見出し画像

博士院生の日記#4 あした何食べよう

さきおとついになるが、後輩に「なんか食べたいものあります?」と聞かれる。そういえば、あんまり考えたこともない。空想力とか想像力とかがないのかもしれないが、食べたいものがないというのは幸せな悩みだと思う。だからある程度なんでもいいのだ。だいたい、どこの店に行っても食べられるものは必ず用意されている。決められたものをできるかぎりで食べる。選択肢をあーだこーだいえば、「食うな!」とか怒られる家だった。自分が食べたくなくても、祖父が孫のことと全体的な栄養やら味のバランスやら、この料理は「こういうもの」という原理原則を調和させてつくった晩御飯なのだ。そこに敬意が払えるようになったのは、大学で京都に来て、好き嫌い以上にあーだこーだいう人がいかに多いかを、目の当たりにしたからかもしれない。飲食店のアルバイトにしても、赤だし一杯につけても、客の好みとは別に、作る側は一人で提供するレベルのものを炊けるようになるまでに、舌の訓練も含めて膨大な時間がかかっている。それを「薄いだの」「濃いだの」という人がいる。うちはこういうものなんで!これが言えるお店も人間も減っていった。生きていることにはそんなに選択肢は用意されていないんだと思う。その場その場で決められたなかの自由から選びとって折り合いをつけないといけない。

でも、たまには「あした何食べよう」と空想してみると、舌のうえで明太魚のフライがほろほろと溶けていく心地がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?