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「逃げるは恥じゃないし、役に立つ」4年•野田 祐成

逃げるは恥じゃないし、役に立つ。

4年間一緒にいたはずなのに、ホリグから紹介すら、して貰えなかった野田祐成です。
なんだかんだ楽しかったと言うあたりとても彼らしいですね。

引退ブログという事もありますので、最後までお付き合い頂けると幸いです。文体変わります。




何度ブログを書こうとしても、進まない。そうやって刻一刻と締め切り日が迫り、やがて締め切り日が過ぎていった。後輩の皆さん締め切り守れなくてごめんなさい。


でも本当に進まない。クズ男三木には怠惰だと言われるだろうけど、これは確実にそうじゃ無い。多分本当に書く事、書きたい事が無いんだと思う。22年間、野田祐成として生きてきたから、凄く分かる。


小熊が今シーズン初めに今年の目標は、「同期の引退ブログ0文字」と宣言していたから、その言葉を輝かせたいから、そんな事じゃなく、





本当に無い。





よく引退ブログである「後悔」だったり、「サッカー人生の振り返り」だったり。それはもう十分した。


小学校時代、もっとサッカーだけに集中出来ていれば。
中学校時代、現状に満足せず向上心を持って取り組んでいれば。
高校時代、サッカーに恐れず、サッカーそのものを楽しめていれば。
大学時代、選手に指導をするラストシーズンに突入する前にもっとサッカーという競技を勉強していれば。


"引退してから"じゃなくて、事が終わる毎に、後悔は山程した。


こうやって多少書き進めて行くうちに、最初は本当に書きたい事が無いと思ってたけど、
この辺りから書けない本当の理由がなんとなく分かってきた。






有り過ぎたんだと思う。
書きたい事が無いんじゃない。山程ある。ありすぎるから何から手を付ければいいか分からない。五条悟の無量空処の様な感じだ。情報を与えられすぎるが故に、何も出来ないみたいな。


上智大学サッカー部の4年間、そして19年間のサッカー人生は僕に取って濃過ぎた。たかだかブログという媒体でまとめるには不可能な程、私にとって大き過ぎる時間だったんだと思う。








会場から逃げ出さなかったという理由だけで3歳で始めたサッカーが、ここまで自分を語る上で核となる存在になるなんて思ってもなかった。サッカーという競技が自分をあらゆる面で成長させてくれた。


振り返ると、ここまで言えるのは、上智大学サッカー部に入部できたのも、國學院久我山中学に入学し、そして高校サッカー部に所属できた事が、大きく影響していると思っている。久我山サッカー部は高校が強くて有名だが、中学時点で入学するに至った理由には、一つ明確なものがあった。書きたい事が多すぎる中、部員ブログ最後のテーマは、ここをメインに書く事にしよう。








小学生の頃に遡る。








小学生時代の僕のサッカーは、楽しいから恐怖に変化した物であった。これはサッカーに対してじゃない。味方に対してだ。というのも、11歳、小学5年生にして人生で初めて"いじめ"を経験した。何故いじめられたかは、いじめた張本人にしか理解できないので省略する。


不思議な事に、嫌な記憶や消したい記憶ほど鮮明に覚えているもので、その人の話し方、受けた言葉や視線、匂いまでをも鮮明に記憶として残ってしまっている。練習中、彼のボールを奪う事は禁忌であった。彼がいるチームに勝つ事は勿論、そんな事をすれば練習後、彼を中心とした同級生からは鋭い視線を向けられ、酷い言われようをする。仲間外れにされる。翌日の朝学校に登校すると、友達だと思ってた人達が彼を中心に集まり、皆んな揃って私の方を見てはニヤニヤと喋り始める。正直サッカーをしていた記憶はない。彼を不機嫌にさせない事、自分を守る事に必死だったのを覚えている。


いじめが始まって数ヶ月経ったある日、いじめについて母と対立した。自分の心は既にボロボロだったが、小学生なりに両親に心配をかけないよう、学校ではどんな言葉をかけられようが、どんな脅しに遭おうが平気なフリをして、サッカーに全力で向き合う普通のサッカー大好き小学生を演じていた。


しかしそんな中、とうとう心がダメになった。学校に行きたくない。
友達に会いたくない。
練習に行きたくない。
大好きだったサッカーですら、恐怖に変わった。この事を、母に告げた。


