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「まぜそば七、最近「食べるラー油」始めました」4年・羽藤宏太朗

最近やっと心を開いてくれたかな。
寡黙な戦士、4年根崎より紹介を受けました、今年度主将を務めております、羽藤 宏太朗です。

まず冒頭として、様々な困難な情勢の中、
私たちが日々活動出来ていることに改めて感謝したいと思います。

体育会としての活動調整に際して多大なる尽力を頂きました大学関係者の方々や常任委員会の皆様、日々の活動で利用させて頂いている施設関係者様、学生身分の私たちの活動を各方面でサポートして頂いている方々、現役を様々な形でご支援下さっているOB、OGの方々、部員を活動へ送り出して下さっている保護者の皆様、また同期後輩は勿論、活動に賛同し入部を決めてくれた1年生含め、関係者全員にこの場を借りて感謝申し上げます。


さて、
本題の「これまでのサッカー人生と今年の意気込み」に入る前に、

せっかくなのでブログっぽいことを少々、、


もう5月。
2021年、もうすぐ半分です。

漸く半袖が着られる季節ともなりました。

いやぁ
ここ最近の昼間の暑さと言ったら何とも形容し難い。

まだ暑さに慣れていない身体に、
直射日光が容赦なく刺さる刺さる。

大体初日でその夏の黒さが決まるんですよ。

これからはどんどん気温が高くなり、
たくさん日焼けもするでしょう。

ヒリヒリと焦げた肌に重ねて日焼け止めを塗り、
「黒さ」を調整する時期が始まりそうです。

そんなこんなで、
涼しくなってきたなぁって思い始める時、

10月、11月くらいですかね、



その時、

私たち4年生は「引退」です。



いやぁ早かった。
あっという間の4年間。

入学したのがつい昨日の様、は
流石に言い過ぎだけど、

なんとも密度の濃い時間でした。



サッカー人生は今年で18年目。

まだまだこんなもんじゃないぞと思うけど、
同期や後輩の膝のテーピングを見ていると、
歳を重ねていることへの実感がひしひしと。

1年生18歳の頃、
先輩方がボロボロになりながらプレーしてたこと、

カッコいいと思いつつも、
同時に自分らがそうなることへの恐怖も感じていた。

だいぶ先のことだと思っていたけど、
気がついたらその立場に自らが置かれていて、
いよいよ学生サッカー人生も大詰め。

「また来年」のない最後の1年が始まりました。

あと半年で「引退」

そして、その先には
「卒業」が意識される年頃です。



幼稚園

親の転勤で名古屋へ行きました。
入った幼稚園は「南山幼稚園」

上南戦のライバルである南山大学とどう関係あるのかは分からないけど、勝手に親近感湧いてます。

父親は野球を推していたらしいけど、
幼稚園に野球クラブがなかったこともあり、
メジャースポーツである「サッカー」を始めました。


小学校

東京に戻り、ここでもサッカークラブに所属しました。

地元の幼稚園から持ち上がりのサッカークラブ。
最初に手にした番号は11番でした。

当時は10番以外の番号の価値なんて知らなかったので、10番じゃないのか〜なんて思ってましたけど、

冷静に考えて、途中入部に10番渡さないですよね。
(デジャヴ?)

かなりラッキーでした。

活動はというと、
週2-3日の練習と土日の試合があり、

チームは弱くはないし、
だからといって強いかと言われると微妙。

区大会でベスト8かベスト4かという位でした。

チームの色は、とにかく我が強かった。

試合中は味方内で感情をぶつけ合い、
時にはだいぶ厳しいことも言ったり言われたりという感じで、

その分、勝った後の感情の昂りは何とも快感でした。

この頃、クラブのルール
「前後半どちらかでGKをやったら、もう片方はFPで必ず出場できる」
に惹かれて、GK人生がスタートしました。

結構ボールにビビらない人種で、
PKにおいて、某キャプテン翼の某石崎くんバリの顔面セーブ等を見せながら、順調にスタメンに居座ってました。

未だに何人かには自慢してるけど、
6年生の秋大会にて、
区3位入賞を果たした時の決勝点俺だからね!

