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「4年間を振り返って」4年・星野 航太

平素よりお世話になっております。

上智大学理工学部機能創造理工学科
上智大学体育会サッカー部 背番号25番
星野 航太です。


長くて拙い文章ですが、時間をかけて書いたので、読んでくださると嬉しいです。

それでは引退ブログ、始まります。





入部するときに決めていたことが1つある。
リーグ戦に出場して、チームの勝利に貢献するという目標を諦めたらサッカーを辞める。
上智でスタメンだった中盤の選手は、誰がどう見ても自分より上手かった。技術で勝つことはできないかもしれない。ただ、技術がある選手と試合を勝たせることができる選手は違う。

本気でスタメンを奪いに行く。自分が試合に出てチームを勝たせる。

それを諦めて、自分の実力相応のカテゴリーで、現状に満足して、気持ちよくサッカーをするくらいなら、上智大学体育会サッカー部、そしてサッカーを辞める。周りがどんなに上手くても絶対に競争から逃げないと、そういう覚悟を持って入部した。




大学サッカーのスタートは順調だった。初めての練習試合でいきなりゴールを決めた。練習もAチームからスタートできた。一緒にプレーしていた同期が次々にリーグ戦デビューしていく。俺も早くリーグ戦のピッチに立ちたいと思った。


そんな思いとは裏腹に、俺はカテゴリーをどんどん落としていった。
翌日の試合の調整をしているAの横で、Cチームの試合に出る為にアップしたこともあった。それでも、なんとかAまで再昇格して、シーズンの終盤に1試合だけリーグ戦のベンチに入れてもらうことができた。初めて自分より上手な選手ばかりの環境に身を置いて、色々なことを経験させてもらい、戸惑いながらも、周りに必死に食らいついた1年目だった。




2,3年目はAとBを何回も往復した。誰よりもカテゴリー落ちを経験したかもしれない。
ただ、本当に実力でAチームに上がることができていたのはほんのわずかで、怪我した選手や、コロナで離脱した選手の代わりとして上がることがほとんどだった。


だから、離脱していた選手がチームに戻ってくると、決まって俺がBチームに落とされた。自分のプレーが必要とされているわけではない。誰かの代わりにしかなれないことが悔しかった。




ラストシーズンもなかなかその状況を変えることはできなかった。
4年生になって、引退まで3か月を切り、AからBに落ちるときには、


「もうお前はAチームに上げない。」と学生監督である南出に直接言われた。



正直、このときばかりはメンブレした。

実際に、最後の1週間を除いて、そこからAに復帰することはできなかった。

Bで勝てれば別にいいやと思ってしまった瞬間もあった。

でも、これまで積み重ねてきた3年半の努力に自信があったし、ここで諦めたら入部の時にした自分との約束を破ることになる。無理だと言われたとしても、諦めなければ何かが起こると信じて、最後まで都リーグに出て活躍することを目指した。


最後まで諦めずに頑張ることができたのは、決して自分1人だけの力ではない。
特に、Jr.リーグで信頼して使い続けてくれた、そしてJr.は都リーグに出るための通過点でしかないと試合前に言い続けてくれたオグと、どんなに弱音を吐いても励ましてくれた田崎には感謝している。

2人がいなかったら、どこかで心が折れて、最後都リーグに出場することはできなかったと思う。ベンチで名前が呼ばれて、2人とグータッチした時は泣きそうになった。1年間一緒に戦えて良かった。本当にありがとう。



前述したように、Jr.の最終節を終えた後、10分間だけ都リーグに出場させてもらえた。相手はリーグの首位、0-4で負けている後半ラストの10分、逆転勝利の可能性は限りなく低いゲーム。何かを期待されての選手交代ではなかったと思う。

それでも、自分にとっては待ちに待った舞台だったし、Bで長く一緒にプレーしてきた選手たちが応援してくれていたことも感じていた。

このゲームでベンチ入りすることができたのは、平日開催で何人か選手が不在だったからだった。全員が揃う週末の最終節でもう1度ベンチ入りし、出場できるように、この10分に今まで積み上げてきたものを全て出し切ろうと思ってプレーした。


