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掘り起こされたタイムカプセル

中学生の頃から、ぼんやりと考えては消えていた夢がある。無意識に「無理だ」と決めつけていたなりたい姿がある。

それは、『小説家になること』。

小学生の頃からそれとなく本は好きだった。特に物語を読んでいたと思う。
登場人物が全員妖精の物語。きちんとしたレシピが書かれた、お菓子を作る物語。日本・外国の児童文学。あとは、本に入れて良いのか分からないが、間違い探しの本もとても好きだった。記憶にあるのはこれくらいだが、確かに好んで本を読んでいた。

小説家になりたいと思ったきっかけは、中学生の頃に地域の作文コンクールで入賞したことだ。なんのテーマで書いたのかはさっぱりだけれど、祖母にとても褒めてもらえて嬉しかったことは覚えている。その頃から、「小説家になりたい」という気持ちがぼんやりと出てきた。だが、その気持ちは「物語を書きたい」ではなかった。あくまで“小説家”に憧れたのだ。
中学生からは物語だけでなく、少しだけエッセイも読むようになっていた。あとはずっと少女漫画を読んでいたと思う。一度も、自分で物語やエッセイを書くようなことはしなかった。何故かその時点で「私にはそんな才能はない、小説家にはなれない、自分で書くなんて恥ずかしい」と思ってしまっていたから。
けれど、小説家への憧れはなかなか消えなかったので、『耳をすませば』を何十回と観ることで憧れを消化していた。

一方で、高校生になってからは、部活動を始めとした学校生活が多忙で全く本が読めなくなっていた。だが今度は、小説家を含む“創作活動“への憧れが出始めた。美術の授業がとても楽しかったのだ。絵を描くことが楽しかった。絵画を模写して工夫しながら色作りをして色をつけていくことや、鉛筆でデッサンをすることが楽しかった。部活は吹奏楽だったが、正直吹奏楽よりも美術の授業が好きだった。けれど、これに関してもすぐに「そんな才能ないよ、現実見なよ」と見えない誰かが私に囁いてきた。
そのきっかけとなったのは、“一緒に美術の授業を履修していた吹奏楽部の子“の存在だった。その子は美大を目指せるくらいに絵が上手だった。私もそこそこセンスはあったはずだが、その子は美術の先生が毎回ベタ褒めするほどセンスがあった。(一時期、美大への進学も考えていたらしい)選択授業だったために受講者が少なく、その子の存在はさらに大きく感じられた。描いている段階から隣で比較される絵。先生の指導の差。完成した絵の完成度の差。些細なことが私の心にちくちくと刺さり続け、気づいた時には血だらけになっていた。そうして、私の創作欲はいとも簡単に崩れ去った。

今考えれば、その子と私の経験値には圧倒的な差があった。小中学生の頃から絵を描いていた子と、授業でしか絵を描いたことがない私。そりゃ負けます。その人のバックボーンを考えず“今”の状態だけを見て、勝手に比較して悲しんで勝手に諦めていただけ。そのことに気づくのに約10年かかった。

私は、精神的に未熟だ。非常に未熟だ。年相応に育つことができなかった。同年代の子がスムーズに理解していることに対して疑問や不満を抱き、反発してきた。その歳で気づいていないといけないようなことにも、全然理解が及ばなかった。だから幼く、年上に見られず、同い歳の子たちとも仲良くできず、年下の子たちと同じような目線で話してしまう。年上として、先の道を示すようなこともできない。年下の子たちの方がよっぽどしっかりしている。

こんな人間だから、余計に「小説家なんて今更…」と自分でも思う。そんな夢の中の夢を追うような年齢ではなくなってきていることも自覚している。けれど、社会人になって信頼できる大人たちに出逢えて、結婚してから少しずつ両親の呪縛が解けてきて、自分のやりたいことを「やってみたい」と口に出せるようになってきた。「できるわけない、無理だ」と囁く声がとても小さくなった。これを逃したら、また沼に引きずり込まれてしまう。このチャンスを逃したくなくて、決意表明みたいなものを書いてみた。

結果的に小説家になれるかどうかは正直どうでも良い。とりあえずやってみる。

私は、小説家になるんだ。



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