見出し画像

Sucker Punch ジェイソン・コネル 「太平洋の向こうから封建時代の日本を形づくる」プレゼンテーション訳

2021年7月。世界最大のゲーム開発者向けカンファレンス「Game Developers Conference」にて、Sucker Punch Productions のジェイソン・コネル氏のプレゼンテーションが行われた。同年12月にGDC公式YouTubeチャンネルにアップされた動画を見てみると、ゲーム業界人向けのイベントでありながら、ファンが聞いても楽しいこぼれ話が随所に散りばめられており、様々な読み解き方ができそうな大変濃い内容であった。ある意味「トンデモジャパン回避マニュアル」というか、「創作物における本気の異文化取り扱いマニュアル」としても成立するのではないだろうか? 以下、聴き起こし訳を置いておく。




◆はじめに

プレゼンテーション視聴のお時間をとっていただき、ありがとうございます。タイトルは「太平洋の向こうから『ゴースト』を形づくる」。皆さんどうも、私はジェイソン・コネルといいます。Sucker Punchのクリエイティブ・ディレクター兼アート・ディレクターで、『ゴースト・オブ・ツシマ』ではアート・ディレクターを務めました。アートと情報工学分野での経験はざっと17年ほど。元はシェーダ(※3DCGの陰影や表面素材の質感など決定するプログラムのこと)、ライティングと色彩、シネマトグラフィーにも携わっていました。ご連絡などあればTwitter経由でどうぞ。

さて、私の勤務先であるSucker Punchは創立から25年、アクションゲームの名作を作ってまいりました。私が参加したのは11年ほど前になりますね。元々『スライ・クーパー』の大ファン、かつ『インファマス』の大々ファンで、入社時期はちょうど『インファマス2』が開発される頃でした。最終的には『インファマス セカンド サン』というゲームを作ることになったんですが、その舞台となったシアトルは、スタジオから目と鼻の先だったんです。土地勘のない方向けに言い添えますと、我々の所在地はワシントン湖をはさんで向かいのベルビューで、シアトルはもうド近所、裏庭のようなものでした。そこを舞台に、いくつものスーパーヒーロー・パワーをもつ男を主人公としたアクション・オープンワールドゲームを作っていたわけです。この時培った、細部を過不足なく再現する力──ありとあらゆる細部ではなく、シアトルの雰囲気を捉えるに足るだけの細部を再現する力は、我々にとって重要な学びとなりました。その次に作るゲームは、自分たちからはるか遠く離れた場所のオープンワールド環境にどう「それらしさ」をもたらすかの勝負だったわけですから(笑)。従来から備わっていたスキルも総動員しなければなりませんでしたが、目標実現のためにはまた新たなスキルを一から身につける必要もありました。やはりシアトルとはまったく異なっている上に、時代的にもかなりの隔たりがありますからね。というのはもちろん、『ゴースト・オブ・ツシマ』の話なのですが。


◆北米から日本のサムライゲームを作る特異性

今度の舞台はシアトルではなく、自分たちの知らない文化を題材にしようというわけです。地元でもなければ馴染みがあるわけでもないですし、そもそもどう考えたって我々は専門家ではありません。1274年はあまりにも遠い過去、大昔にすぎて、実際の歴史を調るだけでも至難の業でした。『ゴースト・オブ・ツシマ』はオープンワールドのサムライ・アクションゲームで、1274年に起こった実際の歴史的事件・元寇をもとにしています。このゲームを作るにあたって我々は、日本の時代劇というジャンルと日本文化を尊重した作品を作るため、太平洋の向こうにいる方々と真のパートナー関係を築かねばなりませんでした。事実上、ゲーム作りの手法にも変更を余儀なくされましたし、その過程で多くの学びを得ることになったのです。
私が今回お話するのはどれも重要なことばかりですが、ある時点ではもしかしたら、ひとつひとつのトピックごとに手間をかけすぎているような印象を与えるかもしれませんし、そう聞こえるかもしれません。話を聞いている人が、なんでそんなことが大事なんだ? と自問してしまったりね。開発上の諸問題を解決するまでどれほど時間がかかったかをお話することで、「迅速な意思決定に対してずいぶん高い負担だな」とも思われるかも。ゲーム作り、創作活動では同業の誰しもが「フェイル・ファースト」志向(※迅速な意思決定のためには早いうちから失敗しろ、という考え。ITやゲーム業界でよく言われる)ですから。それはそうです。でも、解決まで相応の時間を要する問題もあるんですよね。単純なことをわざわざ複雑にしてるようにも見えるかもしれませんけれど、我々にとってそうした問題を解決することと、コンサルタントたちとの関係構築は、参入コストのようなものでした。
なぜそれが肝心だったのかというと、このジャンルの期待に応えるためにも、細心の注意を払いながら取り扱うべきだ、という義務感を感じていたためです。しかも配慮をもって。それが我々の目指すゴールでした。映画、小説、ゲームなど、日本の時代劇を愛好する皆さんに喜んでもらい、なおかつ配慮が行き届いていると評価してもらえるような作品にしたかったんです。
今日に至るまで『ゴースト・オブ・ツシマ』は、日本のゲーマーとメディアからも好評をいただき、様々な賞を受賞しています。『ファミ通』からは40点満点中40点の評価をいただいて、とくに身の引き締まる思いでしたね。最近はネイト(・フォックス、クリエイティブ・ディレクター)と私、後日になってスタジオ全体が、対馬市の名誉観光大使に任命されました。私にとっては、人生初というくらいの晴れがましい出来事ですよ。それでも今日ここに至るまでは、やはり大変な苦労を重ねてきました──では、我々が辿ってきた道のりと、太平洋の向こう側からのゲーム作りについて、少々話をさせていただきます。


◆プレゼンテーション概要紹介

本プレゼンテーションは4部構成になっています。

・「GHOST BEGINNINGS」
『ゴースト・オブ・ツシマ』がどのような経緯で生まれたかをお話します。言ってみればここにかかってましたからね。ある一点における危惧が理由で、あやうく開発自体が流れるところでしたので。

・「BECOME STUDENTS」
我々がものを教わる立場に移行した経緯を取り上げます。これまでディレクター、リーダーとしてゲーム作りに携わってきた我々は、その蓄積から自分たちのノウハウに基づく意思決定を行ってきたんですよね。しかし本作では、他の方々が我々と、他ならぬこのゲームのために良かれと思って上げてくれる意見に耳を傾ける必要がありました。従来とは違う心構えです。

・「HISTORY VS GAME」
それと複雑な事情にまつわる話も。教わる側に徹してコンサルタントを雇った後は、歴史面、文化面でのフィードバックを受けるわけですが、時には自分たちの作っているゲームとの辻褄が合わなくなって、うまく兼ね合いをとる必要が生じました。そういった場面で得た知見をお話しようと思います。

・「INSPIRATIONS」
最後はそのまんまの形ですね。エンタメのコンサルというか、どういったインスピレーションがあったか、『ゴースト』では具体的にどのような作品から刺激を受けたかという内容になります。


◆GHOST BEGINNINGS(『ゴースト』の発端)

