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『SHŌGUN』リメイク版 樫木薮重にまつわるエトセトラ

2024年2月末から配信が始まったリメイク版『SHŌGUN』も、残すところあと2話となった4月上旬。第1話目からトリックスター的な立ち位置で異彩を放ってきた樫木薮重に関する記事が多くなってきたので、これまで見聞きしたスタッフ、キャストのインタビューとともに関連情報をまとめてみました。




◆ブラックソーンと薮重

①出会い方について
公式ポッドキャスト第2回より抜粋

エミリー・ヨシダ(脚本家兼ポッドキャスト司会、以下Y): ブラックソーンと薮重の間柄には、何とも言えない味わいがありますよね。あのふたりの関係性についてはどうでしょう?

コズモ・ジャーヴィス(以下J、ブラックソーン役): 相手も何かと必死に戦ってる人間だということを、お互いにわかりあってる間柄だと思いますね。戦うといっても特定の何かではなく、それぞれの人生に抗ってるというか。そういうところはふたりが置かれていた状況や、薮重のある種の反骨精神からも明らかなんじゃないでしょうか。ブラックソーンは汎言語的というか、非言語的なコミュニケーションのみで薮重に親近感を抱いてるんですけど、相手が闘志に溢れた人間だということや、不可解なことも多い点はありありと伝わっていますよね。たとえばこう、敵役になれない敵役、みたいなところもあったり。敵役というのは誰にもあまり好かれてはいけないものなのに、薮重は妙に人好きがするんですよ。ブラックソーンも彼を憎みきれてはいないと思う。あの崖でふたりの間には、どんな言葉も超越したコミュニケーションが成立してましたし、薮重には何かしら人間臭さがありますから。あと彼がブラックソーンをからかう時の態度は自分がカソリック相手にとる態度と似ているので、ブラックソーンはすぐそうとわかっているんじゃないでしょうか。野蛮人と罵ったり犬のように吠えさせたり、私は犬ですと言わせてみたり、自分と同じような絡み方をしてくる点にも一目置かずにはいられないんだと思いますよ。見事なまでにめちゃくちゃな形ではあっても、ふたりを結びつけているのはお互いの最悪の特徴なんじゃないでしょうか。

Y:カメラ外での浅野忠信との関係はどうでした? 現場では相当アドリブがあったと聞いてますけど(笑)

J: ええありました、折々に(笑)。お互い、脚本に書かれたセリフの合間に何かしらやれることを探そうとしてましたね。自分はアドリブをやり慣れてる方ではないんですけど、タダノブってこっちを巻き添えにしてくるんですよ(笑)。言葉の隙間に入れてくるアドリブの声に、セリフでは言い表せないような情報量が乗っている場合もあったりして。最高でしたね。一緒に仕事するのが楽しかったです、すごい俳優ですよ。

②第8話の「盟友」関係に至る経緯
コズモ・ジャーヴィスの「GQ」インタビュー記事より抜粋

J: (第8話でのエラスムス号クルーとのほろ苦い再会シーンについて)あそこは自覚の有無にかかわらず、ブラックソーンが日の本に馴染んできた点について、いい具合に多義的なシーンに仕上がったなと思ってますね。原作からの大きな改変は、エラスムス号のクルーであるソロモンが、ブラックソーンの本性を真っ向から突きつける唯一の人間になった点です。お前は名をあげて富を手に入れたいだけの、自分勝手な航海者じゃないか、とね。痛いところを思い切りつかれたものだから、ああいう終わり方になったんですよ。図星だということはブラックソーン本人も自覚しています。多義的という言葉を使ったのもそのためで、あのシーンは「俺はもうお前たちとは違う、こんな不快な連中だったとはな」なんて単純明快なものじゃなく、もっと入り組んでるんですよね。ブラックソーンは今の自分が何なのかわからなくなっていて、そのことを如実に物語るパートなんです。もうただの野心に駆られたいち船乗りではなくなって、元の仲間とは馴染めなくなってしまった。でも同時に、彼らを厄介ごとに巻き込んでしまったのは自分だという事実とも向き合わないわけにはいかない。含みが多いシーンなので、遊びの余地も広かったですね。

──あのシーンの後、ブラックソーンは「仲間もよくわからなくなった」と口にしていますが、虎永への務めもなくなった今、日の本にいる目的が宙ぶらりんになってしまったことを彼はどう感じでいるんでしょう?

