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「破壊と進化」4年・羽鳥 颯

 抜群のロジカルシンキングとプレーヤー目線の言語化で、上智サッカーの新たな礎を築いた南出学生監督からご紹介預かりました、今季副主将兼経営責任者を務めた羽鳥 颯です。
 
 今季の私的部内MVPは、間違いなく南出だと思っています。どんなに苦しい結果が続いても積み上げてきたサッカーを信じ、個人とチームの欠点を指摘し続け、選手とは全く違う監督という立場で孤独感を感じながらも自分の役割を全うした彼には頭が上がりません。
 
「ピッチを離れたら同じ部員」「ピッチでは監督」という葛藤必須の2つのラベルを持ち、選手から嫌われても自分の基準を求め続ける覚悟、自分の信念を貫く覚悟を持ち続けたそんな彼は最終節どんな想いで試合終了のホイッスルを聞いていたのだろう。
 
ピッチ内の選手は、ベンチの選手は、ベンチ外の選手は、後輩は、マネージャーは、スタッフは、どんな想いで試合終了のホイッスルを聞いていたのだろう。
 
僕は、長く苦しいラストシーズンが終わってほしいようで、どこか寂しいような複雑な感情に心満たされながら、ただただ最終節のピッチを眺めていた。


 
 一個上の代が引退してから自分が引退するまで、本当に毎日苦しかった。

コロナ禍の中で突然訪れる濃厚接触者、感染者の連絡。その度にミーティングが開かれ練習を中止させるか、一部の人だけでやるか、検査して大丈夫な人から練習参加可能にするか、大学側はどう言うだろうか、潜在的な感染者はいないだろうか、選手は不安ではないだろうか、、コロナ案件は仕方がないが、考えることが多く、チームの責任を負うことの重さを始めて体感した。

加えて、今年僕は、上智サッカー部が長期的に強いチームであるために日々の活動の運営に経営的な視点を持った。全ての課の活動の連動性、機能性を上げることにフォーカスし、毎シーズン選手の質を担保すること、練習の質を上げるための環境を充実させることに挑んだ。この部を1つのサッカークラブとして魅力的な組織にすることが、大好きな上智サッカー部への恩返しだと覚悟を決め、僕が死んでも残るものをこの組織に残したいと思った。2年生からこの想いを持ち始め、新たな取り組みを始動させてきたが、まだまだ課題は山積みで、残された時間の中で自分の目指すところまで到達できない、そんな焦燥感に日々駆られていた。

さらに、本気でやるサッカー人生の終わりが見え、新たな自分の人生について考えることも多々あり、自分は今後どこへ向かうべきなのか暇さえあれば考えていた。

向き合うべきことが溢れすぎていて、今季心からサッカーをプレーすることが楽しいと思ったことはほとんどないのが本音である。
 
(今思うと、プレーヤー兼組織マネジメントをできるほどの人間的自立はまだ全然完了していないなと素直に思う。笑
改めて、選手は選手だけになるべくフォーカスすべきなんだと、そう感じました。笑)

ピッチ内外の選択において部員の幹部が決定権を持つことは、学生主体のこの組織の醍醐味でもあるけれど、それと引き換えに誰かが報われない責任を背負う覚悟や、自分の向き合うべきことを1日の中で何度も選定していく精神力が常に求められる。その点、僕は自分の言動に対して周りの目を気にしすぎたり、自分のやりたいことを全部やろうとしたりと、全てのことに対して割り切るところがまだまだ足りなかったと強く思う。今後の人生の大きな課題。
 


 それでも、弱い自分なりに副主将としていかなる状況であれ、練習中自分だけのゾーンに入らず周りの表情やポジションのズレに気づき声をかけること、自分のサッカー面、人間面の両面における弱さと向き合うことを肝に据えて、なんとか来る練習を毎回乗り越えた。
 
