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信仰に対するイメージの変化

来週は11月11日です✨
本来は平日で仕事なのですが、奇跡的に幸いにも1日フリーに動けるようになったので今から待ち遠しい気持ちで溢れています。
今年はどんな1日になるのでしょうか😌

最近の御言葉では、信仰について次元の高い話をされています。信じる事の義など、全ての義人にとって基礎と言え、また最も重要なポイントとも言えます。

そんな中、私の中で最も心の晴れた御言葉が、自分の欲についての祈りの話でした。
私自身、どこかで形式的な信仰に陥り、御言葉に従う中で欲を抑えつけて生きるようになっていました。

この御言葉を聞いた時、神様と恋人になりたいと願っているに、その人の前で欲を抑えつけているという事が、そもそも偽善的であると気付きました。

神様は心の中も全て見透かしている方であるにも関わらず、このような信仰の持ち方となってしまいました。
その日の明け方の祈りから、自分に素直に望むもの全ての祈りを洗いざらい求めました。

これまでは、自分勝手に祈ってはいけないかなと考える事も祈りました。
御言葉通り、祈ればその祈りが清い祈りとなるように熱心に祈り続けることを学びました。

私は先日書いた文章に、世の人々が信仰をなかなか持つことができない要因は肉欲にあるという事について書きました。

信仰=厳しい、きついというイメージが世の人々にあるということが言いたかったのですが、そのような人々もこの御言葉を聞けば考えが一変すると思います。

欲を抑えつけなければならないという考え根付いているように思え、確かに、一生肉的に何も満たされる事ない人生を想像すれば、誰も信仰に寄り付きません。

神様は全て与えてくださり、それぞれの練達を経てしっかりと正しい使い道を悟るものに全て与えてくださります。

それが人間的にも良い時であります。
成長しないまま全てを得れば身を滅ぼす事になりかねません。

信仰に対して良いイメージがない方や、
これから信仰を持つ方にとっても希望的な御言葉でした。

私自身、知らず知らずのうちに窮屈になっていたものが一気に楽になる気持ちになりました。

是非一度、御言葉を聞いてみてください。

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