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浮かぶ時は次々と浮かぶ

そんなもんだろ

小学3年生か4年生のとき
国語の授業で「詩を書く」というような内容のものがあった。
わしはほんの数行の言葉を並べた
1秒がなんたらと時間のことを書いた
〆は「この1秒を大切にしよう」かなんか
それを紙に書いて厚紙に貼って額縁のように飾りを附けして、廊下へ掲示される
賞は取らなかったが、先生が耳元で
『これ、いいね👍』と褒めてくれた
わしはなぜ褒められたのか分からなかったが
何となく自信もあったのでちょっと嬉しかった

それを家に持ち帰ったが
親には見せたのか
見て貰えたのかどうなのか
記憶にはない
大切にしまって起きたかったけれど
わしの荷物は常に放浪して生きていたので
どこでどう扱われていたのか 今に思えば謎である
ランドセルと着替えはいつもそばにあったが
教科書の類や筆箱
学校で使う道具など何一つ記憶にない
家を転々としていたから
わしはほぼ祖母の家に仮住まいが多かった記憶
借家には必要最低限の家電と家具
そこでの生活すらうっすらとしか記憶にない
わしはそこで不登校になった
親は離婚の話をしていた
父親に『お前はどうして欲しいんだ』と聞かれたがわしは『お前らの好きにしたらいいだろ』と答えた
わしは子供のときから冷めてたし覚めてた
色々起きすぎたけど
全部すり抜けてここまで生きてきた
でも
それすらも全て
ただそれだけの出来事
わしにはそんなに酷い話でもなかった
なんて
今が平和だから言えるのだろうが…

親が離婚してまもなく
祖母が亡くなる
わしの頼りの綱は祖母だったが
それが途端に消えた
わしは思った
『病院にわしを連れていかんから婆ちゃんは助けられんかったんだが、大人の選択だ仕方ない』と
祖母が病院から帰宅し1晩息をしない祖母の隣の部屋で布団を敷いて寝ていた
普通は怖いとか何とかあるのだろうが
わしはなんとも思わなかった
救えなかったことに悔しさもなかった
人とはそんなものだと冷めていた

祖母の病室で見た、NHKのクイズ番組を覚えているがなんだったろうか?何故か寝ているだけの祖母の病室でその番組の記憶だけが残っている。
あ、あれは「連想ゲーム」という番組だったか
わしは多分祖母とテレビを見ながらテレビのことを話していたのもしれない。
祖母はただただ寝ていたのに…

なぜ今こんなことを書いているのか
全く分からないが
わしの指は勝手に動いている
きっと今そばに居たのだろう
たまに思い出す話。

こんなもんだ。
あ、きっと栗の扱いが酷すぎたので
教えたのに覚えてないのか!と怒っているのかもしれない。
それなら夢の中で教えてくれ

はるか35年近く昔のはなし?
そんなもんか?
わしは月日の流れと記憶が一致しないのだ

誰かが誕生日を言うと
〇〇座だね!とか言うのを未だに不思議な気持ちで聞く場面がある。
覚えていられないそんなこと…
誰かの正年月日も覚えていられない…
唯一覚えてるのは母親の誕生日が10月17日だったこと。
祖母はわしの大先輩の寅年というのは知ってるが
特別な寅年なんだとかで。
祖母ほ知人が言うにはわしは祖母にそっくりなんだとか。
強い人だった
人から信頼され町の困り事を相談されるような
そんな人だった
立膝でタバコを吸う姿がとてもかっこよかった

懐かしいなぁ


でも
タバコの煙は大嫌いです。


#思い出話
#祖母の話

写真はオマケ
寒くなったから夏の日の写真を

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