わたしのママは、わたしの娘
※ブログ「そらさんの日進月歩」2006/7/7分転載
私の母は、私のことを「お母さん」と呼びます。
冗談を言っているわけではなく、私に子供がいて、子供が「お母さん」と言うからそのように呼ぶ、というわけでもなく、大まじめで「お母さん」と言うのです。
母が2度目の脳出血で倒れたのが2003年3月。
左脳に障害を負った母は、右半身の自由を失ってしまいました。同時に、言葉を上手に使うことや、記憶することも、完璧には出来なくなってしまいました。
そう書くと、とても悲痛な感じがするでしょう。確かに、若くして色々な自由を失った母を見ると、悲しいのは事実です。(母、当時61歳)
でも、母は病気になることで、体は不自由になったけれど全く違う自由を手に入れたように私には思えます。それは、「本来の自分」です。
どういうことかというと、病気で倒れる直前の母は、悩み事の固まりのような人でした。リストラで職を失い、新しい仕事に就いたこと。老いて一人でいることへの不安(私の父、つまり母の夫は早くに亡くなっています。)3人いる子供達はそれぞれが独立国家のようで、東京で暮らし、母のことは放ったらかし。そんな不安をひとりでかかえて、いつも何となく暗い顔をしていました。
ですが、倒れてからというもの「色々なつきものが落ちた」というのが一番ぴったりくると言えるほど、母は天真爛漫になりました。それを見て「あ〜、母は本来、こんなに明るくて、愉快な人だったんだなぁ」と。そして「人間、本来の姿は、天真爛漫で明るいんだろうなぁ」と思うようになりました。
だからといって、母が以前と全く違う人になったわけではありません。昔のことはびっくりするくらいはっきり覚えているし、言葉はなかなか上手く選べないけど話もできるし、いつも人に気配りをして優しいところなんかは本当に変わってないし。やっぱり母は母なのです。
でも、びっくりするくらい変わったこともあって、人に気遣いばっかりして、なかなか本当の事を言わなかった母が、母の口を慌てて塞がなければいけないほど、正直な事も言ったり。(でも、人のことを悪く言ったり、自分のことを蔑んだりということではありません。)
全体的にネガティブだった部分をくるっと剥いて、本来の良い部分がぷるんと出てきた感じになったのです。
そんな風に、いつも明るくて、楽しそうで、ありのままの母を見ていると、病気になったことも悪いことばかりではなかったな、と思うのも事実です。
私のことを「お母さん」という母。(ちなみに兄のことを「お父さん」と言います。)医学的に言うと何とか??という症状らしく(名前を忘れました…)、本当に私のことを「お母さん」と思うから「お母さん」と言うのではなく、もちろん、私のことを「娘」とわかってはいるのだけど、頭で考えたのと、選んだ言語が一致しない症状なのだといいます。「右に行く」と左を指差しながら言う、という感じです。(実際、そんなこともある。)
もちろん私も、母が私のことを本当に「お母さん」と思っている、なんて思っていません。病気の症状として言うのだということはわかっていますが、なんとなくそれだけでは無いような気もしています。
母が倒れて以降、ずっと介護をしてきた私のことを頼りにして感覚的に「お母さん」というのかなぁという気持ちも少ししています。
多分母は小さい頃(私のおばあちゃんのことを)「お母さん」と呼んで育ったのでしょう。母も当然ですが子供の頃があって、お母さんに甘えて育ったことがあったわけです。そんなことを考えると、しみじみします。
第一、うちの家で、母のことを「お母さん」と呼んでいた人はいません。みんな小さい頃は「ママ」と呼んできました。今では恥ずかしいので、私は「はは〜」と呼んでいます。
ですから、「はは」「お母さん」と呼び合う変な親子になったわけです。
当初、母が私のことを「お母さん」ということが
切なかったり、情けなかったり、悲しかったりしました。
私が泣きながら知人に、「母は私の娘になっちゃいました…。」と言ったら、その知人は「お母さん、子供に戻りたかったのね…。」と言ってくれました。そうかもしれないと思いました。
父が亡くなって15年間、母はいわゆる「女手一つ」で3人の子供を大学まで(しかも東京の)卒業させてくれました。少し人生にくたびれて、子供に戻りたかったとしても許してあげようと思います。
どっちが親でも、どっちが子供でもいいかなと。
まあ、どっちにしても老いては子に従うんです。
これからも「はは」と「お母さん」の変な親子でやっていこうと思います。今は、生きていてくれるだけで、それでじゅうぶんだ、そう思います。