練習の時間は毎日決まっている。そこに心身ともに良好なコンディションを整えて望まなければならない。それができる日もあれば、できない日もある。できない日が続くと、残された期間が頭の中を過り、焦りが増す。残りの数ヶ月はこの負の循環が強くなり、自分に対する情けなさ、怒りが止まらなかった。自分がサッカーをみんなとプレーできる時間は日に日に減っていくのに、自分のパフォーマンスがこのままでは試合で活躍することなど愚か、自分が描く学生サッカー人生の終わり方とはほど遠い…。こんな心境が続き、長く光の見えないトンネルの中をずっと歩いている気分だった。そして、この暗く、長いトンネルを最終節が終わるまで僕は抜け出すことはできなかった。4年間最後までやり切れてほっとすると同時に、無論、1部の舞台で1年生の頃味わった悔しさを晴らせなかったこと、これは今後の人生も付き纏う大きな悔しさ、糧になるのだと引退した今思う。
 
 

 
 振り返ると、ハングリー精神旺盛で生意気な1年生の頃の僕は、都1部リーグに多くの試合に出場させてもらい、自分の色をピッチで表現しながら、高校での無念を晴らすことができていたと思う。無勝という屈辱的な結果でしたが、、。その後も2年生、3年生とコンスタントにリーグ戦に出させてもらい、大学サッカーを謳歌していた。


 しかし、そんな日々を送る中で3年生の夏頃、突如としてサッカーをしていることへの不安が猛烈に僕を襲ってきた。


ここまでサッカー部のことについて熱く語ってきてるのにあれ?と思う方もいるかもしれませんが、本当にそうなのです。上で綴ってきた自分の上手くいかなさ、苦しさの根本的な原因はこれがほとんどだと思っています。


自分の人生の時間は有限である。いつ終わるかもわからない。この自覚が強烈に強くなった。そういう年なのか、周りですごいことを成し遂げている人がいるからなのか、なぜかはわからないけれど、急にサッカーする自分がわからなくなってしまった。そこから、仮に明日自分の人生が終わるとしても後悔しないか?という疑問を常に投げかける日々が始まり、自分のやりたいことを今しているのかと問うようになった。趣味の映画や読書、音楽などへの興味関心が次第に大きくなり、サッカーとの距離感がどんどんわからなくなってしまった。

もう20年近くサッカーに費やしている。他の世界にもっと触れる経験が欲しい。サッカーしている場合なのか?ストレートにそう思った。あっという間に過ぎゆく人生の中でサッカーをやめるタイミングをミスった、本気でそう思った。

それからは、自分にはサッカーしかないと本気で思って、今この瞬間自分は部活に来ているのか?そんな自問自答をする日々。楽しいからじゃなくて、続けてきたからという理由で続けているような感じだった。この思考は引退までなくなったことはないのが本音で、むしろ引退に向かうに連れどんどん大きくなっていった。自分のサッカーへの熱が本当になくなりかけ、違うことに興味が移り変わっている瞬間だったのかもしれないし、部のマネジメントをしていく上でのタスクや思考量の多さにサッカーが嫌になってしまったのかもしれないし、どれが正しいのかわからないが、とにかくサッカーに没入できない苦しさを毎日味わっていた。

でも、残り1年というところで辞める勇気もなく、大きな疑問を抱えながらも、来る日も来る日も部活に足を運ぶ。1年生の頃感じた屈辱を晴らす責務がある、この部活をもっと発展させないといけない、そんな思考で自分を保っていた。大切な楽しいや好きという感情が空洞化している状態。当然、こんな心境でプレーしていて最高のパフォーマンスが出るわけがない。楽しさがないサッカーなんて本当に地獄。酷い時は、おれサッカーしてるよ今、と現実を俯瞰しながらプレーしている日も何度もあった。そんなこと考えても、その場において何の意味もないのにね。
 
とにかく僕は、この3年生の夏頃からサッカーとの距離感が自分自身わからなくなっていった。自分の人生の中で、人間としての感性を磨きたいと強く意識したのもこの頃で、サッカーをしている自分に冷め出したというのが正しいかもしれない。

一時の感情だろうと思っていたから4年生になったら、自分が幹部になったら、最高学年になったら、この思考もなくなると思っていた。しかし、なかなか答えが見つからず、自分の世界に入ってしまった。副主将というこのチームを牽引していく立場として正しいマインドなのか疑問に思い、本当に申し訳ないと思うこともたくさんあった。
 



 でも、どんなに自分がサッカーすることが嫌になっても、自分の目標を実現できなくても、なぜか部を離れられない。なんなんだろうこの感覚。サッカー云々じゃないそれ以上の価値が自分をこの部に引き寄せている、そんな感覚がした。