そもそもの始まりから話しましょう。『インファマス ファースト・ライト』を作り終えた2014年8月のこと。我々は時間をとって次回作の構想を練っているところでした。新規IP立ち上げの機会ということでアイデアはいくつかあったんですけど──Sucker Punchのスタジオには150人ほどが所属してまして、非常に多種多様なアイデアが集まったんですね。名案ばかりだったんですが、あまりにも幅広くて、スタジオの一人ひとりの意見を反映するとアイデア候補の微妙なバリエーション違いが並んでしまっていました。我々が求めていたのは次のゲームの構想でしたから、そこからキレのある、シンプルなひとつのアイデアに落とし込むまでが実に大変だったんです。すぐれたゲームはさまざまなバリエーションや意見の違いから生まれますので、スタジオの全員が同じ考えであって欲しいとは思っていなかったんですけど、必要だったのはもっとキレがあり、シンプルで、訴求力のある何か。150人がそれぞれ明後日の方向に向かって突っ走ったりしないような何かでした。そこで我々が決めたのが、「強力なプレイヤーファンタジーをもう1作やろう」ということ。言ってしまえば勝手知ったる分野ですよね。『インファマス』シリーズはスーパーヒーローもののプレイヤーファンタジーですし、盗賊キャラになれるスパイものにしてもそう。我々にとってはノウハウの蓄積があり、過去に得意としてきた分野です。それをまたやろう、ということになりました。しかし、我々が作ってみたい、明々白々のプレイヤーファンタジーとは何なのか?

(スクリーンに浮かぶ「KNIGHT」の文字)

候補としては、中世の騎士を主人公にしてはどうかという案がありました。中世騎士シミュレーターなんかどうだろう、と。

(スクリーンに浮かぶ「THIEF」の文字)

もしくは、現代の盗賊もの。過去作でやっていた分のノウハウがありますからね。スタジオ内にはこの路線でもいけるんじゃ? という人たちもいたわけです。

(スクリーンに浮かぶ「SAMURAI」の文字)

そして頭ひとつ飛び抜けた案が、サムライ。我々が作ることになったゲームですね。ところがです。実のところ、候補からは即外していたんですよ。ネイトと私は文化面でまったくの経験不足でしたし、どうやってゲームにしていけばいいのかわかりませんでしたから。スタジオ内には文化面の専門家がおらず、我々には自分たちが目指す壮大なスケールのゲームを作るため、専門家を大量雇用した経験もありませんでした。ようは怖気づいたわけです。それから2週間ぐらいだったかな。正確な期間は忘れてしまいましたけど、騎士か盗賊のニ択で悩んだ末に、一周回って「やっぱり自分たちが好きでたまらないものといったらサムライ映画、黒澤映画だよな」と──ネイトは『子連れ狼』や『兎用心棒』のようなグラフィック・ノベルの大ファンでしたし、「そういう作品に刺激を受けてきたんだから、せめて挑戦ぐらいはしたくないか? 」というところに戻って来たんですよね。この時点でプロジェクトをやりぬくだけの情熱とやる気がなければ、以後の4、5年をその作品につぎ込むなんて無理ですから。ゲーム作りには相当長い時間がかかるものなんです。
というわけで、次回作はサムライで決まり。これで頑張ってみようと我々も本腰を入れて、開発にとりかかりました。方向性も定まっていたけれど、それでも頭の片隅には「ちゃんとした配慮をもってこのゲームを作り上げるには、どうしたらいいんだろう」という不安もあったんです。目前に控えた文化の旅がどのようなものになるかを把握し、またどのように成し遂げるか、見通しを立てる必要がありました。

しかし面白いことに、我々はすでに大きなアドバンテージを手にしていたんです。たとえば同じ組織内に、長年一緒に働いてきた日本の仕事仲間がいたこと。Sucker Punchの大ファンである彼らは相談にも乗ってくれますので、我々は自分たちの構想を伝え、意見を求めました。吉田修平さん(※SIEワールドワイド・スタジオのプレジデント、インディーズ・イニシアチブ代表など歴任)は非常に喜んでくれまして、どういう手法がゲーム開発に役立ちそうかもご教示いただきました。おかげで我々も、これならいけるかも、とその気になったんですよ。ゲームを成功させるための作業量がどれほどになるかは見当もつきませんでしたが、開発手法の刷新は不可欠でした。

(スクリーンに表示される「NEW TEAM MEMBERS」の文字列)

まず第一。新作に着手するとなると毎回欠かせないのが、アニメーターやグラフィック・エンジニア、プロデューサーなどの新規スタッフ募集ですよね(笑)。しかし本作に関しては、これまで仕事をともにした経験のない、まったく新しいチームメンバーの小集団を起用することになったんです。開発当初の段階でさえ、たとえば宗教ですよね、我々にまったく経験がない日本の宗教面での協力者が必要になるのは目に見えてましたし。時間が経つにつれリストは膨らむ一方でしたが、ゲームを成功に導くチームメンバーの編成には、少し発想を変える必要もありそうでした。

(スクリーンに表示される「RESERCH」の文字)

そこからリサーチに入ったわけですが、まあどんなゲームでも──とくに本作のような規模の大きいゲームでは、大量のリサーチ作業が発生するものです。たとえばシェーダにもリサーチはありますが、歴史面や宗教面、文化面への突っ込んだリサーチはもう、比べものにならないレベルでしたね。我々にとっては初となるコンサルタントからの指導もありました。このふたつによって、我々は情報の渦に叩き込まれることになります。絶え間なく情報を与えられてね。ではここで、今日お話したいふたつ目のセクションに入りましょう。



◆BECOME STUDENTS(学ぶ姿勢の徹底)

『ゴースト』開発にあたっての懸念はワクワク感で吹き飛び、パートナーの何人かから──たとえばシュウ(吉田修平氏)が早いうちから応援してくれたおかげで、前へ進む意欲も湧いてきました。しかしそうなると我々ももう、常にディレクターの椅子にふんぞり返っていられる立場ではなくなったわけです。じっくり腰を据え──心の準備をして聞いて下さいね。情報を吸収しているうちに、何でもかんでも自分たちが主導役を果たすのは無理だということがわかったんです。いいことですよ。そのあたりについて、ちょっとお話しします。

ようは学ぶ側に徹することが必須だったんですが、学ぶ立場というものには共通項がありますよね。さぼらない、聞く姿勢をもつ、学ぶ意欲をもつ。自分たちの知識に穴があると認めることもかな。思い込みで考えていないかの確認も無論大事で──たとえば「前にサムライ映画で見たんだけどさぁ」というのも別にいいんですよ。その映画には有益な情報もあるかもしれない。でも、思い込みで描かれた部分の有無をコンサルタントに確認するのも大事です。「ああ、それって実は考えているようには行かないかもしれなくて」という返事が返ってきたりして、とても助かったんですよね。そして学ぶ姿勢にまつわるトピックで何より重要なことは、リサーチに全力を傾けること。とくに、可能であれば現地でのリサーチですね。我々にとっては実に得るところが大きかったですし、本当にワクワクするようなリサーチ手法ですので。