J: ブラックソーンの目的は、シリーズ全体を通じていつも後回しにされています。だから何度も「とにかく船と仲間を返してくれ」と言っているんです。でも今や旗本の地位を得て、ポルトガル相手に戦いたい気持ちもある。虎永の敵を倒す手伝いをしたいのか、実はそれもリップサービスで、本音はただポルトガル人を殺したいだけなのか? 第8話の終盤時点でのブラックソーンは、本当にどうしようもなくなって途方に暮れてると思いますよ。船の仲間とは相通じるものがなくなって、むしろ帰国もままならない国へ連れてきたことを責められている始末ですからね。だから一から新たなプランをやり直したくなって、薮重を頼ったんです。あの時点でのブラックソーンと何がしかの共通点ある相手は、薮重ぐらいしかいなかったんですよ。ふたりとも同じくらいクレイジーな人間ですからね。虎永なら許さないような相手とも、薮重だったら戦わせてくれるかもしれません。新たな道を切り拓こうと、藁をもつかむ心境なんです。

公式ポッドキャスト第8回でのショウランナー、ジャスティン・マークスの話

ジャスティン・マークス: 他に道がなくなったブラックソーンは、あらゆるレベルで自分の分身とも言える薮重を頼らざるを得なくなります。薮重というのはブラックソーンもそうであるように、体中の穴という穴からウソを吐き、生きることへの執着を強みとする男です。ブラックソーンと薮重は、あの崖でお互い目を合わせた第1話目から、精神的に切っても切れない間柄になってるんですよね。違う文化に属してはいても、色々な意味で同じ人間なんですよ。ふたりの間に生まれたバディ喜劇は気に入ってますね。見方によっては悲劇かもですが。ようはブラックソーンと仲間のシーンを、彼が薮重の腕に飛び込まざるを得なくなる理由づけに使ったんです。そこは原作に我々が潤色を施したところですね。


◆薮重役について

ここからは薮重役・浅野忠信本人のインタビューを抜粋します。

「The Hollywood Reporter」記事より

──実は私、伊豆半島の自宅からZoomをつないでいるんですよ。ここはちょうど薮重の領地でしたよね。ということは、理屈の上だとあなたは私にとってもお殿様にあたるのではないかと思うんですが。

浅野忠信(以下A):あ、本当ですか? ならばいかにも、わしこそがその方の主君じゃ!

──殿、恐悦至極に存じます。あれこれとお訊ねする不調法、ひらにご容赦のほどを。

A: 苦しゅうない、続けるがよいぞ(笑)

──最近の販促資料を見ると、FXは薮重を「カリスマ性とウィットに富む浅野の薮重は、恐ろしい封建領主ながら酒を酌み交わしたくなる」キャラクターだと解説していました。あなたの演じる薮重の楽しい一面を言い当てていますよね。それで伺いたいのですが、薮重の人となりをよく知るあなたとしてはどうでしょう。彼と酒を酌み交わそうと思いますか?

A: 薮重とですか? はいと言いたいとこですけど、生きながら釜茹でにされるリスクもあるし一緒に呑みたくはないかな。薮重のことは深いところまで研究して、知りすぎてますから。彼はこちらが酔っ払っていても、自分だけは水をすすって酔ったふりだけするような男ですよ。ただ相手より優位に立つためにね。酒の誘いが来ても断ります。

──キャラクターとしての彼には、どんな印象をお持ちですか?

A: 薮重と同じような境遇の人は普通、プレッシャーや絶大な権力に頭を押さえつけられていて、上に対して疑問を抱いたり、異を唱えることもめったにしないでしょう。でも薮重は違うんです。権力もプレッシャーもきっちり認識した上で、それでも疑問は口に出すし、行動にも出す。「こういう真似をしてみたらどうなるか」を常に考えているんです。策略家ではあっても、ある意味では正直者でもあるんですよね。いつも面白いことを企んでいる人間です。

──役を演じるにあたっての準備はどうでしたか。クラベルの原作は読まれました?

A: 原作は未読ですが、原作にかなり忠実だという脚本は相当読み込みましたよ。キャリアの初期に仕事したとある監督から教わった手法なんですけど、脚本を何度も何度も読み返すんです。ただ読み直すんじゃなく、別のキャラクター目線からストーリーを想像して、自分が彼らひとりひとりを演じているつもりで読むんですよ。そうすると自分が担当する役だけじゃなく、ストーリーへの理解も包括的になります。このプロセスが、非常に多面的な薮重というキャラクターを演じるにあたってはとくに役立ちましたね。

──演技を組み立て始める際に大事にしていたディテールには、どんなものがありましたか?

