見出し画像

日記 #変な人


変な人、それは私。

普段「蒼っていい意味で普通だよね」と言われる私だけど、隠しているだけでほんとは変わってるんだよということを伝えたかった。でも結局伝えられなかったから、誰かに伝える。

蒼の変な生態(自称)


①ふと現実世界から抜け出してありえない世界に飛び立つところ

「もし雲が今急に落ちてきたらみんなどんな反応するかな、どれくらいの規模でニュースに取り上げられるのかな」とか、そんなに標高の高い場所に住んでいるわけでもないのに。

そしてこんな夢世界を、友だちの話を聞いたフリをしながら真面目な顔で繰り広げている。申し訳ないけど話はあまり聞いていない。


②急に誰かを論破したくなる

対立とかしたくないから誰とも言い合いも対立もしないけど、だんだん自分の意見をはっきりと話す人に憧れる。

そして頭の中で敵を定めて集中攻撃を食らわす。
全てを頭の中で完結させているから反論される心配もない。敵に対しては強い思い入れもなく、ただ狙いやすそうな人を狙う。

たまに理不尽に嫌ってしまうこともあるけれど、頭の外には伝えてないからいいよね。


③LINEの返信は気分が乗ったときに

これは本当に申し訳ないと思っている。
既読をとりあえずつけて、なんと返すかを考えるのがめんどくさくなったら、とりあえずトークを閉じる。

結局一週間音信不通になってたりもする。
「教科書の写真送って」という内容ならすぐ撮って送ればいいのに、何故かためて3日後に送ったりもする。そのころにはもう需要ないことも知っているのに。


④推し事で買ったものは開封しないところ

すごく欲しい特典付きBlu-rayがあって、わざわざ調べて特典のある店舗まで行ったのに、まだそのBlu-rayは見ていない。

同じことを写真集や画集でもしている。本当に欲しかったはずなのになあ。得たものに興味を無くしてしまう人なのかな、蛙化じゃん

マグネットとかキーホルダーとか、ここで使おうと決めて買ったものは帰ってすぐに開封してしまいにいくのに。ただ見て終わりのものは見る時間を探してしまう。そしてその時間は訪れない。なぜだ、自分。


⑤直接言われる悪口はおもしろがってしまうところ

まっすぐに「トロいよね」「能天気だよね」とか言われても傷つかない。むしろそう思われてたんだー面白いなーと思ってしまう。自分めっちゃ嫌われてるじゃん笑と楽観的でいられる。

逆に傷つくのは、陰口を聞いたとき、嫌味を言われたとき、褒められたとき。
直接言ってくれないほどに私のこと嫌いなんだな、もう関わりたくないんだな、私を出しにして優位にたちたいんだな、私をうぬぼれさせたいんだなと思ってしまう。ネガティブ変換とヒス構文のオンパレードである。

笑って忘れられることもあるけれど、どうしたって傷つきやすい人だなと自分を見て思う。変なところは大丈夫で変なところは大丈夫じゃない。


⑥どれだけ強い感情も寝たら忘れる

夜には、辛いこと悲しいことイライラすることを抱え込んで鬱々としているけど、朝になったら忘れてる。リセットボタンを押したように、まっさらな状態で出かけられる。

だからこそ、昨日と同じ失敗を繰り返したり、明日の朝やろうと思っていたことは成されない。でも少しは生きやすい。

横になったら涙が出てくるの私だけじゃないはず。起きていたら泣きたくても泣けないのに、寝るときにはいつも泣いてる気がする。
そのせいで目が小さくなって鼻が大きくなるんだよ。ほんとやだ。


⑦骨が好き

手が好き、指が好きとよく言っているから、手フェチだとよく勘違いを受けます。本当は骨フェチ。

手首の出てる骨も、足の甲の細い骨も、手の甲の浮かび上がる骨も全部好き。

そろそろ「変」でもなくなってきた。


⑧麦本散歩に共感できるところ

これが一番変な気がする。そして一番誇れるところ。

麦本散歩とは、『麦本散歩の好きなもの(住野よる著)』の主人公である。

変なこだわりを持っているところ、心気ままに動くこと、余裕はないけど自分を客観視しているところ、ぽんこつなところ、とても良くわかる。
初めて読んだときに自分のことを書かれているのかと思ったほどだ。

人に迷惑をかける行為はできるだけしまいと生きているから、怒られることはあまりないが、思いつきで友達に教訓を送り付けてしまったりする。有機物、無機物関係なしに腹を立てる。でも本人には言えない。

散歩はいつも自分らしく生きつつ社会に適応しようと頑張っているように見える。適合できるかは分からないけど適応しようと思えば頑張れるかもしれないと思うと、大人も悪くないなと思える。散歩は私の希望です。



以上。
変なところはたくさんある私だけど、世の中の個人はみな変な人だと思っている人間としては特に変わっている自覚はない。

みんな変な人だよ。
普通な人なんていないよ。
変なところを変と思っていないか、変なところを見ようとしていないだけだよ。

私は私のこんなところを「自分変だな」と思っているだけ。
でも改善したいとは思わない。

なぜだか分からないけれど、こんな自分なら愛せる。
変でもいいよねって思えるようになったのは散歩のおかげ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?