我々は実際に対馬と日本本土へ行き、本格的なリサーチを行う機会に恵まれました。ネットでざっくり調べた程度とは比べものにならないくらいの──まあGoogleはもうざっくりではないですね、今は何でもGoogleで勉強できてしまいますし──非常に濃い旅になりまして、ネット上で目を通していた写真や資料などのリサーチ面から、すでに進めていた仕事を補強してくれたほどでした。実際に現地に行って写真を撮り──その写真はこれからお見せしますね。日本行きでは自分なりに心に期していたこともあったんですが、現地でのリサーチは「こんな気持ちで旅を終えることになるなんて思ってもみなかった」という予想外の意味においても、大変有意義だったことが証明されたんです。
最初はこう思ってたんですよ。「きっとすごい旅になるぞ、日本への大旅行だ。自分たちがどんな世界を作っているのか、どうすれば効率的に作れるのか、たっぷり勉強できるに違いない」と。その予想は確かに間違いではなかったんです。対馬と日本への全旅程において、建物はどんな外観か、高さはどのくらいか、どういう素材から出来ているのかということや、野太刀や大太刀といった素晴らしい刀がどう作られるか、日本の特定の気候帯ではどんな植物の葉を使うべきか、といったことを学びました。リードシニアとディレクターら10人弱での2度の日本行きで、写真なら何千枚分、ノートなら何百枚分。それにドローン映像など、まあ何でも、参照すべき膨大なライブラリーを持ち帰ったんです。大収穫でしたよ。

しかしです。私にとって取材旅行の真の価値は、そんなことよりはるかに重要でした。それは我々を熱心に、かつ懸命に導いてくれる皆さんと、新たな人間関係を築いたこと。本当に、意欲満々で協力してくれたんですよね。我々は右も左もわからず、どういう類の質問をすればいいか、記録はどうやってとればいいか、ノートをどう分類すればいいかもよくわかっていない状態でした。吸収することが山のようにある中、人間的な繋がりができまして──この写真で黒いシャツを着ているのはジョナ永井(※永井ジョナ勝氏、現・株式会社JUTOPIA代表)という人です。SONY JAPANに勤めていて、最初の取材旅行の手配をお願いしました。私も彼と同行したんですが、全力で力になってくれまして。我々からのどんな質問にも答えてくれたし、食べ物の説明もしてくれました。侍が蒙古軍を迎撃した場所の神社も案内してもらいましたよ。その侍は浜で戦って亡くなり、当時の戦闘を偲ぶ神社があったんです。侵略が行われた「小茂田浜」という浜辺にも連れて行ってもらいました。正直言うと浜の写真を撮って参考にする程度かな、と思ってたんですが、実際はどうなったかというと、本当にもう、その場の雰囲気に呑まれてしまったんですよね。帰国後の私はお世話になった皆さん、新たな仕事仲間、新たな友人となった皆さんのために、ちゃんと正しいことがしたい、と考えるようになっていました。この目で見てきた場所の数々に対しても正しいことがしたいと、心から思ったんです。おそらく開発チームの誰もが同じ気持ちだったんじゃないでしょうか。単にエンタメ作品を作ることよりもはるかに大きな、個人的な思い入れができたんです。そしてその一心が、我々の行く手に待ち構えていた数々の難題へ立ち向かう意欲や情熱、粘り強さの原動力にもなったんですよね。それだけリアルな気持ちだったということです。

(※訳注: クリエイティブ・ディレクターのネイト・フォックスらも、ジェイソンと同様の意見をインタビュー等で語っている。2022年に入ってからの例を抜粋した筆者ツイートはこちら)

本作のようなプロジェクトでは学ぶことも大量、かつ様々です。(刀の柄部分をアップにした写真を表示しつつ)こちらは刀──小太刀か大太刀かは失念しましたが、作刀工程についても多くを知ることになりました。ここが「鍔」ですね。現地へ行くまではただのハンドガードと見なしていたんですけど、刀剣博物館へ行って気づいたのは──これがもう、とてつもない博物館でして、刀の鍛錬もやっていて、装飾的な古刀を所蔵しているところなんですけど──そこで気づいたのが、鍔はただ手元を保護するためだけのものではない、という点でした。機能はありつつもそれを超えたもの。私は勘違いしていたけれど美と職人技の粋を集めた、日本の見事な芸術品だったんです。家系に由来するものもあれば物語由来のものもあり、一振りの刀に途方もない美と技が込められていました。そんなささやかなインスピレーション、ささやかな知識であっても、帰国した数ヶ月にはただカッコいいだけではない、細部までこだわった自分たちなりの刀を作るぞ、というやる気の源泉になります。ゲーム内には政子というキャラクターがいたんですが、彼女はまだ赤ん坊の孫たちまで手にかけた犯人を追う、狩人なんですね。

(政子の刀のアップ。"Silent Hunter"、「音無き狩人」を意味する名称つきで、鍔には蟷螂のモチーフが施されている)

こういったアートワークでは、ただ包括的なカッコいいアートを作っているわけではないんです。政子のキャラクター性を美的かつ詩的に汲み取り、彼女の物語に奥行きを与えるデザインにしています。

(境井仁の刀が表示される。公式アートブックで使われているのと同じ画像だが、キャプションは"Sakai Storm"から"Stormy Sea"、「荒海」に変更されている。刀ではなく鍔の名だろうか)

主人公・境井仁にしても同様です。彼の刀「大風境井(Sakai Storm)」は、仁自身と彼が蒙古軍の侵略を食い止める設定に深く結びついています。大風がやってきて蒙古軍を追い払ったという通説がありますからね。鍔1枚に込められた美と技に、我々が刺激を受けた成果です。
リサーチの旅は何千枚もの写真や資料をもたらしてくれました。しかし、いい仕事をする上での個人的な思い入れというもの──帰国して「いやー、ジョナいい人だったなぁ。彼に顔向けできるちゃんとした仕事がしたい」なんて(笑)言うような思い入れや、自分はもうチームの一員なんだという感覚、日本で得たインスピレーションは、幾度となくやって来た試練の時を乗り越える力になってくれたんです。というわけで、こういった取材旅行はいくらお勧めしてもし足りないぐらいですね。

(スクリーンに現れる「チームの拡充」の文字列)

開発チームの充実化は必須でした。実はかなり拡充しています。今から挙げるのが全員ではないんですが、コンサルタントを招聘することで、こういったポジションの布陣になりました。

片見 龍平 Sony Japan→USA/日本文化コンサルタント/プロデューサー
石立 大介 Sony Japan/日本文化コンサルタント
ジョナ永井 Sony Japan/日本文化コンサルタント

Sony Japanからは何人か、開発当初より協力いただいてました。片見龍平さんなんかは結局、どこかのタイミングでアメリカへ移住して、フルタイムで何年も本プロジェクトに携わってくれたんですよね。最高のプロデューサーで最高のコンサルタント、本当にすごい人です。まず内部の人間を配置し、それから言語面のコンサルタントも揃えました。