ちなみにその時は右サイドハーフだったよ! @南出学生監督


中学校

色々あって國學院久我山中学に入学。

中学受験は上手くいかなかったが、
当時の自身にとっては、サッカーの強い中学に入れたことが少し嬉しかった。

初日グラウンド前、
新1年生が集められ、挙手を求められました。

「GK希望の奴手を上げろ」

迷いました。正直GKをやるつもりはなかったけど、小学校では上手く行ってたし、スタメン余裕なんじゃないかとよぎって。

頭をフル回転させ濃厚な1.2秒が過ぎたところで
ゆっくりと挙手。

その後挙手をした4人が集められ
隣を見たら1人見たことないくらいデカイ奴がいて
正直絶望した。

結局中学3年間、ほとんど公式戦には出場できませんでした。

そのデカイ奴、デカイだけじゃなくて手足も長い。反応もいい。キックも飛ぶ。ケンカも強い。

勝てなかったなぁ。

勝てなかったけど、最後に並ぶことは出来たんじゃないかと勝手に思ってます。

本人がどう思ってるか知らないけど。笑

中学最後の大会、私学の関東大会決勝、
0-0のスコアのまま、後半頭から出場。

ガチガチになりながら
自分のミスで失点もしたし
最後のPK戦なんて膝の震えが止まらなくて
微動だに出来なかった。

何も出来なかったという後悔だけが残って
ボロボロ泣いたのをハッキリ記憶しています。

GKを選んだことは失敗だったのかなぁ。


高校生

そのまま國學院久我山高校に進学し、
当然の如くサッカー部に入部。

身長も伸び、上手くなっていた自覚もあったので、
さぁこれでライバルを追い抜いてやろうと思っていました。

思ってたんですけど、
なんとみんな入部しない、と。。

悲しさよりびっくりが勝ってました。
あれ?みたいな。

まぁそんなこんなで始まった高校生活でしたが、
すぐに転機が訪れました。


1年夏のインターハイ、
全国大会1回戦 vs明徳義塾高校で

「出場」

当時は何が起こってるか正確に把握できていませんでした。

中学でまともに試合にすら出ていなかった私なのに、

トントン拍子で上がるカテゴリー。

東京都予選の決勝ではベンチに入り、
全国大会では先発出場。

記事にあった当時の監督の言葉を借りるなら、
「肝っ玉が座っている」
ことが評価されていた様です。

しかし、出場は果たし、活躍した自負はあるもののチームは1回戦で敗退。

負けたら活躍も何もない。

その後、すぐにメンバー落ちし、
上手くいかない時期が続きました。

迎えた冬の選手権、
チームは全国で2位に。

絶好調で勝ち上がるチームの傍ら、
どこか置いて行かれるような感覚がついて回りました。

上手くいかない時期は2年になっても続き、

毎年夏になったら好調、冬になったら不調になる
謎現象によりカテゴリー間を行ったり来たり。

一時は、ダブルヘッダーで違うカテゴリーの試合に行くなど、人数合わせで動員されていた時期もありました。

そんなこんなで3年生となり、
最高学年になったわけですが、

相変わらず試合には出場出来ないし、
最後の大会に関しては出場はおろか、ベンチにすら入れませんでした。

1年生の時が1番輝かしかったというジレンマに苛まれながらも、サッカーが好きだという原動力で日々の活動へ熱を傾けていました。

確かに苦しかったし、
腐ったことがないかと聞かれたら、
胸を張ってノーとは言えないけれど、

この経験があったからこそ、
現在の「私」があると思ってます。
(まぁ所謂挫折経験ってやつですね。挫折だとは全く思ってないけどね!!)

