人間が問題を解くのではなく、問題に人間が解かされるー「神は乗り越えられない試練は与えない」ー
ゲシュタルト能力
人間にはゲシュタルト能力があります。
ゲシュタルトとは、ゲシュタルト心理学の基本概念です。全体を、部分の寄せ集めとしてでなく、ひとまとまりとしてとらえた、対象の姿。形態のことを言います。
「ゲシュタルト能力」とは、「全体の枠組み」がわかれば「部分」がわかり、また「部分情報」を手に入れただけで瞬間的に、それより大きな他の部分を認識できるという人に備わった能力のことです。
例えば、パズルがあったときに、完成図(全体の枠組み)が目に入れば、それぞれのピース(部分情報)の関係性が推測できます。
また、完成図が無くても、パズルのピースから類推して、「これは動物の一部だ」「建物の一部だ」「人の一部だ」ということを組み合わせて、「おそらく自然風景に動物と人がいる光景のパズルだろう」と完成図が認識できます。
また、
① 1,2,3,(A) 、5,6,7,・・・
という数列があると、(A)には4が入るだろうと推測できます。
次に、
② 8,10,12,14,(B)、18,20(C)、24・・・
という数列があると(B)には16,(C)には22という数字が入ることが分かり、
かつ②は「2の倍数」、「偶数の数列」であるという全体像が分かります。
部分的抜けているところを、全体図から補完して補う能力をゲシュタルト能力と言います。
この能力は、個人差がありますが、訓練をすると成長する能力です。
すると、問題があった際に、人間はパズルの例にしても、上記の①と②の数列の問題にしても、問題が努力なく「解けて」しまいます。
心理的ホメオスタシス
ホメオスタシスとは、もともと生物学の用語です。ホメオスタシスは、外部の環境にかかわらず、一定の状態を保とうとする調節機能です。
ホメオスタシスが働く具体例は、以下のとおり。
・気温にかかわらず、体温を36度程度に保つ。
・身体のなかに細菌などの異物がない状態を保つ。
・軽いけがをしたりかぜをひいたりしても、時間が経てば健康な状態に戻る。
・塩分濃度や血糖値など、体液の組成を一定に保つ。
・体内の水分量を一定に保つ。
などです。
認知科学者の苫米氏博士は、ホメオスタシスは物理空間の生体レベルにとどまらず、心理的な情報空間にまで作用しているといいます。
例えば、年収500万円の人が突然、宝くじで一億円当選してしまうと、元の年収500万円の生活水準に落ちるまで、お金を散財してしまうという例が多く上げられます。
また、自分の成績が基本的に偏差値55程度だとします。ある時のテストで、偏差値50の成績を取ると慌てて現状の55に戻そうとしたり、逆に偏差値60以上を取ってしまうと、次回の成績が55付近に戻っている・・・
全体としての偏差値が55程度に保たれるように、成績を維持してしまうようなことです。
年収にしても成績にしても自分が心という情報空間でイメージしていることがホメオスタシスとなり、それを維持しようと生体が働くという原理です。
ゲシュタルト能力はホメオスタシス
先のゲシュタルトの例に戻ると、バラバラになったパズルや、数学的に穴が開いている事象を見てしまうと、問題の解答が見えてしまう、分かってしまうという現象は、言い変えると、
「問題」という「分離してしまった状況」を、「あるまったものに統合しようとする現象」です。
つまり、「問題を解くという行為」は、一つの心理的ホメオスタシスという原理として捉えられます。
より日常的な平易な言葉で表すと、心のホメオスタシスとは、バラバラの事象を一つの絵として見る、バラバラの事象にある法則性を見出し、見通しを立てる・・・というような現象として考えられます。
上記の生物学のホメオスタシスの例で、
「・気温にかかわらず、体温を36度程度に保つ。
・身体のなかに細菌などの異物がない状態を保つ。
・軽いけがをしたりかぜをひいたりしても、時間が経てば健康な状態に戻る。
・塩分濃度や血糖値など、体液の組成を一定に保つ。
・体内の水分量を一定に保つ。」
という現象は、「私」という自我が努力してやっているわけではありません。
