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すべてを「失敗ありき」で設計する——マシュー・サイド『失敗の科学』を読む

近年注目を浴びている「失敗ありき」のツールがもうひとつある。著名な心理学者ゲイリー・クラインが提唱した「事前検死(pre-mortem)」だ。これは「検死(post-mortem)」をもじった造語で、プロジェクトが終わったあとではなく、実施前に行う検証を指す。あらかじめプロジェクトが失敗した状態を想定し、「なぜうまくいかなかったのか?」をチームで事前検証していくのだ。失敗していないうちからすでに失敗を想定し学ぼうとする、まさに究極の「フェイルファスト」手法と言える。チームのメンバーは、プロジェクトに対して否定的だと受け止められることを恐れず、懸念事項をオープンに話し合うことができる。

マシュー・サイド『失敗の科学』ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2016. p.325.

本書『失敗の科学(原題:Black Box Thinking: The Surprising Truth About Success)』は、さまざまな「失敗」の事例について、詳細な事例内容と背景にあるメカニズムについて分析し、紹介している。なぜ10人に1人で起こる医療ミスの実態は改善されないのか?なぜ墜落したパイロットは警告を無視したのか?なぜ検察はDNA鑑定で無実でも有罪と言い張るのか?医療業界、航空業界、グローバル企業、プロスポーツチーム…あらゆる業界を横断し、失敗の構造を解き明かす書籍である。

ショッキングなデータがある。2005年のイギリス監査局の調査によると、医療過誤や設備の不備などによって、10人に1人の患者が死亡または健康被害を受けているという。これと比較して航空業界は奇跡的に安全度が高くなっている。2013年のIATA(国際航空運送協会)のデータでは、約240万フライトに1回しか事故は起きていない。航空業界にあって、医療業界にないものは何なのか?医療の複雑さ、資金や人手の不足などさまざまな要因があるが、最も大きなものは、組織文化そのものにかかわる潜在的な要因だという。

それは「失敗に対する向き合い方」だ。ベテランの医師ほど自分のミスを認めたがらない。それは「完璧でないことは無能に等しい」と考えるような文化だといえる。一方、航空業界では通常、パイロットは正直に、オープンな姿勢で自分のミスと向き合う。失敗は特定のパイロットを非難するきっかけにはならない。すべてのパイロット、すべての航空会社、すべての監督機関にとって失敗は貴重な学習のチャンスとなるのである。

失敗から常に学び最高のパフォーマンスを出すプロフェッショナルは、スポーツ選手が典型的だろう。世界最高レベルのフリーキックの技術を持っていたサッカー選手のデヴィッド・ベッカムのインタビューで、彼はこう答えている。「私のフリーキックというと、みんなゴールが決まったところばかりイメージするようです。でも私の頭には、数えきれないほどの失敗したシュートが浮かびます」。つまりカギは失敗を避けるのではなく、失敗と真っ直ぐに向き合い、自己正当化の罠からも逃れ、失敗から学ぶことである。

神経科学の研究では、タスク達成課題に関して、人は二つのマインドセットのグループに分かれることが知られている。「固定型マインドセット」と「成長型マインドセット」である。前者の人たちは、知性や才能はほぼ固定なものととらえている。一方、後者の人たちは、知性も才能も努力によって伸びると考える。固定型マインドセットの人たちは、困難なタスクに直面すると、自分の能力を過小評価し、失敗を自分の知性のせいにする傾向がある。一方、成長型マインドセットの人たちは、困難なタスクに対して最初のやる気を維持するか、取り組み方を改善しようとする。この違いは企業などの組織文化全体にも当てはまるという。固定型マインドセットの企業で働く社員は、ミスや非難を恐れており、社内でミスが報告されないことのほうが多いと感じていた。一方、成長型マインドセットの企業では、誠実で協力的な組織文化が浸透しており、ミスに対する反応もはるかに健全だった。

失敗から学ぶためには、失敗そのものに対する向き合い方を変え、「失敗をなくす」のではなく「失敗はそもそも起きるものであり、そこから何を学ぶか」というマインドセットや組織文化に変えていく必要がある。また失敗をおそれず、個人の責任におとしめることなく、組織やシステム全体で失敗から健全に学んでいく文化を育てていくことも重要である。そのための方法の一つが「失敗ありき」で設計することだ。

その具体的な手法として「事前検死(pre-mortem)」がある。この手法は、組織でプロジェクトをはじめるときに、その計画・設計段階で「失敗した場合を具体的に想定し、対処方法をみなで考える」というアプローチである。まずチームのリーダー(プロジェクト責任者とは別の人物)がメンバー全員に「プロジェクトが大失敗しました」と告げる。メンバーは次の数分間で、失敗の理由をできるだけ書き出す。その後、プロジェクトの責任者から順に、理由を一つずつ発表していく。それを理由がなくなるまで行うというものである。その他にも、本書では失敗から学ぶマインドセットや組織文化を育てるための具体的な対策がヒントが多く紹介されている。

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