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魂よ、どうか星海へ

前回

「コロス…」
足元から不意に立ち上がってきた呪詛の言葉は、叩きつけるような豪雨の中にあって、たしかにソフィアの耳に届いた。迂闊。あの人馬一体のルカヴィ、シュミハザは自在に霊魂や死者を操るとされる存在。突然足元から敵の尖兵が現れてもおかしくはないというのに。

脛が強い力で締め上げられる。落ち着け。ソフィア振り向きざまに足元へ剣を振り下ろす。それで終わるはずだった。その死霊の顔を見るまでは。

「ユンブ…?!」

不浄の泥濘にまみれたぼろぼろの死霊は、かつて自らが手にかけた敵将「恩徳のユンブ」に他ならなかった。殺した相手と戦場で再び相見える事など、もはや珍しい事でもない。だがそんな現実に慣れてしまえるほど、ソフィアの心は壊れていない。コンマ数秒、振りが遅れる。戦いにおいて、それは命取りの遅れだった。ユンブの濁った瞳に怪しい光が灯る。

「コロス…!」

華奢な見た目に不釣り合いな凄まじい力で、ユンブはソフィアを引き倒す。剣は空を切り、その手を離れ泥濘に落ちた。

「コロスコロスコロス!」

倒され天を仰ぐソフィアの視界を、土気色のユンブが塞ぐ。馬乗りの体勢になったユンブはソフィアの喉笛めがけて噛み付いてきた。ソフィアはすんでのところでそれを押し留める。

耳元でがちがちと打ち鳴らされるユンブの牙。豪雨はますます激しくなり、戦場は混沌を深めていく。泥の中で揉み合う騎士とゾンビーに構う余裕のあるものは誰もいない。膠着状態の中、ソフィアの心にも仄暗い影が差し込み始めた。幾多の戦いで少しずつ傷つけられた心が、無慈悲なる戦場すべてを憎むようけしかけているようであった。

「コロス!」

「お断りです!」

ソフィアは押し留めていたユンブの頭から手を離す。解き放たれた死霊の牙がソフィアの喉元に突き刺さる。激痛。どれだけ覚悟を決めていても、勝手に涙は溢れかえる。しかしその牙がソフィアの頸動脈をちぎり飛ばす前に、自由になった両腕はユンブの肩と腹に添えられていた。

「破ッ!」左肩口を引き込むと同時に、右腹部への短勁打突。ユンブをわずかに浮かび上がらせ、ソフィアは馬乗り状態から脱出を果たした。かつて格闘士ギルドで学んだ寝技の基礎である。

短勁の衝撃に呻くユンブが起き上がるより早く、ソフィアは愛剣を拾いエーテルを注ぐ。輝きを取り戻した刃がユンブの華奢な脚をその身体から分断した。

首筋に治癒魔法を施しながら、さらにソフィアはユンブの両腕を斬り飛ばす。ゾンビーやゴーレムのような痛みを感じない存在はまず行動力を奪うべし。もはや身体を捩ることしか叶わなくなったユンブはそれでもソフィアに呪詛の言葉を吐き続けていた。

…うるさい。うるさいうるさいうるさい!わたしだって、死にたくなかったんだ!殺したかったわけじゃないんだ!ざぁざぁと豪雨が降り注ぐ中、ソフィアは踵を上げ、ユンブの顔面に狙いを定める。もうこれ以上、呪詛を受け止められる余裕はなかった。

しばらく黙っていたユンブの唇が動いた。ソフィアは甲冑の踵を振り下ろす。

「嗚呼…みんな…どこに…?」

ソフィアの踵は、ユンブの顔のすぐ横にめり込んだ。ルカヴィを攻め立てるレジスタンスの砲撃音が響いた。

◆◆◆

「なにも見えない…ねぇ…皆どこなの…」

「…大丈夫です。みんなここにいますよ、隊長」

ソフィアは地面に転がるユンブに寄り添い、声を掛けていた。

「ごめん…ごめんね皆…。約束したのに…」

「いいんですよ。やっと会えたんですから、今はゆっくり休みましょう」

ユンブが本当はどういう人間であったのか。それはもう誰にもわからない。皆死んだからだ。それでも、どんな人間にも帰るべき場所があり、迎えに来て欲しい人は、きっといるはずだ。少なくともソフィアはそう信じている。

「あぁ…だめ…闇が…こわい…」

「大丈夫ですよ隊長。もう…何も苦しい事はないんです」

声をかけながら、ソフィアは神聖魔法の詠唱を続けた。ユンブの声はやがて聞こえなくなっていった。

「おやすみなさい…恩徳のユンブ」

神聖魔法が発動し、ユンブの身体は光の中に粒子となって消えていった。願わくば、その魂が星海に辿り着くようにと、祈りを込めた葬送であった。

ユンブが消えた後、ソフィアは泣いた。豪雨の中でもそれとわかるほど涙を流し、嗚咽した。戦場には陣形を立て直す号令が響いていた。

◆◆◆

「くそッ…前衛が足りてねぇな…」

死霊が放つ魔法の嵐を軽業で避けながら、サン・ゴッドスピードはシュミハザに攻めあぐねていた。ゾンビーを使った悪趣味な攻撃は止まったが、今度は魔法を使う死霊でこちらを焼き払ってくる。そんな攻撃に当たるようなサンではなかったが、切り札の剣戟を撃ち込める隙がまるでなかった。

「…オイ!お前ら、そんなとこにいたら死ぬぞ!」

レジスタンスも善戦しているが、ジリ貧なのは間違いなかった。そして、他の面倒を見れるほど余裕のある戦場ではない。死角から放たれた死霊の魔法弾がサンに殺到する。一瞬リレイザーの在庫を確認したサンだったが、その攻撃は突如出現した光にかき消された。

「…おっせーよ。お嬢様」

「ごめんなさい。ですが、もう大丈夫です」

光の翼が消えた先には、輝く剣と盾を構えた騎士がいた。

「わたしが来ました」

凛とした声が戦場に響く。
近くにいたレジスタンス達が歓声を上げた。

「さっすが。英雄様は違うねぇ」

サンはリンクパールで何事か話すと、戦場に散っていた見知った顔が集まり始める。即席の精鋭部隊が結成された。

「じゃ、守り手は任せたぜ」

「お任せを」

剣を回し、神聖魔法を起動する。すでに雨は止み、人馬一体のルカヴィ、シュミハザの異様はいやでも視界を埋めた。この異形のどこが目なのか判ったものではないが、その敵視はソフィアに向けられている。

「誰も、死なせませんから!」

騎士は誰よりも前に立ち、シュミハザへ挑み掛かった。

【了】

ザトゥノル高原のシュミハザCEで本当に感情をベコベコにされてしまい、なんとかユンブを救いたいと思って書いたもの。お互いユンブを討ち安らかな眠りを祈る話を書いていた私とテンさんは、そのあまりの末路の酷さに膝から崩れ落ちた。


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