見出し画像

貳零貳肆年五月二十六日星期日『嗱,我哋最低限度都唔會畀人打呀,我就情願畀阿媽打呀。』

【音】
na6, ngo5 dei4 zeoi3 dai1 haan6 dou6 dou1 m4 wui6 bei2 jan4 daa2 aa1, ngo5 zau6 cing4 jyun6 bei2 aa3 maa1 daa2 aa3
出典:粵語審音配詞字庫

【意】
いいか、俺たちは誰かに叩かれるのは絶対に避ける。でも母ちゃんに叩かれるのは仕方ない。

【出典】
1977年の香港電台連続ドラマ『小時候 When We Were Young』第一回「哥哥和妹妹」で、兄の何家其(王書麒)と妹の何小敏(路家敏)が階段に座って交わす会話。「哥哥呀,移民係點㗎?=兄ちゃん、移民ってどういうこと?」「移民就係搬去第二度。=移民ってのは別の所へ引っ越すことだよ。」「咁巴西係點㗎?阿叔話喎,巴西係好大好大嘅,仲有好多咖啡同埋成日有足球比賽嗰喎。=ブラジルってどんなとこ?おじちゃんがブラジルはすごくすごく広くて、いろんなコーヒーがあって、いつもサッカーの試合やってるって。」「點解爸爸媽媽要去巴西呀?=父ちゃんと母ちゃんはなんでブラジルに行くの?」「或者媽媽鍾意飲咖啡啦。=母ちゃんがコーヒー好きなのかもな。」「爸爸都唔鍾意打波嘅。=父ちゃんはサッカーやらないよ。」「或者嗰度啲屋𡃁呢。=あっちの国の家には綺麗な家がいっぱいあるのかもな。」「呢度唔𡃁咩?=ここの家じゃダメなの?」「佢哋要賺錢返嚟養我哋㗎嘛。=沢山稼いできて俺たちを育てなきゃいけないからだろ。」「呢度唔賺得咩?=ここじゃ稼げないの?」「或者佢哋想賺多啲錢呢。=もっと沢山稼ぎたいんじゃないかな。」「賺咁多愛嚟做咩呀?=そんなに稼いでどうするの?」「賺多啲錢可以開心啲吖嘛。=沢山稼いだ方が楽しいだろ。」「我依家夠唔開心咯!=今、全然楽しくないもん!」(有兩個細路喊住被佢哋阿媽捉住拖番屋企=泣いている子供二人が母親に家の中へ引っ張り込まれる)「嗱,我哋最低限度都唔會畀人打呀,我就情願畀阿媽打呀。=いいか、俺たちは誰かに叩かれるのは絶対に避ける。でも母ちゃんに叩かれるのは仕方ない。」

【解説】
70年代の香港は経済が上向き出したばかりで、生活環境はまだ良いとは言えなかった。当時の南米の国家、例えばブラジル、アルゼンチン、ヴェネズエラは経済発展のスピードが速く、平均収入が香港、シンガポール、韓国、台湾より高かったので多くの人がチャンスを求めて南米へ渡った。

【Copyright】
貳零貳肆年 廣東話通曆『流金香港歲月 影界傳流的廣東話』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?