僕はこの感覚の正体を完璧には言語化できない。

喜怒哀楽を共にしてきた熱い友情とかよりも、もっと大きなものがある、気がする。
全員違うバッググラウンドで、何かを求めて、最後の学生生活を大学サッカーに注ぐと決めて、納得いくまで葛藤する人たちの集積みたいな環境で、そういう場所で自分もサッカー人生を一緒に終わりたい、そんな感じに近い、気がする。

改めて、この部にいるみんなと過ごす時間が幸せだったし、まじめ腐って色々考える自分が馬鹿馬鹿しく思えて、学年問わずいろんな人に救われてた。本当に同期は人数も多く、カオスな学年だったけれど、そのカオスさが何にも代え難く、日々の時間が僕の精神安定剤でした。(いつも話しかけて、いじってくる後輩も大好きでした。)
 
 

 今年は経営責任者という新たなポジションも作らせてもらい、ピッチ外の活動の決定権をほとんど持つことによって、ピッチ外の活動の基盤(千代田区の子どもたち対象の隔週のサッカークリニック、年齢不問の大学近辺に勤務や居住している方対象の月1のウォーキングサッカー、体育会全体を巻き込んだ献血活動、企業を巻き込んだクラファン、受験生向け企画など)を作り上げ、後輩が継承していくだけで自然と上智サッカー部の価値が向上するシステムを築いて引退すると強く意志を固めていた。キャパオーバーなのは重々承知していたけれど、これができないなら部の転換点は作れないと信じ、協力してくれる人の力を借りながら日々ピッチ外の活動の質をなんとか高めることができた。以上に書いたプロジェクトをリーダーとして引っ張ってくれた土井、岩藤、中尾、菅、まつけん、星野たち、広報のクオリティを最大限上げてくれた広報課のともき、かおん、小熊、田崎たち、経費や部費諸々の面倒臭い仕事を毎月必ず行ってくれた経理の平川たち、幹部の小堀や大心に任せきりだったけれど毎回グラウンドの予約、学事との連絡等をしてもらっていた大山りょう、なみこを始めとした総務課のみんなに感謝でいっぱいです。
 
みんなで発展させた部として、組織としてのクオリティが次の世代、その次の世代と受け継がれ、成長していったら、それ以上に僕として嬉しいことはないです。残された後輩たちは、自分たちの後輩に胸を張ってチームを受け渡せる状態で引退して欲しい、それがこの部に入った全員の責務だと思う。
 
もう少しピッチ外の活動に関して触れさせてもらうと、全ての課を統括する立ち位置から学んだことで最も大きかったことは、この部の活動を成立させるために、日々の練習以外の時間を多くの人からいただいていること。各課の人たちがどれだけの時間動いて何をしているのか、どれだけの人の連関性の中で今の練習できる環境やピッチ外のプロジェクト、高い完成度の広報画像などがあるのかを強く目に焼き付ける経験になった。毎日、毎時間、毎分ごとに動くLINEグル、それを見るだけで感謝の気持ちが生まれるし、毎日何かしら行動している人の姿を見て、自分も部を前進させなきゃと思わされた。
 
毎日少しでも充実した環境でサッカーできていることは当たり前ではない、“少しでも充実させよう”としている人がたくさんいる。この認識は大切だと心底感じた。
 
 僕たちは部内の力だけで強くなるのは難しい。部員にはこれまで何度も言ったように、スポ薦も、人工芝のグラウンドも、アドバイザーを雇うお金もないから、多くの人の力を借りなきゃいけない。自分たちのサッカーだけではない多方面に好影響を及ぼすサッカークラブとして、自分たちを取り巻く人たちと日々邁進していることを後輩たちには強く意識してほしい。大学の援助、スポンサー企業の援助、OBの援助、千代田区サッカー協会の人たちの協力、学生団体シャクルの協力など、これら全てを感じてほしい、いや胸に刻まないといけない。
 