A: 脚本を読み込んでいた段階ではストーリーの全体像を把握できていたわけではなかったんですよね。撮影はだいたい時系列順に進んでいて、脚本もブロック単位で貰っていました。たとえば第2話では薮重が崖の上で、ブラックソーンに試されていると感じるシーンがありましたよね。薮重は家来に危険な崖下りをさせるのではなく、自分がやるべきだと決めます──ブラックソーンの目を意識してね。あの短いシーンから薮重の人間性を垣間見て、そこからその一面を発展させました。薮重はよく、他のキャラクターが自分をこう見ているのではないか、という推察に基づいて自分を理解してるんですよ。脚本ごと、状況ごとにまた別の薮重のピースをもらって、そこから役を積み上げていった感じです。より楽しく、面白く薮重を表現する方法がないかはいつも意識してました。

──私にはある意味、西洋人目線、また現代の日本人目線で見ても、薮重は相対的にもっとも今時感がある印象なんですよ。他のキャラクターは自分たちの主君なり、信仰なりへの責務に深く縛られていて、ブラックソーンすらある程度は自分の教会や国との関係から己の目的を語っています。でも薮重はいつも自分の私利私欲と忠誠心のバランスをとっていますよね。ただ同時に、あなたの素晴らしいお芝居のおかげで、薮重は完全にあの時代の人間、あのストーリーの世界の中で息づいている人間にも思えるんです。

A: おー、ありがとうございます! 僕は全部、脚本に書かれていた通りに演じたまでなんですけどね。とにかく脚本に忠実に、一切編集を加えないように芝居したんです。全部脚本に書かれてますから。でも確かに、キャラクターには自分も投影して、今言って下さったような形でいかに現代の視聴者に親近感を持ってもらうかはよく考えてましたよ。ですからその配分も、脚本のスピリットに忠実であろうとした部分と、自分を出した部分とに由来してるんじゃないでしょうか。


◆薮重の第一印象

・以下は「ScreenRant」記事より

A: 最初に脚本をいただいて思ったのは「面白いキャラクターだな」ということでしたね。でも役者が脚本を読んで自分のキャラクターをそう感じる時っていうのは、だいたい罠なんですよ。「面白いキャラだから演じられるぞ」みたいに思いがちなんですが、実はそれが一番難しいですからね。面白い脚本から面白いキャラクターを演じてみせる方が大変で、脚本の出来が良くなければなおさら大変なんです。だって「役は面白いけど、自分の芝居だけで観てる人に面白く思ってもらうにはどうすればいいんだろう」となりますからね。役者の腕次第で決まってしまいますし。でも悪役ならたくさんやってきたので、これまでの役から学んできたことを最大限に活かしたいとは思ってましたよ。


◆「歩く死人」としての薮重

A: 薮重は関わりあう相手や出会う相手の全員を観察して、次はどうするのか出方を伺ってるようなところがありますよね。時にはそれが面白くてたまらない。「おっ、そんなカードを切って来ますか。面白い。この人ならどういう風に自分を殺してくれるだろう?」と思ってるんです。基本、そういう考え方をする人間なんですよ。自分がそのうち切腹を強いられるだろうこともわかりきってるんです。どのみち殺されるなら、どの陣営にいようが「この相手にこう言ったらどんな反応が返ってくるだろう」とか「こんな風にちょっかいかけたらどうなるだろう、もっと面白い死に方させてくれるんじゃないか?切腹どころか、生きたまま釜茹でもありうる。じゃあやってみよう」みたいな調子なんですよ。他のサムライたちは「御前で死ぬことができ武士の誉」というタイプでも、薮重は違う。そういう人間ではないんです。8話目あたりでは、「やっぱり虎永に忠誠を誓ったままの方が、一番面白い死に方になるかもしれんな」と決めたんじゃないですかね。(8話の虎永の行動については)これまでよりいっそう虎永を面白がるようになったのでは。たぶん「この上まだどんな隠し玉があるんだろう? 何を企んでる? この人ならどんな風に自分を殺してくれるだろう」と思ってますね。


◆央海と薮重

A:ドラマの中での薮重と甥の央海の関係も面白いですけど、僕と央海を演じた金井浩人も面白い関係になれたんですよね。本当のおじさんみたいに、気心の知れた仲になれました。役者同士の関係は画面にも滲み出ていると思いますよ。他の演者は知らなくていいような秘密もたくさんありますし──些細なことですけど、お互いにしか打ち明けないような秘密がね。あの二人の関係は面白いですよ。薮重は威張り散らしてはいますけど、細かいことは苦手なので全部央海に任せてるんです。甥に対して偉そうなわりに、細かいことを引き受けくれるものだから頼りきりなんですよね。あと番組を観てる皆さんは気づいてないと思いますがひとつ、すごくいいなと思っている細部は、甥の央海の方が叔父の薮重より上等な刀を使っているという点なんです。理由は、央海の方がちゃんと刀を大事にするから。薮重だったら家来に「刀をよこせ」と言って、誰かを斬ったらそのへんに放り出すんじゃないですかね。だからいい刀は持ち歩いていないんです。そういう細部のリアルさは、とても気に入ってます。