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第90回 御伽衆(おとぎしゅう)MOOKSTUDY日本の歴史を聴いて


茶のみ友達

御伽衆(おとぎしゅう)とは?

御伽衆は、室町時代後半から江戸時代初期に活躍した、将軍や大名のそばに仕え、話相手をする役割の人々
主な仕事内容は、主君の話し相手となること、自己の経験談をしたり、書物の講釈などを行いました。

和樂web

耳学問
戦国時代では 都や他大名の情勢や地理等、
実際的な情報を提供するの役割もあった
テレビやラジオが無かった時代に人で情報を仕入れていた

戦国大名の御伽衆

戦国大名はそれぞれ御伽衆を3~10人程度抱えていた
武田信玄は12人いたとされる

豊臣秀吉

秀吉の御伽衆は驚きの800人もいたそう
字が読めなかった秀吉に耳学問として大きな役割を担っていた
一方でステータスの一面もあったとか
秀吉は低い身分からの成り上がりで
名家への憧れが強かったのか
室町時代に官僚だった名家の家の人を
御伽衆に加えている。
昔は口もきけなかった身分の秀吉が
今では部下として召し抱えることが出来る権力誇示

室町幕府最後の15代将軍

足利義昭までも御伽衆に加えており
秀吉の茶飲み友達として、晩年を過ごし(享年61)亡くなる
他には織田信長の子供である信雄や弟の信包(のぶかね)
茶人では千利休なども加えられている

曽呂利 新左衛門 (そろりしんざえもん)
話が面白いことを重用され秀吉の御伽衆へ
落語の始祖ともいわれている

逸話
・秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと
「猿の方が殿下を慕って似せたのです」
と言って笑わせた

・ある時、秀吉が望みのものをやろうといったところ
「耳のにおいを毎日嗅がせてほしい」と願い
人々の前で口を秀吉の耳に寄せるようになった。
大名たちは陰口をきかれたかと心落ち着かず、
新左衛門に山のような贈物を届けたという。

Wikipedia

耳のにおいの逸話は落語っぽくて好きです。

戦国武将と茶のみ友達

相反する組み合わせは
戦国武将の精神の安定剤になっていたのではないかなーと
思ったりもする

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