結局、何もできずにその試合は終わった。あっという間だった。

最終節はベンチに入ることができたが、出場は叶わなかった。チームも勝利で終わることができなかった。



選手として何もチームに貢献できないまま4年間が終わった。



今でも死ぬほど悔しい。人生の中でも断トツで悔しい思いをした4年間だった。引退してから、もっとできたよなあと思うことはたくさんある。


でも、サッカーが大好きで、毎日サッカーのことを考えて過ごしてきて、試合に出たくて、勝ちたくて、自分にベクトルを向けて努力してきた。そのときに自分がベストだと判断したことを、そのときの100%で取り組んできた。だから、その感情は後悔とはちょっと違う。


4年間、都リーグで活躍して試合に勝つことだけを目標にしてきた。
初めてBチームの公式戦で勝つことができたとき、都リーグに初めて出場したとき、頑張ってきて良かったと思う瞬間は確かにあった。だけど、高校で選手権2次予選進出を決めたときのような、心の底から本気で喜べるような瞬間を大学サッカーでは味わうことができなかった。



3年間で出場したBチームのリーグ戦の勝利数は2
4年間で都リーグのピッチに立った時間は10分


俺の大学サッカーは結果だけ見たら失敗だったかもしれない。



だけど、ここで出会った仲間、得た経験値は間違いなく一生モノの財産だし、純粋に上智大学体育会サッカー部でするサッカーが他の何よりも楽しかった。浪人するか上智に進学するか迷っていた高3の自分に、上智に進学したほうがいいと今は自信を持って言える。そんなかけがえのない4年間になった。だから上智に来たことが失敗だったとは1ミリも思わない。


上智大学体育会サッカー部の一員になれて、本当に良かった。





最後に、感謝の気持ちをこの場を借りて。



両親へ
大好きなサッカーを何一つ不自由なく、16年間続けさせてくれてありがとう。
新幹線で通学させてくれてありがとう。他にも感謝すべきことがいっぱいあるけど、これくらいで。
大学サッカーで活躍している姿は見せられなかった。本当に申し訳ない。
あと2年大学院で学んで、立派な社会人になって、必ず恩を返します。
これからも迷惑かけます。よろしくお願いします。



同期へ
俺はあまりしゃべらないけど、みんなといる時間が大好きで、引退してからもうすぐ3週間が経つけど、会えなくて毎日すごく寂しいです。
卒研で毎日大学にいるし、都内で一人暮らしも開始するので、いつでも連絡ください。
自分から連絡するのは得意じゃないので、連絡ください。
4年間みんなとサッカーができて本当に良かった。ありがとう。



後輩たちへ
話しかけづらい先輩だったかもしれなかったけど、仲良くしてくれた人、本当にありがとう。
慰労会でみんなと話したときに、普段多く話さなくても、自分が意識していたことに気づいてくれていたり、みんなに伝えたかったことがちゃんと伝わっていたりして、すごく嬉しかった。一生懸命やっていれば、どこかで誰かが見て感じてくれていると改めて実感できた。
がむしゃらに、特に今年たくさん一緒に練習や試合をした選手には頑張ってほしい!
史上最高の上智、そして関東昇格へ、応援しています!!!



おだわら整骨院の方々へ
足首を、膝を、約4年間治療していただきありがとうございました。
大きな怪我が無くプレーできたこと、後悔なく大学サッカーを終えることができたのは、間違いなくおだわら整骨院の方々のおかげです。
ありがとうございました。今後ともお世話になります!!



16年間の学生サッカー人生の中で出会った、指導者、チームメイト、スタッフ、その他全ての人たち、本当にありがとうございました。





以上です。


次はゴリゴリ相手を抜いていくパワー系ドリブラー、アメリカから帰ってきて派手さが増した柏崎 友哉です!

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