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それでもあなたに生きて欲しい

流水が私の身体から汗と汚れを落としていく。その汗臭さを好む客もいるけれど、今日の相手…私の雇い主だ。そいつはまず入念に身体を洗えと言ってきた。どうせめちゃくちゃに穢してしまうくせに。私は無感情に身体を洗う。

「オイ!いつまでやってる!さっさと来い!」

自分で言ったことも忘れたのか。だが泡のまま出ていったところでろくなことにならないだろう。私は出来るだけ丁寧に身体を洗う。この後の苦痛を先延ばしするように。

不意に浴室の鏡が目に入る。齢19とは思えぬほど暗く沈んだ自分の顔がそこにある。

「いや、『英雄様』は風呂が長ぇんだったかな?研究熱心で助かるぜ!ヒャハハハ!」

強いられた編み込み髪。染められた金髪。生来の青い瞳。そうして私は『英雄様に瓜二つ』にさせられた。そして今日も私は『英雄様』として歪んだ感情をぶつけられるのだ。

◆◆◆

身体を清めながら、昔のことを思い出す。

いつからこうなってしまったのだろう。少なくとも物心ついた時は、パパもママもいた。貧しかったけど仲良く暮らしていた。ある日パパがいなくなった。今にして思えば、家の軒下にあったあの鉢植えは、ご禁制のソムヌス香を作る夢想花だ。パパはきっとなにかヘタを打ったのだ。

そこからママもいなくなり、ひとりぼっちになった私は路上で暮らす羽目になった。初めのうちこそ親切なストリートチルドレン達はいたけれど、その子達も、やがてひとりずつ消えていった。

持たざる女が進める道など、この稼業しかなかった。私は娼館で身を削って生きた。なぜ生きてるのかわからなかったけど、お腹が空くと苦しいので、仕事をして、食べて、眠った。

ある日、別の娼館の使いがやってきて、私を無理矢理引き抜いていった。気がつけば私は綺麗に着飾らせられ、よくわからない演技指導を施された。

「おまえは『英雄様』にそっくりなんだ」

私は顔も知らない『英雄様』として売り出される事になった。

その娼館は表立って看板も出していないというのに、毎日のように客が来た。目当ては当然、私。物珍しげに触れる者、気持ち悪い征服欲を吐き出す者、裏の店すら出禁にされるような酷い暴力をふるう者、たくさんの客が来た。誰もが私を通して『英雄様』を見ていた。

顔を傷つけられて客を取れない時だけが休みだった。逃げられないよう、牢獄のような部屋で寝かされた。顔が治らなければ苦しい思いはしないのに、渡された薬を丁寧に塗った。この顔も無くなったら、もう私には何もない。

『英雄様』の武勇伝はこんな私の耳にも入ってくる。『エオルゼアの守護者』『竜詩戦争を終わらせたもの』『紅蓮の解放者』。それを聞くたび、何が英雄だと憎しみを募らせた。でも今はもう何も感じない。『英雄様』の世界と私の世界は地続きではないのだ。私は誰にも顧みられず、遠からず、死ぬ。

シャワーの栓を閉める。もはや洗う場所はない。私は覚悟を決めてバスローブを纏い、浴室のドアに手を掛けた。傷を治した私の「具合」を確かめるとかで、私は今から雇い主に犯される。寝室からは何も聞こえない。いよいよ激怒する寸前かもしれないな。どうか今夜も、生きて帰れますように。祈るべき十二神様はどれだろう。今日もわからないままだ。

浴室から直接繋がった寝室は真っ暗だ。浴室から漏れるわずかな光が雇い主を捉える。ベッドで待っていたはずのその男は、何故かベッド脇で震えている。その理由はすぐわかった。差し込む光に隔たれた闇の中に、知らない人物が立っていた。

◆◆◆

「…殺しはしません」

闇の中の顔は見えないが、年若い女の声だ。しかしその声に込められた冷徹な怒りは、わたしがこれまで浴びせられたどんな罵声よりも深く恐ろしげだった。

女に踏みつけられているのか、男は床でもがくばかりで逃げ出すことが出来ない。階下の部下を必死に呼ぶ声が反響するが、一向に誰もやってこない。

「この顔を、忘れぬ事です」

一歩踏み出した女が光の中に姿を見せた。
編み込み髪のブロンド、青い瞳。
私とそれほど変わらない幼さの残る顔立ち。

まさか。

「…生涯、震えて眠りなさい」

女の手元から鋭い刃物が落とされる。足元の男の、最も醜い部分に向かって。私は思わず目を背けた。

炊事場で聞こえてくるような、ありふれた音がした。

すさまじい絶叫が響き渡り、消えた。死んだか、失神したか。私は耳を塞いでその場に蹲った。ああ、終わりだ。何もかも。目の前にいるのは『英雄様』だ。私を裁きにきたのだ。『英雄様』を冒涜したものとして。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

