見出し画像

秋色のテンション

このところ、ずっと原稿を書いているので、あー、お彼岸かぁ、と思いつつ墓参りは割愛して、仏壇に向かってごめんね🙏。暑さ寒さも彼岸までとはいうが、今年は無理かと思っていたら、ほんとうに早朝は絹の毛布をかけ直すくらい涼しくなったのでテンションが上向く。墓参りはサボったので、籐の敷物を干して、その下に敷いてあった茶色系のアラベスク柄のラグを洗って秋支度を少々。
さて、今、書いているのが「童心の季節」という岡潔先生の講義録に補足を追記したもので、赤ん坊が生まれて1年と11ヶ月で、意識、自我がどう発生して定着していくか、のような観察記録を含んでいてとても貴重と思われる。はからずも出産育児経験を省略して生きてきたため、解説者としてははなはだ不適格とは自覚するものの、そもそも、テキストを読んで、先生が何をおっしゃろうとしているのか理解できなければ、何もはじまらない。意識の奥深い階層的な(多重包括的な)なりたちを説明するには、仏教(唯識)や古代神道などの近代西洋心理学では考察されていないし、そもそも彼らが考えてみたことがない分野から引用する必要もあるからだ。それぞれの知識は深い方がいいがそこはご勘弁。
面白いなりゆきだねぇと思うのは、わたしが生きてきた歴史の中で、表面的にでも飛ばし読みでも時々回帰的にでも興味を持ってピン📍を打っていた各々の箇所が役に立った。大先生のテキストに注釈的な記述など不遜とも思うが、それならいくらかでも存在意義があるのかも。岡先生のお生まれは、官営八幡製鐵所1901年、アインシュタイン特殊相対性理論1905年という時代だから、平安時代の古語とまではいわないが、もはや、日本語公用語すら変遷しているから、あっ、コレはぁ、無理です、と退却されたらおしまい。

で、秋色の、なんだけど、この童心の季節の後半から、意識に無色の色がつく、これは感覚とはちがう、とある。こんなふう、これを訳さねばなりませんのよ。わたしたちが無意識にも一瞬でパッとわかる、つかむ、雰囲気や状況把握は、大脳前頭葉(感情や自我)を通さない。仏教でいう無差別智のうち大円鏡智がはたらくから。自然科学では、温度や緯度の傾きによる波長のちがいなど数値で表せるものだけで秋色を説明しようとするが、空気感、まわりの自然の見た目や雰囲気、例えば、わー、空が青いしうろこ雲、彼岸花も咲いてる、空気がきのうよりいくらか澄んでる?というのを同時に瞬時にわざわざ考えてないのにわかる。解る、理解するのとは別のもっと深いこころのはたらきがある。この無意識にわかることを言葉で説明するのってたいへん難しい。わたしは小4で算数を放棄したから、その分、左脳言語野に勢力がいくらか傾けられたのか、右脳系のわー、きゃーの感嘆詞だけのヒトといくらかちがうらしい。説明できなければ誰にも伝わらない、誰も救われない。スピが苦手な理由でもある。
因みに、「水色」は世界で日本にしかない区分らしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?