村人たち〜第7章〜 脳内の自動再生をストップする。 うんぬんかんぬんの世界からの脱却。
村長であるわたしのアタマのなかで唱えている口癖のなかに『等々(などなど)』というこれまた独特なものがあるのだが、語尾にコレを付けるとそれまで考えていたこと・思っていたこと・感じていたことが一瞬で無効化・無害化・無毒化・無力化することに気が付いた。効果が一瞬だけのときもあるが、そのときは消えるまで繰り返しやる。考えていることの重さの程度や気分・体調などによりまちまちであるが一瞬でもひるませられたならこちらのものである。(謎の戦)
うんぬんかんぬんの『云々(うんぬん)』でも良いかと思うが、現代風?に等々(などなど)と言っている。
これをやると脳内の村人たち…主に二念さん三念さんたちネガティブ一派が怯む。
ひるむいうよりポカーンとするという方が近いかもしれない。ポカーンとして何を話していたのか忘れてくれることが多い。
とはいえ村長であるわたし(身体・心…本体)が村人たちに占拠されてるときにはもう効かないことが多いのであるが、二念を継いでいるなということに気付いたらその地点でこれをするとわたしの場合は効き目がある。
例えば『こんなこと思っちゃってるわたしってダメなのかもしれない』という二念さんが出てきたとする。まあ基本はニコニコと見ているだけの村長であるのだが…
これを放っておくと二念さんはそのまま喋り続け(それこそうんぬんかんぬん)
『ああ、だからわたしはダメなんだ、やっぱりわたしのせいなんだ…』などと勝手に結論付け絶望さんたちを呼び寄せる。そうなってくると苦しいゾーンの奥深くへと入り込んで潜っていってしまうので(まあ幻想だとわかっていればそういうゲームをしてもいいし自分を見つめ直したいだとか泣きたいときなんかは敢えて入っていくのもアリだと思う。あくまでも戻って来られる範囲でね。危険という表札が出てきたら必ず引き返すこと)、それを防ぎたいときに使う。
要は、二念さんの話の骨を折るのである。
『だからわたしはこうでああで…等々』
『だけどあれはああでこうで…云々』
のように。
最後まで聞かない。
言わせない。
もしかしたら云々だと『う〜ん…』と考え込んでしまうイメージがあるから『等々』を採用しているのかもしれない。ただ云々という言葉自体は好きだ。
文章にしてしまうとなんだかアヤシイ気もするのだけれど(え?いつも?まあまあそれはさておき)…
あくまで村内(思考・感情・感覚のなか)でやっている。
じぶんの村でやる分には自由だ。
だって、村長は『わたし』なのだから。
基本的には日々の様々ひっくるめて『ただある』だけでいいと思うけれども、念が沸いて出てきてそれがストレスになるようなときは実践してみるのもいいかもしれない。
冒頭でも話したがわたしの場合はもう口癖化してしまっているので(アタマの中だけで)、勝手に脳内再生されてしまっている。何も言わなくても『等々』と浮かんでくるくらいだ。
ということでどなたかの参考になったならとても嬉しい。
村人名鑑⑨出没日:9月下旬
『等々(などなど)さん』『云々(うんぬん)さん』(かんぬんさん)
最近の村長のアタマの中での口癖。
村長が二念を継ぎだしたときに出没する。
村で長話が繰り広げられているときにも使用される。
『…とかね』という村人もいる。
こちらの方がマイルド。話の骨を折るのに抵抗がある場合はこちらを使ってみることをオスメスする。
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