240620時中
こんにちわ。
数多くの記事の中から私の記事へようこ (。•̀ᴗ-)و
普通が理解できずに人生を歩んできた40代女性が記すnoteです。[日頃の記し]の記事に関しては、タイトルを日付+時に中るという意味の時中とさせて頂いて進めます。
人も時も時代も、日々変化している生き物です。
毎日24時間私たちは呼吸をし、鼓動を打ち、排泄を繰り返して人生を積み重ねています。人生という変化の中より、肌身を通して感じたコトなどを、個人的な見解として発信するモノです。
今回の時中であるテーマは
「当たり前の見直し」
<当たり前を見直す前に>
当たり前だと感じていることの中には、人だけではなく、自然界も含まれていますし
他人だけはなく自分も含まれていることが前提です。
光降ろしを毎日できる限り行うようになってから視点が変化している現在。
(光降ろしについては前回の記事で記載しております)
自然界という大きな変化の中に身を置きながら、毎日無事に目を覚まして就寝することができて、食べ物も、沢山の命を頂ながら当たり前のように食べて排泄を繰り返しています。
人生を歩む上で私たち人には、様々なコトが目の前に現れ続け、その度に喜怒哀楽を感じながら人は幸せに生きることを当たり前に受け取って生きているのです。
一方
私たちが幸せを生きていく上で
その命を差し出してくれている存在に対して、日頃感謝してきただろうか?と問われた時、私はその命でさえ「当たり前」だと感じていて、意識することもありませんでした。
そればかりか、心の中では争いごとを繰り返すばかり
・人と人の争いごと。
・人と自然の争いごと。
そのどちらもが不要なことです。
<自然界との争いゴトについて>
身近な一例
私は虫が苦手です。いつでも苦手ですが
私が苦手だからといって殺生をして良い理由にはなりません。
「人は頂点か。」という音葉さんのお伝えに心を動かされ、今ようやく体に染み込ませている期間でもあります。
<人との争いについて>
他人と自分・自分と自分。この関係の中に争いゴトが絶えませんでした。争わずしても解決へ辿り着ける方法や策はあるのに、争うことが「当たり前」になっていた。
・他人が当たり前にやっていること
・自分が当たり前にやっていること
どうもその分量を押し計り、勝手に秤にかける癖。損得感情を使った争いを起こすことが当たり前で、素直な気持ちを伝えることで争いを間に挟まずとも解決へと導けることが沢山あったのに行えずにいました。
他人や自分に中にある「当たり前」に感謝を向ける。
自然界が当たり前にやって下さることに感謝を向ける。
ここ数日、感謝を向ける行動を続けていると
その膨大な当たり前の数に圧倒されています。
しかし、私は忘れません。
人間はそんなに美しい生き物ではないこと。
私も同じく美しさとは無縁の生き物であること。
それでも
希望を抱き幸せな人生にして良いこと。
可能性を開き、人から人へ本当の幸せを繋いでいくこと。
それが大切なこと。
自分が愚かであっても、感謝を向けいく。
愚かである自覚を持ち、感謝の行動をしていく。
人には可能性が開かれています。
自然と人に優しい世の中を創れると信じています。
まずは出来ることから。
自分と近くの存在達。
肌身を通して感じる自然や御霊へと
届くか届かないか分からずとも
行動の繰り返しです。
なお、文章は準備などを挟まないので
纏まりが無いと思いますので悪しからず。
スマイルライフ研究所 主宰:リチミナ
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