるならば『OK!』といった投薬のスタイルはいかがなものかと思うことになってしまいました。

 残念ながら私の場合は『てんかん』という診断を受けてから、きちんと精査されなかったことで、本当は飲まなくても良かった薬を2年も飲むことになっただけではなく、車の運転ができなくなったことだけではなく、仕事もできなくなってしまいました。 そうしたことから、私の人生は大きく変わってしまっただけでなく、これからどうやって生きていけばいいのかを50歳を目前にして、改めて考えなければいけなくなってしまいました。
 それでも、世間がコロナ禍に突入したことは、私にとってはラッキーだったのかもしれないと思うことで自分自身を窘めた3年を過ごしてきました。
 そんな日々もそろそろ終盤になり、今年度から、社会へ出る足掛かりになればと思い、少しだけ支援の方向性を変えて動き始めました。久しぶりの福祉支援。元々だれかに援けてもらうということが中々できないだけではなく、日常生活だけで得た体力というのは、社会生活を送る上では、通用しないことを改めて痛感している毎日です。

 筋力や思考、そして言語化するときの体力が全然違うということでの疲労感が、適度な疲労とは感じられず、自分を蝕んでいくナニガシカのように感じてしまうようになっている自分に気がつき、正直恐れおののいています。
 数年前からメンタルは、健常域の人たちよりも、かなり頑丈になってしまったという自覚はあるものの、その反面、身体がついていかなくなってしまい、いつの間に虚弱体質になってしまったのだろう…と思うことになっています。
 そうしたこともあって、いつ頃からか自分自身で〝負荷〟をかけてしまう癖がついていたなぁと思って、ちょっと怖くなりました。そうすることが、後に自分のためになると思って生きていたからでもあるように思うだけではなく、人一倍、無意識領域で負荷がかかっている状況なのだから、負荷をかけなくても良かったのに…と思うことになりました。なので、これからは少しくらいは楽に生きれそうな気がします。後は、周りの人たちも配慮してくだされば…。

 そんなこんなで世間はGWですが、私はコロナ禍が始まった頃から3度目の人生のロンバケ中なのでGWといわれましても社会的なお休みに巻き込まれている部分も少なからずはありますが、我が家は基本的に、世間一般の方たちとのお休みの時の生活スタイルが違うのもあって、あまり影響がないので、自宅でゆっくりしながら宅配された美味しいものを楽しむくらいで終わります。
 後、本当は生きているだけで精一杯な自分を窘める言葉選びを鎧にすることない生き方ができればいいなぁと思うのでした。

それでは、また

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