試合に出場していない人の重要性、チームとしての一体感の感覚、部員の主体性が組織に与える影響、、、

自身がやっていたとか、出来ていたということではなく、これが必要で効果的だというイメージがついたことが何よりも収穫でした。

それが大学1年生の時からの行動にも繋がっているし、一貫した行動が今でも出来ているのは間違いなく高校時代までのサッカーを通じた積み重ねによるものです。

ちなみに高校での引退試合は、
区大会決勝で2点とって2-1で勝ちました!

その時は左サイドハーフだったかな!
@南出学生監督


高校までを振り返ると、
とりあえずこんな感じですかね。

大学生のことは今までのブログでも書いたので、
引退時期にまた振り返れたらと思います。

改めてブログを書いてみて気づくこと。

私はこれまで「サッカー」というものに魅了され、
何よりも大きな熱量をぶつけて来ました。

でもこれからは、
当たり前だと思ってきた環境を提供する側に立たなければいけない。

熱量をぶつけられる対象を用意することが使命になります。

同期や先輩方、後輩に自慢できる人間になりたいなぁと。

主将として、一部員として、人間として、周囲に影響を与えられる人材になることが今年の意気込みです。

ピッチ内外に拘らず、
私が存在した証を残したい。




話は変わりますが、
最近読んだ某バレーボール漫画での言葉。

「毎日やんねん。ちゃんとやんねん。体調管理、掃除・片付け、挨拶、バレーボール」

「反復・継続・丁寧は心地ええんや」

「俺を構築するのは毎日の行動であって、結果は副産物に過ぎん」

声優さんがイケボなのもあるけど、初めて聞いた時は心が震えました。鳥肌が立つあの感じ。

日々の積み重ねって聞こえはいいけど、
他人の目がない中でどれだけ継続できるか。

ここに人の真髄が出てくると思うし、
ここに後悔なく生きている人をかっこいいと思う。




主将像に正解などないし、人によって合う合わないがあると思う。

それでも自分にとって最低限譲れないところはこれからも譲らないし、周りに影響を与えられることは引き続きやっていきたいと思う。

だからこそ、私は用具を大切にしない人が苦手だし、言動が一致しない人を好きになれない。

ボールに座るのはやめよう。



最後に、

これまでの21年間、本当に色んな方の影響を受けて今ここにいます。

母親がお腹を痛めて産んでくれなかったら、私は存在していないし、

父親が働いてくれているお陰で、私は不自由なく過ごさせてもらっている。

中学時代のコーチや顧問の先生が人間としての軸の大切さを教えてくれたから、私は一貫した行動ができているし、

高校時代の監督やコーチが技術的な指導をしてくれたから、現在自信を持って試合に出場出来ている。

大平くんがあの日私を買い物に連れて行ってくれていなかったら、私はまだ七分丈のシャツを着ていただろうし、

隈元くんがいなければ、GKで主将という難しい立ち位置に挑戦しようとすら思っていなかっただろう。

色んな人に影響を与えてもらったからこそ、今の私がいます。

今まで私自身がどれくらいの人に影響を与えてこられたかは分からないけれど、これからも軸をブラさず、私らしく生きていく先で、影響を与えられたらと思います。

そういえば2年の時ブログで

「だから最高学年の気持ちは多分4年の最後になるまで分からないんだと思う。だから、勝ちたい。悔しさは負けからだ。勝てばどんな内容で落ち込んでいたとしても笑える。負けるから悔しいんだ。悔しんでたらその場限りの嘘になるから、なんとしても勝ちたい。キーパーだから点取れないとかは言い訳したくない。引き分けが最高だとも思いたくない。いつか点取ってやる。Twitterに自分のゴール写真を載せてやる。」

って書いてました。
この時の文章の方が上手いなぁと思いつつ、

いよいよその4年、最高学年です。
そろそろ点取らないとね!

1日1日後悔しない様に頑張ります!


次回ブログは、、

果敢に仕掛けるドリブルと
先輩にウイイレ挑戦する姿勢、
俺は嫌いじゃないよ。

上智の核弾頭、"The FW"東幹也です!

#上智大学 #サッカー #國學院久我山 #部員ブログ

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