私は泣きながら謝り続けた。もうそれしか考えられなかった。

「ごめんなさい…ごめんなさい英雄様…」

「わたしは」

「ひッ」

「わたしは、ソフィア。…ソフィア・フリクセルです」

英雄は、名乗った。
誰もが知る、その名を。

「…あなたは?」

英雄はいつの間にか私の目の前で跪いていた。その目が、その顔がまっすぐこちらを見ている。

名前。私の、名前…。

「…パウラ」

誰も呼んでくれなかった、私の名前。

「私は…パウラ…です…」

ソフィアが私を抱きしめる。

「怖かったね、パウラ」

記憶の彼方のママのように、ソフィアは私を撫でてくれた。

「もう、大丈夫」

優しく、しかし力強い声だった。
何が大丈夫なのかはわからない。
だけど、そう信じられる、温もりがあった。

「オイあるじ!そろそろズラかるぞ!」

戸口から男の声。聞いたことのない声だ。ソフィアの仲間だろうか。

男の声を聞き、ソフィアは私を今一度抱きしめたのち、懐の封筒を渡してきた。手紙?

「もうすぐ銅刃団が来ます」

ソフィアは私の肩に手を置き、語る。

「とても暑苦しい雰囲気の隊長さんがいるはずです。その人に、この手紙を。きっと、良くしてくれます」

ソフィアはウィンクをして立ち上がり、戸口から入ってきたミコッテ族の男と視線を交わした。後ろにはアウラ族の女も居た。2人とも物騒な刃物を持ったままだ。

「下はともかく、表は大騒ぎだぜ」

「殺してませんね?」

「アンタがそれを言うかね…」

男は床に転がる雇い主を見て、呆れたように呟いた。

「殺しては意味がありません」

ソフィアは私の雇い主を見下ろして、再び冷徹な声になった。

「わたしに手を出したらどうなるか、広めてもらわねばなりませんから」

「おぉこえぇ」

「では、あとは手筈通りに」

「アイアイ」

「了解しました」

ミコッテ族の男とアウラ族の女は私を一瞥した後、カーテンの奥の窓から飛び出していった。ソフィアもそれに続く。しかし飛び出す直前、彼女はこちらを見て叫んだ。

「パウラ!」

「は、はい!」

「辛い時は、わたしを呼んで!」

ソフィアは迷いのない瞳で私を見ていた。

「夢の中だって、助けに行くから!」

それだけ言うと、ソフィアは窓枠から飛び降り、夜の闇に消えていった。

あとに残されたのは、私と、瀕死の雇い主。

「…現場はここだ!貴様ら!オレの美しい背中に続け!」

暑苦しい声が聞こえてきた。

◆◆◆

そして私は他の娘達共々「暑苦しい方」こと剃刀のフンベルクトに救われた。身寄りのない私達を駐屯所に迎え入れ、事務員として生き直す道を与えてくれた。聞けばフンベルクト隊長は、駆け出しの頃のソフィアに幾度も助けられたのだという。

「オレがどういう男だったか、アイツはしっかり覚えてたんだ。嬉しいぜ!」

隊長は誇らしげに肉体美を誇り、それを副官達がもてはやしていた。いつもの和やかな光景だった。

散らかった新聞を片付けると、そこにはまたソフィアの記事があった。ボズヤ解放の立役者。パガルザン戦線の功労者。やはりソフィアは遠い世界の英雄様だ。

誰にも聞こえない声で、彼女の名を呼んでみる。当然、彼女は現れない。それでも、その名を呼ぶだけで、あの日の温もりが蘇るようだった。彼女の歩みは、語れば勇気に、聞けば希望になる物語だ。

吹きすさぶ風に湿り気を感じる。また嵐が来るかも知れない。雨漏りは直しただろうか。私はまだ肉体美を誇る隊長を尻目に、工具を手に席を立った。嵐は恐ろしいが、そのあとにかかる虹は美しかった。今度もまた見れるだろうか。そんなことを思いながら、私は屋上へ向かった。

◆◆◆

クイックサンド、紫煙を燻らす冒険者が2人。

「イズミよぉ」

「…なに?キ・ヤル」

「あの娘、元気かねぇ」

「どの娘よ」

「パウラちゃんだよ。闇娼館から助けた娘」

「さぁ」

「…こっちで内偵かけて、我らがあるじまで話上げといてなんだけどよ」

キ・ヤルはタバコを揉み消し、エールを煽った。

「…あんま似てなかった気がするんだよな」

「まぁ、そんなもんよ」

イズミは煙を吐き出し、そっけなく答えた。

「『有名人の秘蔵春画』なんて、数年前の売れ残りって相場が決まってる」

「それでも手を出しちまうなんて、救えねぇな」

「そうね」

「あー、でもよ」

「何?」

「パウラちゃん、特に胸が似てなかったぜ。あんなデカくねぇよ」

「…最低」

イズミの侮蔑的な視線など意に介さず、キ・ヤルは更にエールを頼んだ。

【了】

「ウルダハあたりには【英雄と瓜二つ】の風俗嬢がいるんじゃないか」みたいな与太話から広がっていった話です。
剃刀のフンベルクトはハイブリッジ連続Fateと配達士クエストに登場する真の男です。

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