母も息子に訪れる初めての経験だったから、何を言ってあげる事が正しいのか、いくら考えても分からなかったんだと思う。男として負けずに立ち向かって欲しい。そんな気持ちがあったんだろう。




"いじめに立ち向かえ"という様な趣旨の言葉が返ってきた。



この時の事は全く恨んでもないし、本当に何とも思っていない。もし、自分じゃなかったら、奮起できるような正解の言葉だったかもしれないし、自分も母の立場だったら同じ言葉を息子に投げかけるかもしれない。



しかし私には、言ってはいけない言葉だった。



この言葉で、なんとか普通の小学生を演じる事で、自分を騙し、耐え忍んできた私の心が完全に崩れてしまった。



母がその言葉を残して、部屋から出て行った後、初めて心の底から、自分でも想像できないくらいの声量で「死ねーー!!」と叫んだ。これが母に対してなのか、いじめてくる彼に対してなのか、それともいじめられている自分に対してなのかは分からなかった。しかし自分の意思で放った言葉では無く、心の底から溢れ出してしまった抑え切れない"私の感情"なのは確かだった。私はどうにかして、いじめという状況、いじめてくる彼から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。けれど、自分の唯一の味方だと思っていた、家族までもが敵になった気分がして心が完全に崩壊したんだろう。


そう告げた母もそれが正しい事だったのが分からず、私の様子を心配して扉の外で待ってくれていた。そして、部屋の中から聞こえる、息子の悲痛な叫びを聞いて、母は泣きながら部屋に戻ってきて、殺されるかと思うくらい強い力で抱きしめられた。そして、「お母さんが間違ってた。祐成は絶対に悪くない。」と泣きながら言ってくれた。


ここで改めて、自分にも味方がいるんだという事を再認識できた。この出来事により、私がいじめからどうにかして逃げたい事。いじめてくる張本人、そしてその周りの人間から離れたい事を、両親に伝える事ができ、理解してくれた。


それからは、自分には世界一の味方がいる事を自覚でき、そして自分にも嘘をつく必要が無くなり、今後について本音で両親と一緒に考える事ができた。
そこで一つの解決策として出たのが、私の人生を変える事となる"中学受験"だった。


彼らから逃げる為、楽しい学校生活を送る為。そして大好きなサッカーを、心の底から楽しむ為。確か、自分が最初に候補に挙げた学校は、中村俊輔選手が卒業した桐光学園高校だった気がする。しかし、両親がもっといい高校があると、持ってきて見せてくれたのが、國學院久我山高校のパンフレットだった。この時、両親が久我山を見つけてくれてなかったら、今いる大好きな皆んなにも会えなかったし、こんなにサッカーが大好きになってなかったと思う。


今まで投稿した部員ブログで、高校の事は山程書いたので割愛するが、当時は相当苦労しながらも、今思えば久我山に入れたから、選手権という夢の大舞台に立つ事ができ、上智大学という素晴らしい大学にも入学する事が出来た。


中学受験を決意した小学校6年生の7月時の偏差値は38だったが、そこから合格を勝ち取った、当時12歳の自分には感謝してもしきれない。そして、自分を"いじめ"という地獄から解放してくれて、小学校6年生の夏からの中学受験という無謀とも言える挑戦を、心から応援してくれた両親は世界一の両親である。もう一度生まれ変わるとしても、2人の元に生まれたいと思う。本当にありがとう。






結果論にはなってしまうが、タイトルにもある通り逃げてよかった。いじめから逃げてきた先には素晴らしい経験、また、小学生の私には想像も出来なかった、心の底から大好きと言える友達が待っていた。中でも、上智大学体育会サッカー部の4年間は、個人的にはサッカーも充実していたが、それだけで無く友人関係に本当に恵まれた時間だった。


先輩には、2年前に卒業したはずなのに、一緒の年に就活してると、風の噂で聞いた様な人がいるし、後輩には試合中のプレーが悪かったから、メンバーを外そうかと話し合った際に、泣き出しちゃう人もいるし。


