ノート#14

考察ノート 17+11

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考察ノート 17+11

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記事一覧

どれがゴールだ。どれを見つければおしまいなのだ。

ノート#14
10年前
1

わたしたちは、しばしば目的と手段を取り違える。あたかも手段が目的であるように錯覚してしまいがちだ。それは自分にとって本当に目的であるのか、一度立ち返ってみるのも必要だろう。

ノート#14
10年前
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猫の生死はいつ決まる

大好きな有名人にぐうぜん出会えたならどうしますか。声をかけ、握手をして、いつも活躍を楽しみにしていることを伝えて、サインももらわなくてはなりません、さらには趣味…

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10年前
2

わたしは『それ』と邂逅したからといって、それを全世界へ発信したり、会う人すべてに伝えようとは思わないだろう。これはただの好奇心による知的欲求でしかない。それから、それが万人にとって『真実である』と認められるときはおそらく来ない。来るべきではない。

ノート#14
10年前
1

器には容量がある。器に水を注ぎ続けたところで一定以上は溢れてしまうし、無理に石を詰めようとしたなら、その器は壊れてしまうだろう。

ノート#14
10年前
2

わたしはまだたいへんに不完全だ。もっと多くのことに興味を持ち、もっと多くの文書を読み、もっと多くの言葉を知り、もっと多くのことを考え、もっと多くのことをつなぎ合わせる力を養わなくてはならない。わたしはわたしの『勇気』を完成させたいのだ。

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10年前
1

接着剤なしに真理への足場を意図的に組み立て、怯むことなく手をのばす心を、『勇気』と呼ぶことにしよう。好奇心だけ、冒険心だけでは不十分だ。そして、接着剤なしにというよりかは、その行動自体が接着に他ならない。

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10年前
1

80%の選択

あなたの足をつく川底を真実と呼ぶのもよいし、あなたが砂を踏みしめ城をつくれる砂浜を真実と呼ぶのもよいだろう。その選択はあなたの自由に違いない。 ただ、海の底、深…

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10年前
1

たとえば、

その『真理』が生き終えても分からないことであるとするなら、その真理を知る過程、あるいは知ろうともがいた結果に一生を終えるほうがいくらか幸せである。 と考えるのは…

ノート#14
10年前

どれがゴールだ。どれを見つければおしまいなのだ。

わたしたちは、しばしば目的と手段を取り違える。あたかも手段が目的であるように錯覚してしまいがちだ。それは自分にとって本当に目的であるのか、一度立ち返ってみるのも必要だろう。

猫の生死はいつ決まる

猫の生死はいつ決まる

大好きな有名人にぐうぜん出会えたならどうしますか。声をかけ、握手をして、いつも活躍を楽しみにしていることを伝えて、サインももらわなくてはなりません、さらには趣味を聞いてみたりして、それから……。

ラブロマンスへの発展くらいまではたやすく想像できてしまうことと思います。

けれど、いざそのときが訪れたなら、緊張して固まってしまい、何も出来ずにいる可能性が高いでしょう。ぎょっとして物陰に隠れてしまう

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わたしは『それ』と邂逅したからといって、それを全世界へ発信したり、会う人すべてに伝えようとは思わないだろう。これはただの好奇心による知的欲求でしかない。それから、それが万人にとって『真実である』と認められるときはおそらく来ない。来るべきではない。

器には容量がある。器に水を注ぎ続けたところで一定以上は溢れてしまうし、無理に石を詰めようとしたなら、その器は壊れてしまうだろう。

わたしはまだたいへんに不完全だ。もっと多くのことに興味を持ち、もっと多くの文書を読み、もっと多くの言葉を知り、もっと多くのことを考え、もっと多くのことをつなぎ合わせる力を養わなくてはならない。わたしはわたしの『勇気』を完成させたいのだ。

接着剤なしに真理への足場を意図的に組み立て、怯むことなく手をのばす心を、『勇気』と呼ぶことにしよう。好奇心だけ、冒険心だけでは不十分だ。そして、接着剤なしにというよりかは、その行動自体が接着に他ならない。

80%の選択

80%の選択

あなたの足をつく川底を真実と呼ぶのもよいし、あなたが砂を踏みしめ城をつくれる砂浜を真実と呼ぶのもよいだろう。その選択はあなたの自由に違いない。

ただ、海の底、深海と名付けられた、光の届かない海面下 200 mのその先には何があるのか。足もつかなければ息も続かない、得体の知れないその奥に『何か』を見ようとするのもまた、誰かの自由に間違いないのだ。

そのために圧力に体を潰され目を失おうとも当然のこ

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たとえば、

その『真理』が生き終えても分からないことであるとするなら、その真理を知る過程、あるいは知ろうともがいた結果に一生を終えるほうがいくらか幸せである。

と考えるのは、まだ怖いもの知らずの好奇心による一時の気の迷いなのだろうか。その真理が、どれほど美しく残酷で救われようがないものであったとしても、もしくはその逆であったとしても。

ただ単に「おおきなもの」の一部であると気づかずに、やがて還る場所につい

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