池袋暴走事故後に見える家族

『元院長』

まるで身内・知人が使うような距離感の呼び方で
距離感がある他人の間に浸透したおじいさん。

この事故が起きる数年前、私の父は同様の事故を起こした。
違いは死傷者がない単独物損だったこと。

元院長が発したとされる言葉と当時父が発した言葉は嘘みたいに同様だった。

「踏み間違えなどするわけがない」
「どれだけ踏んでもブレーキが効かなかった」
「車に問題があったに違いない」
「メーカーに文句を言ってやる」

無傷だったことが奇跡的な衝突で、車は即廃車となった。

自分に非は無い。
そう言って翌日新車購入の手続きをした。

父は車両保険で新車が思ったより安く買えて良かったと無邪気に喜んでいた。

咄嗟に私の頭に浮かぶ、相手がもし人だったら、、、
父との温度差を感じながら、これは大変な事故だ、車の運転を止めるようにと諭すも大事なかったからと聞き流す父。
車に問題があるというのならメーカーに調査してもらい結論が出るまで運転しないように言うと曖昧な返事をする父。

離れて暮らしている私は母に電話を掛けそっちで止めるよう言った。
呑気に言っているけど相手が人だったらどうするんだ。
笑いごとじゃない。と。

しかし母は止めなかった。
敷地内同居している長兄も止めなかった。

理由は「言っても聞かない」から。

自分に非が無いと思っている父に強く言えば気分を害し揉め事へ発展しかねない。
本人の好きにさせておくのが無難といった感じだ。

起きてからでは取り返しがつかないのにどうしてこうも想像力がないのか。

車の運転くらい代わりにしてやれよ。
うちは世代間同居で自由に動ける人間もおり、それがし易い環境なのにしない。

本人が難色を示すと言っても、難色を示すからこそ説得するのではないか。

事故の翌日に新車購入という父の行動を成すがままにさせた母と長兄は、いったい何をどう説得したというのか。

元院長は年齢的にも身体の具合的にも家族が止める水準にあったと思う。
医者に止められていたとかいないとか、それがどうしたというくらいヨボヨボ(失礼)に見える。
そもそも医者より家族の方が等身大が見えていて然るのでは。

そんな元院長のご子息は現代ビジネスの記事で見事に自分本位な視点で語っている。

「逮捕してもらいたかった」という見出しがあり、非を認めようとしない父親への訓戒かと思いきや拘束されている方が身が安全だからとの弁。

長い記事の中のどこかに被害者への寄り添いがあるのかと思えばあるあると言いながらどこにもない。

被害者にとって救いのない追い打ちは、元院長の「自分に非は無い」という責任逃れの姿勢。
そこついての言及は一切ない。

大事じゃないことが長々と書かれ、大事なことは何も書かれていない。

シンプルに、他者への思いやりに欠けている印象。

うちと一緒。苦笑。

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