生命現象として生体が自然にやっている行為です。
先のパズルや数列の問題も、最初はやろうとする意志や努力があったかもしれませんが、大人になって認知能力が高まると、努力なしに自然に簡単なパズルや数列は、答えが自然と「見えて」きます。
これは、努力や自分の意志ではなく、自然なホメオスタシスのレベルから自然に生じている現象でです。
傷を負ってしまったら、私たちは自然治癒力に任せるように、心理的な問題も、ある一定の水準であれば、自然治癒のように「私」という個人が努力して問題を解くのではなく、自然に解けてしまいます。
宇宙と生命に、問題や課題は常に存在する物
宇宙には、問題や課題は常に存在しています。
宇宙は常に変化し、動いているからです。崩壊と秩序という矛盾の間を、絶妙なバランスを取りながら存在しています。
宇宙全体、生命全体が、常に矛盾を乗り越え、進化しているということは、常に問題を解いているということです。
物理学者マックス・テグマークは宇宙を数学として捉え、宇宙は方程式であると考えました。
宇宙物理学の世界では、シュミュレーション仮説が流行っていますが、テグマークに倣うと、人間や動物、あらゆる生物の「心理」や「行動原理」も、映画マトリックスのように、背景の超AIが数学的にプログラミングしたものになります。
なぜならすべて数学だからです。
宇宙は生成し、巨大な計算機のような性質がるならば、「人間」という道具を用いて、宇宙の問題を解かせようとしているように見えます。
この宇宙に存在する問題は多岐にわたりますが、
すべては学問という情報処理に行きつきます。
数学、芸術、哲学、物理学、化学、生物学、神学、社会学や歴史学、言語学、心理学・・・様々な学問の問題がありますが、
それらの本質的な問題は、「存在とは何か」「生命と何か」「宇宙とは何か?」「私とは何か?」「神とは何か?」
という問題に行きつきます。
宇宙は「人間」という窓を通し、自身を理解しようとしているように見えます。
問題は勝手に解決している
傷を負った時に、個人の「私」が、細胞を修正しようと、躍起にならないで、自然治癒が効率よくなされるのを待つだけで、治癒は起こっています。すなわち、問題は解決しています。
同様に、これらの根源的な問いも、
「私」という個人がやっきになって解くようなレベルではないように思えます。
「私」という個人、つまり自我が無くなったときに、自然に最適な解が得られるようにこの宇宙はできているのでしょう。
宇宙が数学的機能を持つならば、個人個人の抱える問題―経済、人間関係、健康、やりがいーというカテゴリーに対する問題も、
基本的には「私」という個人が解くのではなく、自然に生命の働きに任せる方が効率よく解けそうです。
これが神に身をゆだねる、自然に身を任せる、道にゆだねる・・・と古来から言われてきた現象のように見えます。
しかし、
簡単なパズルや数列にしても、はじめてその問題や状況に出会う子どもは解けません。
問題を解くのに、子どもが一番最初はてまどり、間違いを続け、試行錯誤を繰り返した時期があったように、
ある程度の知識と経験が必要な上で、ある時問題が自然発生的に「解けて」しまうという現象が生まれるのだと思います。
人間が抱える「問題」というものは、その時々の状況のことです。
状況は、コントロールできないし、この宇宙が提供したものです。
宇宙がこの「人間」という存在を使って問題を解いているならば、
この状況(宇宙)の問題が解けると判断した時に、問題が現れるということになります。
問題とは、個人個人がそれぞれ今置かれている状況の問題に他なりません。
経済の問題なのか、人間関係なのか、健康のことなのか、生きがいのことなのか・・・それぞれすべてが宇宙が抱えている問題で、誰にでもない「私」という存在にしか解けないものです。
なぜなら人間は一人一宇宙の存在だからです。
「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉の意味はこういうことなのかもしれません。
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