いのちはみんな 星のかけらでつながった家族
どこにもいかなくても この やわらかい くうきと ひかりを ずっと あじわってる
朝焼けのなかを スローモーションのように しぶきがおちていく
みなみかぜ 潮のにおい そうだよね 日本ってこんな感じだったよね と おもいだすような ごほうびのような 日だなぁ
新緑の雨の日は、川のそばでせせらぎをきいているみたいだ。
もしかしたら、わたしたちは、 葉っぱみたいなものなのかもしれない。 葉っぱが、こうなりたい!と思うのもいいけれど、 でも、本当は、枝の動きや、風の動きとひとつになって揺れているのが、 葉っぱとしての至福なんじゃないかな。調和がとれた状態なんじゃないかな。 葉っぱは、枝とつながっていて、そのさきの幹とつながっていて、 さらにそのさきの根っこや、土や、地球とつながっていて、 そのつながりのなかで、葉っぱがある。 葉っぱは、葉っぱであって、 木の願いであって、地球
ひとりの人生でできる仕事、そしてひとりの人間の一生では完成を見届けられない仕事について、考えていた。 森は、百年ものを時を経てつくられてゆく。平和、といったものも、もしかしたらおなじか、それ以上の年月がかかるものなのかもしれない。 そう考えると、すこしだけ希望がわいてくる。顔を上げて、自分のできるところまで進もう、と思うことができる。 ひとりの人間の一生では育みきれない、この、たましいのバトン。それをつなぎながら、わたしたちは生きているのだと思う。