そして同期には、


世界一太った監督
世界一頭おかしい非日本人
世界一全てに全力な10年間一緒にいる人
世界一寡黙で、何考えてるか分からない人
世界一全ての友達にこき使われる人
世界一イケメンパパになりそうな人
世界一自分が主人公なファイター
世界一だらし無くて、ADHDを発症してる人
世界一良く分からなくて、俺を怖がってる人
世界一入学時と今のキャラにギャップがある人
世界一小さい市ヶ谷の大学生
世界一今何してるのか分からない人
世界一サッカー上手いのに、隠れて女癖悪い人
世界一言うまでも無く、クズすぎる西宮出身の奴
世界一友達想いなんだろうけど、入部当初キャラが掴めなかった途中入部の人
世界一結婚したくないマネージャー
世界一サイコパスかもしれないマネージャー
世界一マリア様みたいなお母さんになりそうなマネージャー


そして、世界一の主将


色んな世界一の仲間に出会う事ができた。あの時、逃げてきた先にこんな幸せな場所が、こんな大好きになれる人達が待ってるなんて思ってもなかった。勿論、上智大学サッカー部に入学した理由は、高校時代の選手権には出場出来たがピッチに立てなかった悔しさや、最後のサッカー人生を活躍して終えたいだったりと、サッカーに関してが大半だったのは確かだ。でも引退して、こうやって振り返ると、私が得た1番の財産は、サッカーの技術や自分の活躍する姿なんかじゃ無くて、世界一の仲間であった。


同期を始めとする部員全員、大切な大切な私の宝物です。出会ってくれて本当にありがとう。




このような経験を経て、今こんな事を思う。


「過去は変えられないけど、未来は変えられる」と言う言葉を、よく耳にするが多分違う。




"過去だって未来だって変えられる"




いじめられた過去なんて、自分にとって抹消したい、最悪で不変な過去であった。勿論、友達にいじめられた事があるなんて、恥ずかしくて到底誰にも言えなかった。しかし、いじめられて良かったまでとは思わないが、いじめや、過去の出来事が一つでも欠けていれば、恐らくこの場で、幸せな気持ちに浸りながら、このブログを書けていなかっただろう。そう考えると、ネガティブな過去だって、少しは良かったのかなって思えるし、恥ずかしくて消したい、不変であったはずの過去が書き換えられ、初めて少しだけ輝いて見える。






それを踏まえてもう一つ最後に後輩達へ。






逃げてしまう瞬間があってもいいから、サッカーに全力を注いでみてください。どんなに失敗しようが、上手くいかなかろうが、後から幾らでも書き換えられます。その後、幸せな瞬間が訪れる時は、その時の失敗や悔しい瞬間があったからだと思えるはずです。
例えば具体的に、今カテゴリーの下にいる選手で、小山田や仁成のような上手い選手を認めるだけで何もしてない人達。無意味だと感じちゃうかもしれないけど、努力してみてください。その時は、恐らく無意味な努力として記憶してしまうだろうけど、必ず後から意味を成してきます。あの時頑張ったからだ、あの時必死に食らいついたからだって必ず思えます。俺もいじめられた最悪な過去が、サッカーを引退した今になって、10年越しに書き換えられ、意味を成しました。いつか思いもよらないような形となって、報われる時だってあります。自分を信じて頑張って。
また、今ある日常の練習だったり、友達との当たり前の時間は、当たり前じゃ無くならないと大切さには気付けません。今、何をしようがいずれ懐かしく思うだろうし、どうせ戻りたいなぁって必ず思います。だから今の一瞬一瞬を大事にしてください。4年間でサッカーの技術や、大学で学んだ知識、はたまた将来の就職先。様々な物が手に入ると思います。しかし、1番の財産は"周りにいる友達"です。切磋琢磨し合えたり、認める事の出来る友達が身近にいる事に感謝して、今、目の前にあるその一瞬に全力を注いでみてください。来年、新しい上智大学体育会サッカー部を観れる事を楽しみにしてます。



結局長くなっちゃいました。以上です。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。



次のブログを担当してくれるのは、籾井大河です。
彼の住むメゾンドコリーヌ市ヶ谷には、大変お世話になりました。後輩の皆さんも、四ツ谷の朝練の前日必要であれば集ってみてください。
真面目に言うと、Bチームを中心に様々な面で部を支えてくれていた、小さな主将です。彼が4年間どんな思いを抱いていたのか、私も凄く気になります。



それではお楽しみに!!!

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