ユミ・ミズイ 日本語・日本文化コンサルタント
幸代・K 日本文化・モーションコンサルタント
サム・バヤラー モンゴル語・モンゴル文化コンサルタント
ジョー・マリノ 日本宗教コンサルタント

モンゴル語のコンサルタントも何人か。日本の宗教面への理解を手助けをしてくれる方は、ごく初期にお迎えしましたね。神道の違い、神道と仏教の違い、寺と神社の違いはとてもややこしいんです。しかも明治維新前の1274年となると、さらに輪をかけてややこしくなる(笑)。なので込み入った分野のエキスパートにひとり入っていただいて、大変助かりました。

井出 柳雪 天心流コンサルタント/剣技・体捌き担当
鍬海 政雲 天心流コンサルタント/剣技・体捌き担当
デビッド・N・イシマル 剣術の戦闘動作[戦闘アニメーション]
トオル・マサムネ 殺陣コンサルタント

言うまでもなく本作はバトルがキモですから、戦闘シーンのコンサルタントも多数起用しました。皆さん非の打ち所がなく、素晴らしい方々で、本当に助けになっていただきました。

梅林 茂 『ゴースト』音楽担当[2名中1名]
本郷 和人博士 東大史料編纂所

さらに、元来は必ずしもコンサルタントとしてお招きしたわけではない方もいます。梅林茂さんの場合がそうで、彼は我々が起用した作曲家ふたりのうちのひとりなんです。日本の方なので、ゲームの内容を見てフィードバックを下さったんですよね。もちろん、日本の作曲家から反応をもらって意見を聞き、我々の作品のことを彼がどう考えているのか、どうすればより良い内容になると思っているのかを知るのは願ってもないことです。梅林さんには音楽を担当いただいたわけで、音源を聴くのも待ち遠しかったんですが、「あそこはまた別の手もあるんじゃないかな」なんて意見を寄せてくれるほどゲームのためを思って下さったことにもワクワクしてましたね。素晴らしいことです。

◆HISTORY VS GAME(歴史VSゲームの兼ね合い)

J: こうして、我々を引っ張ってくれる新たな仕事仲間の陣容は整いました。我々の方でも彼らから学ぶ、あるいは彼らの話をじっくり聞いて学ぶ側に徹する姿勢が身につきました。歴史面や文化面の監修者に囲まれて、いざゲームを作り始めたはいいものの、せめぎ合いが起こる時もあったんです。ガイドの皆さんの言うことと、ゲーム上必要なことが大きく食い違って、なんとか折り合いをつけないとならない場合がね。それで──私から前もって言えるのは、こういった問題の解決は一朝一夕には行かない場合がある、ということです。面白いゲームであるとともに、プレイヤーが詩的かつ芸術的、思索的な体験もできるつくりになっているかというバランスの問題ですからね。やはりそれなりの時間は要します。加えてコンサルタントの皆さんと気心が知れた間柄になるにも、自分たちが作っているゲームのポイントを掴むにも、やはり時間は必要です。そういったことが、我々の現場での仕事の大半でした。というわけで、ここからは我々の場合の事例と、目指すゴールがどのあたりにあったかについて見ていきます。

まずは何をおいても、自分たちが作ろうとしているのが何かを明確にすることが肝心です。いいですか。我々は今も、これまでも、実際の対馬の1:1モデル──岩なら岩、小石なら小石、建物なら建物をそっくりそのまま再現するシミュレータのようなものを作りたいと思ったことは、一度たりともないんです。第一、ゲームの作中年代は1274年。昔々のことですから、対馬のどこに何があったかなんてほぼ分かりようがありません。加えてチームの規模的にも無理がありました。我々のゴールというのは、趣と敬意ある方法で、プレイヤーをゲーム内の世界へ引き込めるだけの細部を作り込むこと。本当に重要な細部なら絶対に揺るがせにはしません。しくじるつもりはないから、周りをコンサルタントで固めました。それ以外ではただ、プレイヤーの皆さんにはゲーム内に入り込んだ気分で、思い出に残るような体験をしてもらいたいんです。実は『ゴースト』に限った話ではなく、『インファマス セカンド サン』でやり遂げたこともまさにそれなんです。舞台設定はシアトルですが、ゲーム内のパイオニア・スクエア(※シアトル発祥の地として知られる歴史的保存地域)は、似たレンガ、似た素材こそ使っていても実際のパイオニア・スクエアとまったく違うんですよね。スペースニードル(※シアトル中心部のランドマークタワー)にしたって建ってる場所が違いますし。橋も2本ありますけど、現実世界の橋とは似ても似つかないタイプなんです。ようは印象派的な見方、ぼやけた視界でものを捉えるような見方で、その場所の特徴となるポイントをおさえるということ。たとえばシアトルならば湿っぽくて雨が多くて、といった世間一般の認識があるでしょう? 実際そうです。ならそこは何らかの形でしっかり踏まえるべきで、多少の強調や脚色も込みで考えるところですよね。我々が作ろうとしているのは奥深く、美的で、エンターテイメント性があり、かつ文化的な配慮が行き届いた作品なわけですから。

さて。細部を漏れなく再現しつくすことが狙いではないなら、それはいい、時間の節約になるかも、とご覧の皆さんは思うかもしれませんが、そこは何とも言えないところです。コンサルタントからゲームのあらゆる軸へのフィードバックをもらうようになるやいなや、彼らの指摘が全部署に影響することが判明しましたから──時間は計画的に使わねばなりません。ここで皆さんは思ってもみなかったかもしれない指摘をざっと見ていきますね。全部、実際に私の耳に入ってきた例です。

(スクリーンに列挙されるツッコミをひとつひとつ読み上げる。
「あの楽器は1274年同時、一般的になってたっけ?」
「服装が自分の見た歴史上の参考文献と違う」
「あの家紋は実在はしてるけど、近代に入ってからの家系の紋だ」
「物語のこの部分が時代錯誤的」
「この建築様式は1274年には存在してなかった」
「方言が現代的すぎる」)

まだまだ挙げられますが、こういうことを片っ端から修正していたらとても時間が足りません。完成まで10年はかかるでしょうし、それでもまだ間違いがあるかもしれず、キリがないですよね。どの指摘が重要なのか? ガイドと問題解決にあたるべき指摘はそれです。絶対に解決した方がいいのはどれか。解決したらより没入感が高まる指摘はどれかを見極めて、本当に譲れない細部をしっかり描く。やはり細部の作り込みぐらい大事なものも、そうないですからね。言ってしまいますが、私はこのプロジェクトに携わるまで鳥居というものの意味合いをまったくわかっていませんでした。ぼんやりと知識はありましたけど、本作のようなプロジェクトに関わると、その真の意味も即座に学ぶことになるんです。開発チームがオープンワールドへの鳥居の設置を始めた当初、Google検索でパッと出てくるのはこういった鳥居でした。

(巨大な朱塗りの鳥居写真が現れる)

