aki.

鍵盤弾き|エッセイ

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最近の記事

伴奏者のいた場所

舞台上へと続くドアが、音もなく開かれる。 相方が私の方を向いて、母を求めるような目で必死に笑顔を作る。 微笑み返すと同時に、ステージマネージャーから声がかかる。 toi toi toi, その声に軽く目で会釈をして、木目が飴色になった床板に、一歩目から迷いなく足を踏み出す。 最初の数歩は下を向いて。 それから、少し顔を上げて拍手の音を見る。 譜面台に楽譜を置いて、目の前に立つヴァイオリニストの肩越しに光る会場のライティングに目を細める。 ゆっくりと頭を下げて腰を曲げると、

    • 梅仕事のない、夏のはじめ

      薬局帰りの袋を片手に、二つ通りを進んだ角にある老舗の八百屋に足を踏み入れる。 起き抜けに自転車を漕ぎ漕ぎやってきた商店街は、まだ昼前だというのに、うだるような暑さだ。 夏は盛り、梅雨に差し掛かったこの季節は、赤く熟した梅の実を見繕う時分。 昨年漬けた梅干しが実に美味しかったので、今年はたくさんの梅を漬けるつもりでいた。 「お姉さん、何か探し物?」 一年ぶりに聞く声の主は、このお店を切り盛りしている八百屋の女将さん。 梅の実を探しにきたのだと言うと、女将さんの眉が下がった

    伴奏者のいた場所