「やってみなきゃわからない」はバカだが、真理である…が、やはりバカである。
私は真のバカだから、何事もやってみないとわからない。
幼いころ親から「熱いから触っちゃダメよ」と言われたものは必ず触って確かめていたし(すごく怒られた)、
大学のときの専攻選びは迷っているもの全て履修して、期限ぎりぎりに決めたし、
海外一人旅中に見知らぬ人に話しかけられてもとりあえず逃げずに話してみないと気が済まなかったし、
始める前に判断できずとりあえず始めてしまって失敗・脱落したものが多々あるし(迷惑かけまくり)、
将来のことも、「その時になってみないとわからないよね」という考えでプランを立てることができないし、
どんなに可能性が低いと思われることでも最後まで自分が望んでいる方を信じ切る能力に長けているし、
などなど。
スイスの山で、地形図を片手に、道なき道を、巨礫ごろごろぐらぐらな道を、1人で歩いてフィールド調査(データ収集)していた時がある。
データを取る詳細な地点は、その場での判断だった。あそこまで取り付けるかどうか、その場で考える。雪渓や深い割れ目に阻まれていたり、崖になっていたりと、かなり危険な場所もあるからだ。だが「そこに行けないこと」など、そこに行く途中で大怪我したり死んだりしない限り証明できない。そもそもミスをすればどこでだって怪我をする可能性はある。そして時間と精神力と集中力と体力を費やせば行けないところなんてないとさえ思う。だから行ってみないとわからない。しかし、【それだけ費やしてとる価値のあるデータなのか】を考えると、きっと先生からはバカだと言われる。しかしそれだって私にはやってみないとわからないと思う。データ取ってみないとわからないじゃないか。実際に解析してみないとわからないじゃないか。「行けたかもしれないのに取らなかったデータ」の存在に、去ったあと後悔するのは嫌だ。 (そして、単純に、行ったことのないところには行きたくなってしまう。)
と悶々としていたものだ。
なんて馬鹿なんだろう。
リスク対効果を検証し、想像力を駆使し、理性的に選択・判断することができるのが真の文明人だのに。
人より馬鹿な分、たくさん動いて、たくさん迷惑かけて、たくさん失敗しないといけない。
でもまあ、いっか。
選び疲れて眠るより、歩き疲れて眠りたい。 ---砂漠の民の言葉
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