現代風でちょっと派手め、サイズも巨大なものですよね。格式が低くはない、いかにも立派な神社の鳥居です。ごく初期からコンサルタントに参加してもらっていると、こういった鳥居は、本場らしさのある往時の見かけではないとわかるんですよ。新しめの鳥居だし、作りもモダンです。コンサルタントからは「素材に木材を使ったりして、もっとナチュラルな雰囲気に戻すべきかも。昔の対馬という、より小規模なコミュニティーの鳥居なのだから、サイズももっと慎ましやかだったはず」といった指導ももらえます。対馬には素晴らしい神社が山のようにあるんですが、考証を踏まえ、あえてやや見劣りする形にしました。世界観のツボをおさえるためには、細部をもう一段深く掘り下げることも大事です。細部の考証を支えて下さった皆さんのおかげですね。

さて、宗教まわりの話題はとくにまだまだ尽きなところなんですが、ここは別のトピックも取り上げていきましょう。たとえばネーミングです。誰も聞いたことがない新規IPの主人公のネーミングというのは、まあ一筋縄では行きません。目指すのは長ったらしくなく、親しみやすく、個性もあって言いやすい名前。どんな作品であれ、主人公の名前は覚えやすいものがいいんです。で、我々の場合はややこしい問題が持ち上がりました。「あれ? 主人公の名付けは英語式で行くの? 日本式で行くの?」と。日本では姓が先、その後に名前が来ますから。それともヨーロッパ式の順序でジン・サカイ、私の名前同様ジェイソン・コネルみたいな感じで行くのか、ということですよね。脚本全体の表記に関わることなので話し合いになったんです。英語式に変えるなら大きな変更点になりますから。今までにない問題ですし、時間を作って話し合ったんですが、結局のところ、出荷される全ソフトにスタート時点で選択可能な日本語版をつけることにしたため、おのずと解決に至りました。プレイヤーの皆さんにプレイしたいほうで遊んでいただきたくてそう決定したんですが、開発当初は日本式の名前表記というオプションも考慮してたんですよね(笑)。コンサルタントから指摘があって、話し合ったんです。確かリュウ(片見龍平氏)直々の指摘だったと思いますが。
また、ネーミングに関しては別の問題もありました。製品版では「ゆな」という名前になっているキャラクターがいるんですが、彼女の名前はかなり長いこと「よね」で通っていたんです。名付け親は日本のパートナーだったのですが、時間が経つにつれ近代的な考え方をするキャラクターに変わってきまして、元の名前がそぐわなくなってきたんですよね。複数のコンサルタントやパートナーからも、キャラクターの変化に名前が追いついていないとの声があがるようになってました。その時点で脚本はもう執筆を完了した部分もあり、「よね」は長年使って馴染みのある名前だったんです。それに我々の耳には「よね」も「ゆな」も似通って聞こえるので、いまいち釈然としなかったんですよね。自分たちではまったく判断のつかない問題でしたので、指導いただいている皆さんを信用するしかありませんでした。この件では我々が理解しきれておらず、戸惑ってすらいたとしても、コンサルタントに訊ねて返ってきた「キャラクターの名前が合ってません。プレイ中の没入感の妨げになると思う」という返事を信用しましたね。日本のプレイヤー目線だと、現代的な考え方をするキャラクターに古くさい名前がついているとちぐはぐに感じてしまう。我々もそれは困るんです。自分たちが作ったどのキャラクターもそんな目にはあわせたくないですからね。開発上の調整もありましたが、結果、キャラクターの名前を変更することになりました。

さて。こういった事例は挙げていくとキリがなくて、多分それだけで2時間のプレゼンテーションができるくらいなんですけど、話の本筋は、この手の作品には時間をとられるという点です。問題の洗い出しにも時間がかかるし、それぞれタイプが違う諸問題に対処するにあたり、どのコンサルタントにお願いするのが妥当なのかわかるまでにも時間もかかるし、コンサルタントを起用するにも時間ががかる。全プロセス、とにかく時間がかかるんです。かなり熱心に頑張っていた我々でも、やはり相当時間を持って行かれましたから。はなはだ真剣に取り組んでいてさえそうなった、ということが私が今回お伝えしたい最重要ポイントのひとつになりますね。ただし、私から共有できるノウハウも多少はあります。皆さんのお役にも立つかもしれません。

紹介したい方法というのは──フィードバックがあった時、そのフィードバックに対する回答の種類が何タイプかに分類できることがわかったんです。

(4分割されたスクリーン上に「冒険してよし」「断固回避/再考せよ」「ゲームの要件」「ゲームデザインを触発」の文字列がそれぞれ現れる)

フィードバックの内容をコンサルタントに相談すると、「あ、ここは多少冒険してもらって大丈夫ですよ」と言われることがあって、そういう場合は我々もじゃあよし、試しに何かやってみよう、となります。また「断固ノー。絶対に避けて下さい、思い違いです」という回答が来た場合は、我々もそこでストップ、ただ意見を聞き入れます。たまには「ゲームの要件」もありますね。ゲームには果たされるべき機能があり、やはり楽しくないといけないので、何らかの手を打って進行を滞らせないようにしたいものなんです。だからといってコンサルタントの意見に耳も貸さないという意味ではありませんよ。こちらからは「じゃあこうしたらどう? ああしたらどう?」と提案を出し続けるんです。すると決まってどちらも満足がいく、一石二鳥のうまい落とし所が見つかるんですよね。さらに、これは私のお気に入りなんですが、フィードバックが「ゲームデザインを触発」する場合。フィードバックがきっかけで大きなゲーム上の変更に至ることもあるんです。では、例をもとに見ていきましょう。

ある時点で脚本には切腹シーンがあったんですが、早い段階でこれは避けるべきだとする明確なフィードバックがありました。(刀のアイコンを「断固回避/再考」欄へ動かしつつ)時代的に外れているし、お約束をおさえたいがためにねじ込んだような印象があると。非常に興味深い指摘でした。我々ももちろんそれは避けたかったので、脚本を書き直してカットしたんです。満足いく内容になり、正しい決断ができました。カットしておいて本当に良かったと思っています。
またゲーム内の建築物に関しては、多数フィードバックをもらっています。鎌倉時代からインスパイアされた建物を多用してましたからね。鎌倉というのはそういった建物が建てられた時代のことで、当時に特有の様式があるんですよ。でもある時点から、試しに別の時代の建築構造も使ってみたんです。その理由を問うフィードバックが来てコンサルタントと話したところ(建物アイコンを「冒険してよし」欄へ移動させつつ)、「鎌倉時代の建築をベースとしてうまく確立させた上でなら、他の建築スタイルにも手を広げて、島全体や印象的なロケーションの特色づけに使っても良いのでは」ということで、色良い返事がいただけました。ちなみに装備まわりも同じ方針になっています。
ゲームには時折、求められる要件があります。(樹木のアイコンを「ゲームの要件」欄へ動かしつつ)本作の場合、周囲を見回した上で次にやりたいことを決められるよう、ミニマップやコンパスは使わずに済ませたかった。ところが、実際の対馬の地形は山がちで、森も非常に鬱蒼としてるんです。本作には馬が登場します。乗馬やバトルもあるので、あまり急な斜面の上では無理なんですよね。ですので、それでもまだ山がちではあるんですけど、いくつかのエリアは勾配を抑え目にし、森からも木を間引きして(笑)対処しました。次の行き先が見やすくなる平地エリアに関しては、ピッタリの加減をコンサルタントと一緒に考えたんです。最終的にはいい仕上がりになりましたが、ゲーム内の要件面が大きかった部分でしたね。
そして最後。当初、本作には狩り要素がありました。ゲームではごく当たり前のことと思ったからで──弓持ってる、動物見かける、絶対しとめる式にね(笑)。狩り要素が楽しいゲームはたくさんありますし、とくに掘り下げるつもりもなかったんです。さらに、鹿狩りに関しては「かなりの違和感がある」というフィードバックが来ました。「むやみやたらと狩りをするのは、動物全般、とくに鹿を大切にする日本文化には馴染まない」というんですね。(鹿のアイコンを「ゲームデザインを触発する」の欄へ移動)そんなわけで見直しの必要に迫られたんですが、我々はちょうど、境井仁を対馬に惚れ込ませるような手段はないものか、ということも話し合っている最中でした。仁が島そのものに導かれているような気分になれる演出がもっとできないか、とね。それをきっかけに、ゲーム内の動物に対する取り扱いが変わることになったんです。気づくと導きの風が生まれ、道案内の鳥が登場し、鹿殺しも後ろめたさを感じる設定にしていました。ゲーム内での動物まわりの扱いのイメージがいくつか、ガラッと変わりましたね。

