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「やり続ける大切さ。」3年・坂田涼
兄弟で桐蔭学園サッカー部という、桐蔭愛が溢れる小堀くんより紹介預かりました、3年理工学部機能創造理工学科 坂田 涼です。
前回の部員ブログでは休部について書かせて頂いたので、今回は今までのサッカー人生と最後に今シーズンの目標について書きたいと思う。
私のこれまでのサッカー人生は、正直うまくいかないことが多いサッカー人生だったと思う(1番の挫折は休部です)。
小学生の時、兄が所属していたサッカーチームに入った。
そこのチームは町クラブの中でも下位のチームだったため、出場できて当たり前のサッカー人生を送ることができた。
中学の時、港区にあるクラブチームに入った。
実力の無さを突きつけられ、家で毎日のように泣いていた。また、同じ中学校には、サッカーをやっている生徒が多く、自分よりサッカーが上手な人ばかりの環境だったため、サッカーを嫌いになりかけていた。
そんな環境の中でも諦めず、練習を行ったことによって、試合には出場できるようになったが、自分の中で成長を感じたことはなかった。
その時コーチから「今の実力じゃ高校に行っても試合に絡むことはできない。だから最低でも怪我をしないために体を柔らかくしろ。2ヶ月で柔らかくならなかったら、坊主な。」と言われた。
この言葉を言われた時、やっぱり実力がないんだと痛感した。悔しくて、毎日ストレッチしていたのを今でも覚えている(そのおかげでめちゃくちゃ柔らかくなり、今でも毎日ストレッチを行っています)。
実力がないまま、高校に入学した。
高校では120人近くの部員がいて、学校の生徒の5分の1がサッカー部員という学校だった。
入学してすぐの時、毎日のように走りがあり、階段で足首を捻り、足首の骨にヒビが入ってしまった(全治3ヶ月の怪我でした)。
体を柔らかくしたにも関わらず、結局怪我をするという伏線を回収した。
実力がないのに怪我をしてさらに置いていかれ、復帰した時には、1番下のカテゴリーのベンチだった。そこから毎日のように練習後に居残りで練習を行い、ちょっとずつ評価されるようになっていった。しかし、Aチームで大会でメンバーに入れたのは2回。ずっとAチームとBチームの狭間にいたため、「万年Bチーム」というあだ名をつけられた。
こんなサッカー人生だが、1度も後悔したことはない。
うまくいくことが大切ではなく、最後まで逃げ出さず、やり続けることが大切だと実感した。
そして、今シーズンの目標は、
個人→1試合でも多くリーグ戦に絡むこと。
チーム→2部優勝。1部復帰。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
次は、上智大学体育会サッカー部の中で1番肌が白い佐々木公瑛くんです!
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