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12歳までに、父・祖父・母・祖母の順番で家族の死に直面してきました。嘘の様な、本当のわ…

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12歳までに、父・祖父・母・祖母の順番で家族の死に直面してきました。嘘の様な、本当のわたしの人生のお話し。 凄くチープだけれど、[大切なひと]を亡くされた方にも読んで欲しいわたしの話です。 自分と向き合うのは少しこわいけれど、ゆっくりお付き合いしていただけたらと思っています🍀

最近の記事

父のこと。

お久しぶりの投稿です。 父のことでまとめ切れなかった部分を少し書きたくなったので、綴りたいと思います。 もし、良ければお付き合い下さい。 1つ目はわたしが3歳の頃。 きっかけは何だったか定かでは無いが、例によって酔っ払った父に、有無を言わせず抱えられて愛車のブルーのポーターキャブへ乗せられた。 当時はキッズシートも無く、勿論シートベルトをされた記憶もない。 わたしは泣き叫びながら母に精一杯手を伸ばしたが、努力虚しく車は発進してしまった。 時間は恐らく21時過ぎ。 どこへ

    • わたしの父3

      父が亡くなったとの一報は、すぐに祖母の家に居る私達にも届いた。 だが正直、私はその時の事を何も覚えていない。 気がついたら自宅に戻っていて、沢山の大人たちが集まって葬儀の用意をしていた。 自宅葬だった。 わたしが覚えていることは、沢山の人の中心にいる、1人の女性。 その女性は、狂ったように泣いていた。 色々なひとに代わる代わるなだめられ、落ち着かせられて尚、項垂れ泣いていた。 初めは、誰かも分からなかった。 近づこうとしても、周りの人に止められた。 女性の姿を見ようとし

      • わたしの父2

        そんな、ハードモードな幼少期。 何度も酔った父からちょっかいをかけられては泣いていた様に思う。 大人になってから聞いた話だと、兄はもっと酷い目に合ってたと教えてもらった。 そんな日々が当たり前になりそうだった頃 母はわたしたち兄弟を連れて実家に帰ったのだった。 何も聞かされていないわたしと兄は、いつものおばあちゃんちへお泊まりだー! と、大はしゃぎでお気に入りのおもちゃを荷物に詰めて、ご機嫌に自宅を出たのだった。 だけと、そんなお気軽気分だったお泊まりが3日、5日、1週間

        • わたしの父(自死)

          わたしの父が亡くなったのは、わたしが4歳の頃。 父がどういう人だったか、幼かったわたしを振り返りながら、あまり多くは無い父の思い出を、少しづつ書いていこうと思う。 父は建築関係の職人で、地下足袋に作業ズボンと白のポロシャツで愛車の青のポーターキャブを乗り回す、お酒が大好きな人だった。 父との記憶の中で、1番印象的なのは 「冷蔵庫の中、ある物玉子焼き」だ。 仕事が終わり帰宅した後の何よりの楽しみは、やはり晩酌。夕飯までの少しの間も待てなかった父は、よく冷蔵庫にあるものを適

        父のこと。