では、この項で押さえておきたいポイントを少しまとめます。我々のコンサルタントやガイドがゲームの目指すゴールとの間で衝突しそうになった場合、どう克服してきたかという点のまとめですね。まずは、

・1274年は遠い昔の話であるため、多方面に歴史上の齟齬が存在する

1274年は昔々のことなので、資料をあたっていると様々な歴史上の矛盾点や異説が、山のように出てきました。収拾がつかないほどにね。我々の場合、ある種の歴史的問題を解決するには、十分な数のガイドで周りを固めて良質なフィードバックをもらい、そこから一番有力な説を採用する他ありませんでした。ファクトで外堀を埋めて、なるべく最善を尽くそうとしたんです。

・各事例にはおのおの別の課題がある

前項の4象限で示した例には、それぞれまったく性質の異なる課題があります。チームの顔ぶれも違えば課題も違いますし、熱意の程度にも違いがある。時には技術上のハードルがあったりもしますしね。アンダーラインを引いて太字にしたいくらいですが、寄せられるフィードバックごとにまったく違うんです。

・ほぼ全例にプロデューサーである片見龍平の関与あり

・先手を打って考えよう

やっておいて本当に助かったことといえば、片見龍平さんを入れたことですね。彼はキーパーソンで、我々が対処しようとした例のほぼ全てが彼を経由してました。実のところ、片見さんは開発チームの何人かとかなり気心の知れた間柄になりまして。私なんかはとくに(笑)、本プロジェクトを通じて深まった繋がりを活用させてもらいました。何しろよく話したんですよね。「ちょっとこれどう思う?」とか「あっちはどう思う?」とか。たとえばキャラクターの刀の持ち方といったアニメーションの疑問でも、ストーリーや建築物がらみの疑問でも、気になることがあれば彼に電話して(笑)「こういうわけなんだけど、どう思う?」と訊くんです。自分ではわからなかった場合でも、彼は訊くべき相手をリストアップして我々を正しい方向へ導いてくれるか、自分で問題解決にあたってくれるんですよ。本当に親身になってくれました。窓口が一本化されたことで、我々はプロダクション完了まで待つのではなく、アイデアの醸成段階から疑問点を洗い出し、先手先手で問題解決へむけ努力することができたんです。

・協調的態度を心がけよう。「我々」対「奴ら」式の対立はしない

素晴らしい目標です。幸運にも我々の場合は「我々」対「奴ら」、あるいは「歴史」対「ゲーム」といった、本当にネガティブな意味での対立に至ることはなく、協力してひとつのものを作り上げる態度が徹底されていました。そうなったのも龍平のような皆さんに協力いただいたおかげで、全員が同じチームの一員として一緒に素晴らしいゲームを作ろうとしていました。チームとしての共同作業が鍵だったと思います。

・大事なのはあらゆる細部ではなく、信じるに足るだけの細部

細部をひとつ残らず完璧に整えることが肝心なのではない、という点は何度でも言いたいですね。コンサルタントの皆さんも、プレイヤーからその世界への信頼感やリスペクトを獲得できるだけの、特定の細部こそが要であるという考えでした。あとは、我々が「こんな作品が創れたら」と願っていた詩的なエンターテインメントを、いかにして創り出すか。次のセクションにも繋がる話ですね。ここまでは、我々がフィードバックにどう対処したか、そして娯楽性といただいた指摘が時折、どういった形で衝突していたか、という話題でした。皆さんの参考になれば幸いです。


◆INSPIRATIONS(インスピレーションの元となった創作物)

次のセクションでは、『ゴースト』がどういった作品からインスピレーションを得ていたかをお話したいと思います。別のエンタメ作品自体がある意味コンサルタント役になったりするんですよね。どんな作品がインスピレーションの元になったかをありのまま紹介します。
ここまでは、ゲーム作りを支えていただくため多方面から迎えた、専門性の高いコンサルタントたちの話題が多めでしたね。しかし、本作のアイデアが形にすらなっていなかった時代、もしくは自分たちが生まれてすらいなかった時代の偉大なクリエイターたちの作品研究も、我々は戦略として重視していました。日本のアーティストや映像作家、ゲーム開発者がかつての日本をどのように描いてきたのか、あるいは作品の舞台が架空の場所ならば、その中で日本という場所をどう表現してきたのか。我々のゴールは、エンターテインメント作品を作り上げることでした。もっと言ってしまえば、子供の頃から自分たちを刺激してやまなかった日本の芸術性と肩を並べるようなアート作品、かつゲーム作品をね。それは、何十年単位でエンタメを消費してきた我々自身の中にもしっかりと根付いています。ですから我々は、そういった影響力ある作品を見ることが自分たちの指針になると本気で信じてるんです。さて、では我々にインスピレーションを授けてくれた作品を紹介しましょう。その恩恵が目に見えるようになるまで時間がかかったとしても、我々が大事してきた作品たちになります。

(川瀬巴水の作「宮島乃月夜」の画像に「大胆な色づかい」「シンプルな質感」との文字列が)

