見出し画像

マシュー・サイド著「失敗の科学」を読み解く - ④数学的トップダウンと生物学的ボトムアップ

さあ、木曜日だ。

木曜日は、マシュー・サイドの「失敗の科学」を読み解いていこうと思っている。ただ、ボクはこの本を読了していない状態でこの記事を書いている。なので、このシリーズはこの本の解説というよりは「リアルタイム感想文+ボクの思考」という内容になって行くだろうと思っている。

ご興味おありの方は、ゆっくりお付き合いいただけると幸いだ。


生物の進化の仕組み

生物の進化は「突然変異」と「自然淘汰」で行われてきた。

しかし、「一般淘汰」と呼ばれる方法、つまり淘汰されて残ったものをガラガラポンして再スタートする方法を取ると、進化は一向に進まなくなってしまう。進化のためには「累積淘汰」とよばれる方法 - 淘汰されずに残ったものだけを集め、さらに淘汰をかけていくことを繰り返すことが必要だ。

この累積淘汰のプロセス…
意外と誰でもやっていると思う。

例えば、ボクの記事の書き出しは「さあ、〇曜日だ。〇曜日は△△について書いていく…」というパターンを使っているが、これはnoteを書き始めたころから使っていたフレーズではない。ボクはこれまで120くらいの記事を書いてきた(ちゃんと数えてないので間違っているかも)が、その中で、自分でいろいろな書き方を試した結果、現在残っているものだ。

ボクの文体もそうだ。
ボクは「です・ます調」を使わないで「だ・である調」で文章を書くが、これは以前(noteを書き始める前)からビジネス上のレポートなどをこの形式で書き続けてきた経験から来ている。ボクは趣味としてnoteを書いているので、書くことに充てられる時間は限られている。なので、ボクがテンポ良く書き進めていくのに「だ・である調」の方が、ボク自身にとって都合がいいので「です・ます調」はボクの中で淘汰されてしまった。

そうやって、ボク自身の中で「累積淘汰」が行われてきたのだ。

誰でも持っている累積淘汰の産物

累積淘汰は何らかの記憶システムがあれば機能する。
それは、起きたことの「良かったか悪かったか」をひとつずつパソコンなどに記録して、高度な分析を加えていくような能動的なものではない。量をこなしているうちに、自分自身のなかで自然に使わなくなっていくモノがあって、頻繁に好んで使うモノが生き残っていく…という自然発生的なシステムだ。

買ったけど読まないまま積まれている本、ちょっと使ってみたけど飽きてしまった健康グッズ、あんなに気に入っていたのにいつの間にか着なくなってしまった洋服、すっかりご無沙汰してしまっている友人…

それらは、累積淘汰の産物だ。

「後講釈」の罠

しかし、ボクらはここで誤りを犯しやすい。
人間はものごとが起こってから、後付けで因果関係やストーリーを組み立てる傾向がある。(この「失敗の科学」の本文の中で「講釈」というワードが使われているので、この記事の中でもそのまま使うが)ボクたちは身の回りで起きる出来事に、絶えず意味を見出そうとし、そこに講釈(ものごとの意義・価値などをもったいぶって説明すること)を加える。

もしボクらが、自分の直感やすでに持っている知識だけを信じ、仮説を検証することや、実践で失敗することを怠るようであれば、ボクらは「自分にとって都合の良い後講釈」で自己満足するだけで終わってしまう。

そう、累積淘汰だけを信じてしまうと、ボクたちはこの「後講釈」の罠に陥ってしまうのだ。だからそれを避けるためには、累積淘汰のプロセスと並行して、ものごとを数学的に捉えていくということも進めなければならない。

進化を進めるためには混合方式が必要

技術的な進化していくためには、頭で考えた仮説を検証しつつ、実践で失敗と選択を繰り返して学びながら、戦略の方向性を見極めることが重要だ。だが、それと同時に累積淘汰が進んでいかなければ、ボクたちは膨大なデータの中から真実を見つけ出すことができない。

つまり、数学的トップダウン方式で分析を進めることと、生物学的ボトムアップ方式で累積淘汰を進めること、この両方の混合方式で進化を進めていかなければ、限られた時間の中で成果を上げることはできないのだ。

(続きはまた来週)


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最後まで読んでくださってありがとうございます。

これまで書いた記事をサイトマップに一覧にしています。
ぜひ、ご覧ください。

<<科学的に考える人>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?