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求めよ、さらば与えられん -人付き合いにおいて-

私はおしゃべり上手でないし話面白くないし笑いのセンスもなく、聞き上手でもなく、ケチだし、ダサい。(※卑屈になっているわけではありません)

しかし、友達がたくさんいる。
会ってくれる友達が。
それもありとあらゆるタイプの友達が。
なぜか中高の同期(100人以上)の間ではいつも幹事(呼びかけ人?)的役回りだ。
どの分野にも友達がいて、友達に頼ればなんでもできてしまうとさえ思う。
冒頭のように典型的人気者スペックは一つも持っていないにも関わらず、これほど多様な友達に囲まれているのは、なぜなのか。
ふと不思議に思うことが、自分でもある。

この疑問に対し、ここ最近気付いた答え。

きっと、私が、卑屈にならず、「人が好き」という気持ちに正直かつ貪欲だからだ。

友達に恵まれているので、「人から好かれてるんだね、うらやましい」と言われることがたまにあるが、逆です、といつも思う。私が人を好きなのだ。私の才能はただそれだけだ。

人との付き合いの広さも深さも、本来、(聖書の言葉を借用すると)「求めよ、さらば与えられん」だと思う。

日本人は特に、例えば「それほどの仲だと相手も思ってくれているのか」などといったことを気にしてしまうし、どこまで踏み込んでいいのか/曝け出していいのか、顔色を伺ってしまうけど。
自分の求めるままに、したいようにすればいいし、そうすればそれなりの応えが返ってくる。
相手への思いやりと誠意さえ持っていれば、嫌がられることはほとんどないのではないかな。

人に好かれようとするよりも、自分が人を好きになること。
人に信頼されようとするよりも、自分が人を信頼すること。

誘われない。必要とされてない。と嘆くのでなく、自分から働きかけよ。自分から求めよ。
されば与えられん。

実際難しいんです。

しつこく粘り強い泥臭い努力の賜物なんだよ、
もう嫌だ投げ出したい泣きたいってときあるけど、諦めないで働きかけ続けてるからなんだよ。


自分から正直に動き、求めれば、きっと与えられるべきものは与えられるんだと思うのです。


以上、自分への戒めも込めて。

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