ビジュアル面ではいくつか、特徴的なインスピレーションを意識することから入りました。川瀬巴水のような、日本の簡略化された絵柄のイラストレーターたちです。彼らの特徴はディテールを抑えた木版画作品で、大胆かつ高コントラストでありながら、非常に力強い作風なんです。このイラストレーションには石や砂などは描き込まれていませんが、印象的なフォルムや大胆な色彩が使われており、画面の要素がよく絞り込まれていますね。簡略化されたスタイルと雰囲気は、傑作ゲーム『ブレス オブ ザ ワイルド』にも重なる部分が大きいです。こちらも抑制がきき、かつ統制のとれた色づかいが素晴らしい。この一面同じ種類の見事な草。いかにも優しく風にそよいで、美しいですよね。どちらの作品にもノイズの少なさ、色調と彩度の強さがあり、選び抜かれた要素でよくまとまっています。で、問題はこういったインスピレーションを、よりリアルな大作サムライゲームに活かすことはできるのかという点だったんですが、かなり難しいことがわかりました。我々は本質的に西洋のゲーム開発者で、それまでの路線を離れて一般的なリアリズム路線へ向かおうとしていたんです。ゲームに共通の目標はリアルな世界を作り出すことですが、完成させたばかりだった『セカンド サン』では、リアル要素と辛口な世界観を少々取り入れ、シアトルをまったく違う雰囲気の場所にしていました。なので懸命になってその方向性を追求していたんですが、どうにもしっくり来なかったんですよ。没入感には乏しいし、あまり印象的でもない。いまお見せした参考作品ともまったく違った感じでした。そんな折、開発が始まって間もない段階で吉田修平さんからフィードバックをいただきまして──私は彼の言葉に、我が意を得た思いだったんですが──「自分の思い出の中の日本はもっと緑が豊か。そこが足りてないかな」と言われたんです。この「思い出の中の日本」という言い方、すごくいいなと思ったんですよね。思い出というものはあやふやで、こまごました細部のひとつひとつまでは見えていないものでしょ? ぐっと来るものといえば──目を引く要素が何かしらあるんですよね。つまりシダが生い茂る森を作るのなら、

(シダの森の写真を2種類表示する。左は様々な植生+シダの写真、右はより鮮やかで、同じ種類のシダのみが目立つ写真)

葉の種類をひとつに絞った森を作れば「思い出の中」という方向性を一気に押し進められるのに、左の方を選ぶ必要なんてまったくないわけですよ。プレイヤーには思い出の中のシダの森にいる気分でいて欲しいのに、情報量の負荷が高すぎる。こちら(右の写真)は彩度の高さや緑の濃さがより強めです。できればプレイヤーがそこから離れる時には、「今の、シダの森だったなぁ。また行こう」という気持ちになってもらいたい。先程ふれた参考作品にも通じる話で、川瀬巴水のイラストレーションなんかはまさにそうですよね。我々の琴線に触れるものがあり、ゲームもその方向性で進めることにしたんですが、そうしたらもうビジュアルが炸裂しまして。壮大で美しく、簡略化されていながら、骨太な世界観も備えたリアルさが、ゲーム内の至るところで見られるようになったんです。緑の種類を絞り込んだりして簡略化しているのにリアルな特性がある、そこが肝心要のポイントだったんですよね。(再び川瀬巴水の作品を示しつつ)この感じへ寄せていく上で、視覚的なノイズの抑制を重視して作ったのがこういうツールになります(情報密度を色で視覚化するツールのサンプル画面を表示する。写真は城の塀)。弊社のアーティストたちが、ゲーム内でノイズの多すぎる箇所を発見するためのツールです。赤色になっていればノイズが多すぎるということなので、アーティストが余分なノイズの除去を試みます。これなら迅速かつ簡単に石垣のテクスチャを探し出せるんですよね。見事なテクスチャなんですが、かなりノイズが多いので、フレーム内に不要なリアルさは加えず、むしろ簡略化して我々の目指すアートスタイルにふさわしい形に仕上げるんです。川瀬巴水のようなビジュアルを狙いとしてオープンワールドゲームを作っていたわけですから、うってつけでしたね。こうしてたどり着いたのが、映画的、様式的で、緑の種類こそ最小限にしているれど非常に色彩豊かでインパクトの強い景観でした。テクスチャ面ではできるだけノイズを取り除いています。このトピック全体、あるいは講演全体のテーマでもありますが、細部が肝心というのはこういうわけなんですよね。そして細部へのこだわりの結果が多種多様なバイオームやアートスタイルとなって、ファンの皆さんの心に響いたんです。
(下は2018年のE3でのデモ映像と、2020年に発売された製品版の徹底比較動画。ジェイソンの言うノイズ量の調整前と調整後の違いがよくわかる内容だ)

しかしもちろん、スタイルや色づかいがすべてではありません。ゲームの流れを変えるようなインスピレーションを得た分野は、他にも山ほどあります。シネマトグラフィーに関しても、どういうタイプに刺激を受けてきたかはいくらでも語れてしまいますが、新旧のサムライ映画を大量に見た、とだけ言っておきましょう。我々はそうやってパターンを探していたんです。参考にした映画でよく出てきたパターンのひとつは、たとえば人物や被写体を中心に据える構図ですね。本当にど真ん中に置いてるんですけど、構図としては非常に均等でもあります。そういったパターン探しと、マーケティング面であれ、実際のゲームのシネマトグラフィーであれ、見つけたパターンを自分たちなりの形で活用できる隙はないか、ということも検討してました。我々と同じくこの手の映画を見てきた他のファンには、絶対に響くネタになるはずですからね。
パターンのもうひとつはこれ、「決闘」です。

(ゲーム内より、ボスキャラとの一騎討ちシーンが表示される)

サムライ映画を見たことがある方ならお分かりでしょうが、決闘シーンの目玉は決闘じゃないんです。美しい景色の中に佇むふたりの荒武者の間に漂う、肌がひりつくような緊張感なんです。周囲の何もかもがこんなにも美しいというのに、ふたりの間には静かな緊張感がありますよね。ちなみに、私はサムライ映画を見て育ったわけではありません。アメリカに住む皆さんの大部分がそうかもしれませんが、より馴染みのあるジャンルである西部劇を見て育ちました。西部劇にも同じような決闘シーンがあるのは、日本の映像作家たちが西部劇からインスパイアされたからなんです。ふたりのガンマンの間にも、刀を持ったふたりの剣士の間にも、肌がひりつくような同じ緊張感が存在してるんですよね。サムライ映画のリアルかつ人間的な要素に、既視感まで感じるわけですから、ゲームに取り入れて活かさない手はありません。そこで生み出されたのが、数ある個別決闘パートでした。決闘はユニークな背景、実に美しい背景アートの中で行われます。通常、決闘相手と主人公の間には人間くさいストーリーがあって、内容は相当シリアス、かつかなりタフでもありますね。音楽が入る前にはイベントシーンもあり、刀を合わせる前の緊張感が一番引き立つ作りにしてあります。後には、システム上の決闘である「一騎討ち」という要素も作りましたね。自己判断でより頻繁に決闘へ入れる仕組みで、我々にとってはあの緊張感をうまく盛り込むことが鍵だったんです。

インスピレーションの元になってくれた本も、1冊や2冊ではききません。グラフィック・ノベルの娯楽作であれ、歴史の理解の一助となるノンフィクションや文献類であれ、大いに学ぶところがありました。

(書籍のカバーが表示される中に、『子連れ狼』英語版や『The Mongol Invasion of Japan 1274 and 1281』というタイトルが見える)