上智サッカー部は、環境や選手が自分たちより整っているチームに挑むのが常で、常に現実を突きつけられる。試合で毎週のように負けてしまうことも多くある。その時、なぜ負けているのか、なぜチームとして意思疎通を図れていないのかなどと問いを各々立てると思うけれど、自分の身体や調子、サッカー的な面だけでなくて、もう少し人工芝のグラウンドの時間が確保できたらこういうことができたとか、もう少し資金があったらこういう物が買えて練習に活かせたとか、試合の応援に地域の人が応援にきてくれたら原動力になるなとか、至るところに幅を広げて部を強くする案を考えていける組織にしたいというのが僕の1つの目標だった。これを部全体で結束感を持ってやることに大きな意味があるし、そうすることで部の理想の状態に最短距離でたどり着けると信じていたし、今も信じている。本当に僕の実力不足で、残念ながら今年で満足できる状態までいけなかったけれど、古山、土井、中尾、小熊を中心に来季は部全体で大きな波となってピッチ内外の歴史を塗り替えていってほしいなと願っています。
 

長いと思ったそこのあなた、もう少しで終わりますのでぜひ最後まで読んでください。!

ピッチ内外は表裏一体で、並列関係だと思っています。ピッチ内の練習ができているのはピッチ外のおかげ、ピッチ外の独自の活動ができるのはサッカーというピッチ内での大きな価値があるおかげで成り立っている。どちらが上とか下でもない。両者依存し合いながら、循環しあう。この点がもっと意識されれば間違いなく、関東で爪痕を残す"レベルが違う学生主体"の組織に変貌すると僕は確信を持っている。
 
 ピッチ内の面は、今季大きな土台が敷かれた。個人のスキルだけでは強い相手には及ばない自分たちが勝つために、サッカー面の戦略、戦術は南出が多くの時間を費やし、考え、伝え、新たな上智のサッカーを積み上げることができる環境が整った。今年積み上がったものもたくさんある。1部で0勝だった自分たちが1年生の時に比べ、今年は2勝できた。まだまだ理想には程遠いけれど、階段は着実に登っている。ピッチ内外の両輪が円滑に回り出している。加速させるのか、減速させるのかも全て次の部員次第。
 



 「今、上智大学体育会サッカー部は歴史が大きく変わる転換点にある」と主将のあきらが今季の始めに言った。幹部としてもこの想いは強く持ってきたつもりである。でも、この大きな転換点は、今年だけで完成するものではない。ここ数年は部において間違いなく史上最も重要な期間になると思う。だから、後輩たちはこの転換点を存分に楽しんで、やりがいを持って取り組んでほしい。本当に学生の期間にこんなに自由度高く、色んなことに挑戦できる機会ないから、最大限有意義な時間にしてもらえるといいなと思います。
 
 
 
 最後に、5歳から始めたサッカー人生を常に支えてくれた両親、本当にありがとうございました。
 
パパには、何度ケジメというものを教えてもらったかな。やる時はやるという強い心が育まれたのは紛れもなくパパのおかげです。これからも覚悟を大事にして、適度に力を抜きながら生きていきたいと思っています。
 
ママにはこれまで何度弱音を吐いてきただろう。最高学年になり、1人暮らしを始めてから自分の葛藤の行き場がどこにもなく、電話しながら泣いている時がたくさんありました。面と向かっては恥ずかしくて言えないけれど、いつも変わらない大きな愛に本当に感謝しています。
 
引退試合の前日、実家から1人暮らしの家に帰るため、最寄りの駅まで送ってもらった車の中で、「最後都リーグで自分が出てるところを見せられなくてごめん」と泣きながら謝った時、「ママも出てるところ見たいってずっと思ってたけど、颯もずっと親に自分のプレーを見せたいと思ってて、だからお互い様なの、同じ気持ちなの。」と返してくれた時、全てが救われたような気がして涙が止まりませんでした。
 
電車の中でもしばらく涙が止まりませんでした。
 



サッカー人生終わり。本当に報われないこともたくさんあった。それでも、今日だけは自分を褒めてあげたい。

 
 
 次の引退ブログは、同じ副主将として今季部を運営してきた小堀耕 太郎です。最近は公「私」共に充実している?(あんまり触れると怒られそうなのでやめときますが、、)噂をちらほら聞きます。面倒臭いタスクも毎回テキパキこなしてもらって、部の運営には欠かせない存在でした。何かキャパオーバーになりそうだったらとりあえず小堀に言おう、そんな感じでした。勝手にMr.総務と呼ばせていただいています。そんな信頼感抜群の彼からはどんな言葉が紡がれるのか必見です!

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