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「俺.life」2年・宮崎祐樹

みなさんこんにちは。最近駄菓子屋巡りにハマっている、総合人間科学部社会学科2年の宮﨑祐樹です。

上智大学体育会サッカー部に入部して早くも1年が経ち、サッカーを始めて15年目のシーズンを迎えた。
水泳を1ヶ月でやめ、体操教室を1週間でやめた自分からしたら物凄いことである。



実は自分は親の転勤の都合で、日本全国津々浦々でサッカーをしてきた(サッカーをするためではないが)。サッカーを始めた場所は、鹿児島の幼稚園。この頃は週2回のサッカーがすごく楽しく、楽しすぎるあまり教室のガラスをサッカーボールで何回も割って怒られた記憶がある。

小学校は4年生まで千葉のクラブチームでプレーさせてもらった。運がいいことに上級生の試合に多く出場させてもらい、今プロでやっている選手と一緒にプレーすることができた。

5年生からは青森でサッカーをした。引っ越して1ヶ月後のトレセンの選考会では奇跡的にハットトリックを達成し、地区選抜に選ばれた。チームとしても好成績を残し、今年の高校サッカー選手権を賑わした青森山田の藤原優大のチーム相手にPK戦までもつれ込んだこともある(勝てなかったが)。

中学校は、サッカーが出来るならどこでもいいと思い、家から1時間半かかる国立中学を受験し、そこのサッカー部に入った。しかしそこの部活は中々に過疎っており、自分が3年生の時には部員が7人しかおらず、演劇部や囲碁将棋部から人を借りてリーグ戦に出場していた。欠席が出て7人にも満たない時には特例で相手チームから選手を借りたり、しまいには顧問が試合に出場したりすることもあった。当然そんなチームが試合に勝てるわけがなく、最大0-18で負けたこともあった。だからと言って楽しくなかったわけではないが、これでは自分は成長できないと思っていた。

そんな矢先、自分達が18点差で負けたチームに声をかけてもらい(トレセンで一緒だった人がいたこともあり)、中2の冬からそこのクラブチームに入った。そこはトレセンで一緒だった人がたくさんいて、自分より上手い人がゴロゴロいた。そんな中でもなんとか試合に出場させてもらい、フットサルでは東北準優勝まで行った。

そして北海道の高校を選び、雪の上でサッカーをした。元プロの監督や北海道選抜の選手がいて結果はあまり残せなかったが、非常に楽しい環境でサッカーができた。そして今に至る。

長々と自分のサッカー人生を羅列的に書いてみたが、明らかに他の人よりも濃いサッカー人生だった。だからと言ってサッカーが上手いわけではないが、この経験を生かすことはできると思う。


今現在自分はAチームに全く絡めていない。もちろん自分が上のカテゴリーに上がれない理由は分かっているし、上の選手が自分より数倍上手いのも認めている。そして今それを認めつつ、どこかで言い訳をつけて上に上がるハングリー精神を失っている自分がいる。高校が弱いから仕方ないなどと。それは今まで試合に出場できなかったことなどほとんどない順風満帆のサッカー人生だったからこそ、上智大学体育会サッカー部の競争で初めて「挫折」と言うものを味わったからかもしれない。

しかしそんなマインドでは、成長できるわけがない。では、何を変えればいいか。その答えは過去の経験と現在の違いを探せば見つかる。おそらく答えは、「サッカーを楽しめているか」どうかである。自分が上手くいってた時はサッカーを純粋に楽しめていた。しかし今は、「お前はプロか」というくらいサッカーをこなすだけになっており「楽しむこと」を忘れていた。そんなことはサッカーも望んでおらず、サッカーに対する冒涜かもしれない。大学に入ってまでサッカーをしているのに、サッカーを純粋に楽しめないのならそれはもうやめた方がいい。サッカーを7人対11人でやって楽しめていた自分が、大学サッカーを楽しめないわけがない。今自分は自分のサッカー人生史上、一番素晴らしい環境でプレーさせてもらえている。自分の人生を形成してくれた「サッカー」という素晴らしいスポーツに感謝して、残りの大学サッカー人生を思いっきり楽しむことをここに誓いたいと思う。

もし部員の中でサッカーを心の底から楽しめていない人がいたら、今からでも一緒に思いっきりサッカーを楽しみましょう!
自分の15年間のサッカー人生の旅に最後までついてきてくれてありがとうございました!

次回は、個人的にサッカー部イケメンランキング1位であり、我々ビデオ部門の編集長でもある三谷宗くんです!どんな旅に連れて行ってくれるのでしょうか?乞うご期待。

#上智大学 #サッカー #函館ラサール #部員ブログ

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