娯楽をベースとした小説やグラフィック・ノベルの至芸からは、人同士の繋がりや色々なタイプの複雑な人間模様、たとえば小さな子供を守るとか、寝返るかもしれない人間との裏切りにまつわる関係であったりを学びましたね。またどんな形で元寇を描けばいいのかは、間違いなく歴史書を参考にしました。歴史書に助けてもらった部分はゲームにも順当に反映しているつもりです。書籍類にも目配りはしてます。

リサーチと、インスピレーションの元となったエンタメ作品が重なってくる場合もあります。歴史面のリサーチと、我々のサムライ映画愛が重なる場合がね。ある注目すべき経緯で、本作にはとんでもなく面白い、新基軸のアイデアが生まれたんです。我々はクロサワ映画の大ファンなんですが、彼の傑作サムライ映画には吹きすさぶ風と、風に揺れる様々なものの動きが出てくるでしょう? しかし先ほど軽く触れたように、風は1274年の元寇でも大きな役割を果たしていたんです。「神風」と呼ばれる大風が蒙古軍を海へと押し返し、一度ならず二度までも日本を守った、という言い伝えですね。本当にとてつもないストーリーなのでこれは大々的に取り上げるべきだろうという話になり、最終的に、風はゲームのある機能の担い手にもなりました。未プレイの方に説明しますと、本作にはミニマップやコンパス類がなく、風が案内役になってるんですよ。目的地を設定すると、ゲームのパーティクル効果が次の行き先へ向かって風に吹かれるようになってるんです。数えきれない理由で楽しい決定でしたが、歴史面のリサーチと理解、我々を大いに刺激してくれたサムライ映画鑑賞の何年間かがなければ、風を案内役にしようという発想は出てこなかったでしょうね。そこに至るまでに色んなアイデアも出し合ってましたし。こういったテーマの重なり合いから実に詩的かつ格好の特色が生まれ、ゲーム全体を様々な形で押し上げてくれたと思っています。

さて。開発が終盤にさしかかった頃合いでは、巡り巡った末に最大級のインスピレーション元に立ち返るような出来事もありました。我々がクロサワに触発されてきたという話は先ほども言及した通りなんですが、ゲーム内に「クロサワモード」というものを入れることになったんです。クロサワの権利団体にゲームを見てもらい、何度かやりとりをしたり、先方からの質問に答えたりして、我々が作ろうとしている作品をありのままに紹介した結果、導入が決まったものです。本作の大部分はもちろん、クロサワ映画の名作の美術、シネマトグラフィー、ストーリーテリングから影響を受けていますから、関係先と繋がりを持たせてもらえたこと、モードを入れたこと、彼の名を冠させてもらえたことも大変光栄でした。やはりゲーム好きであれ、サムライ映画好きであれ、我々の最大のファン層が一緒に楽しめるクロスオーバーになりますからね。実現したのは開発の仕上げ段階でしたので、チームの全員にとって苦労が報われるような瞬間でした。

◆おわりに

では、ここまで話してきたことをちょっと振り返ってみましょう。
まずは『ゴースト』の発端。シンプルなプレイヤー・ファンタジーという構想から始まったものの、主人公はあやうくサムライではなくなるところだったという話でしたね。どうやって開発したものか見当もつかず、不安だったためでしたが、当初の案に立ち戻っておいて良かった。我々にとっては正しい選択でした。そういった問題や課題と正面から向き合い、不安に負けて自分たちの夢を手放さなかったことも、心から良かったと思っています。
そして、我々がちょっとモブ的な立場に甘んじるまでの道のりと言いますか、人から教えを請うということ、言うなればものを教わるコツですかね(笑)。先手先手で動き、ゲーム開発の助っ人となってくれた、たくさんの素敵な皆さんと新たな人間関係を築いたこと、そんな話も少々させてもらいました。
人間関係を育む苗床となったのがここですね。(「HISTORY VS GAME」の文字列が表示される) ゲームと本場らしさ、史実とエンタメ作品づくり、オリジナルストーリーと実際の事件の流れ──そういった事柄の間で起こる込み入った問題を解決するなかで、我々とコンサルタントの皆さんとの距離も縮まり、活力あふれる人間関係を築くことができました。我々の実際の対処例を共有することで、皆さんにとっても役立つセクションになっていれば幸いです。
最後はこちら。ゲームを作ることになるはるか以前から、我々はサムライ映画というジャンルのファンでした。「自分たちもこんな風に表現したい」、「あんな風に鑑賞してもらいたい」と思った部分を我々なりの描き方で世に出してますから、インスピレーションを与えてくれた作品はやはり大事です。それにこういったインスピレーション元は、時にはそれ自体がコンサルタントのように作り手を導いてくれるものなんです。人間の方のコンサルタントはゲーム内の日本の表現がどういう印象になっているか、あるいはなっていないかフィードバックをくれますけどね。インスピレーションはそもそもの出発点みたいなものですから、ゲーム全編を通してなくてはならないものなんです。

まとめると、大規模なエンタメ作品の制作は5年がかり、6年がかり、とにかく長年にわたる大仕事になります。工程も非常に込み入っているので、完成まで漕ぎ着けるだけでも奇跡のようなものなんですよ。

(画面上に「なぜ、それが重要なのか?」の文字)

つまりは、何年も基準点について話し合ったり、名前をつけ直す労力を割かれたりして、なんでこんなにやることが多いんだろ? と自問したりもしながら、余分な仕事を山のようにこなすことになります。我々が心から作りたかったのは、自分たちとは異なる文化を、配慮をもって表現するゲームです。これは責任感を伴う仕事です。そして、先ほど言及したサムライ映画やゲーム、書籍類の名作と同じく、幅広いオーディエンスの心に響く作品にしたいのなら、並の注意の払い方では足りません。真剣に取り組む必要がありました。その責任たるや間違いなく正真正銘の、大変重いものですし、多大な気力と忍耐力も要します。大概のことがそうですが、とくにこういう作品では周囲の人たちとの関係性の強さも求められますね。開発の過程で育まれたチームは、あなたが作るゲームの出来に大きな変化をもたらすかもしれませんから。

というわけで我々は、いい結果が出たことを光栄に思っています。ここに至るまでにあった思わぬ不運や判断ミスからも多くを学びました。しかし、本プロジェクトに協力いただいたコンサルタントの皆さん、ならびに日本のチームメイトの皆さんには、言葉では言いつくせないほど感謝しています。ローカライズチームの方々、日本で音声素材の収録にあたってくださった方々、数え上げたらキリがありません。ですから世界中に、声を大にしてお礼を言わせてもらいます。我々のプロジェクトに、一度でも指導やフィードバックを下さり、自分たちが作っている作品への理解を深める手助けと、素晴らしいサムライゲーム、素晴らしいサムライメディア作品という期待にふさわしいものを作れるよう手助けをして下さったことに。太平洋の向こうから封建時代の日本の再現にご協力いただいた皆さん、誠にありがとうございました。ではご静聴、感謝します。またSucker Punchは現在スタッフを募集しておりますので(※2022年4月末現在、募集告知が掲示中である。Sucker Punch Productions公式ページはこちら)、新たな冒険をお求めの方、どうぞよろしく。