突然居なくなるのと、居なくなるのがわかってる時の違い

この前、かれこれ10年以上好きなバンドのボーカルが亡くなった。

ライブは一回だけ、ムックとの対バンで見ることができた。
1人サポートなのかと思うくらい若い見た目の人がいて、メンバーだって知った時の驚きもあったな。
しかもその日はメンバーの誕生日、たしか、アニイの誕生日だったんだっけ。そんな日に出演してくれたんだったよな。大阪だったか京都だったか。
そのバンドのファンの皆さんはとっても優しかった。
ムックが主催だから、大先輩なのに先の演奏で、この人たちかっこよすぎないかと衝撃が走った。
その前から曲も聴いていたけど、父より年上のその人たちはみんなかっこよかった。
ちなみにうちの父親だって同世代の人と比べたらかっこいい方だと思ってるぞ!
ムックの番の時、メンバーの皆さんはメイクを落としてキャットウォーク(みたいなところ。ライブハウスのあそこをそう呼ぶかは知らない)から見ていて、すっぴんでもこんなかっこいいの!?ってなった。
あっちゃんはすっぴんでもバチクソハンサムだった。
ちゃんとステージを見なさいって、指で伝えるあっちゃん今でも鮮明に思い出せるくらい全てが美しく見えた。
あの時右上を見上げていたのはたぶんみんな夢烏です、私も含めて。

曲はいっぱい聴いているよ、サブスクだけど。
CDとか買ってなくてごめんなさい。
曲と歌声がすごく好きなんです。

そんな私も、ニュースを見てめちゃくちゃ泣いた。
知った直後は過呼吸になりそうなくらい泣いて、一人暮らしで過呼吸はまずいと思って頑張って抑えて、その後は1時間に1回くらい10分くらい泣いていた。
悲しみの波が押し寄せてくるのだ。

私は色々考えて泣くのをやめた。
私よりももっと大好きで、もっと長く大好きだった人たちは今身が引き裂かれんばかりの哀しみを背負い、やりきれぬ思いを引きずりながら生きるしかなく涙をしているのだと思った。
その人たちの悲しみに比べたら私なんてへなちょこだと思えた。

美しい人だったし、魔王って言われてたから多分これ以上現世に居たらその美しさは世界を征服してしまうから、神様が早めに連れていってしまったんだわと思うことにした。
美しいまま連れていってしまったのね、仕方がないわ、あんなに美しいんだものと自分を納得させるための物語を作った。
おかしな納得の仕方だけど涙は止まった。
素晴らしき哉、人生!の星みたいな神様たちが会議の末に焦ってしまったの。

そう考えて、気持ちを落ち着けた。
まだ悲しみの波は押し寄せてくることがあるけど、脳内物語で補完して抑えている。

突然いなくなるということは、心の準備ができないので哀しみを増幅させると思った。
飼っていた犬がいなくなる前だって、数日は覚悟の期間をくれた。
祖父の時だってそうだ。祖父なんかはむしろあそこからよく長生きしたもんだと思えるくらい長生きした。
そう思うと、よくも私は一年半前とんでもないことを考えていたものだ。

私がこの世からいなくなることを予定していた2022年10月31日から一年が経った。
人生生まれ変わってから1歳になった。
一年経ったから思うことができたのかもしれない。
あの時の自分を自分で殴った。
あっちゃんの死で、あの時の自分の思想の愚かさを改めて、いや、やっと思い知ったのかもしれない。

自分がいなくなったら万事解決一件落着ハッピーエンドだと思っていた自分はもういない。
いなくなってよかった。
めっちゃくだらないけど刀ミュが富士急でライブやるの発表したので生きようかなって思って以降人間なんてそんなもんなんだなと思って生きている。
周りの人が悲しむなんてその人の人生の一瞬のことでしかないと思っていたけど多分違うんだよね。
私と旅行行くくらい仲良かった人とか、家族とかは多分、思い出を語る時に思い出すんだよ。
共通の友人たちと過去の思い出を心底では楽しく語れなくなるんだ。

あの時の私、簡単なことで生を選んでよかった。
よかった理由に気がつけてよかった。

私は私が経験しないと気づけない阿呆だ。
辛い思いを抱える人生は先ができるだけ短い方がいい。

人は、いつか死ぬという当たり前と、それが必ずしも老いてからではないことを思い知らされた。
心の準備のできていない死は、身を引きちぎられそうな思いになること、爆発力があることを思い知った。
だから、向こうからやってくる死は仕方ないが、自ら断つことはしてはいけないのだと気づいた。


こんなちょっと反省、暗めのnoteを書いたが
今日は父が仕事で東京に来たので一緒に飯を食ったので元気なのだ。
元気だから書けたのだ。


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