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在宅ケアと「家ぐすり」——徳永進さんの『在宅ホスピスノート』より

何事か、は1週間以内に生じる、と予想した。だが、生じなかった。2週間後も3週間後も、何事も生じなかった。予想ははずれ、亡くなったのは6週間後だった。
なぜだろう、と考えた。なぜこんなに長く、家にいられたのだろう。懐かしい家という空間で、友だちと話す中で、いつもの米や味噌、醤油の味の中で、庭の木々や植物の中で、不思議な薬が産生されているのではないか、とさえ思えた。家は薬局、家ぐすりを産生する薬局。そう思わせることごと、ものものが家にはいろいろある、と思った。

徳永進『在宅ホスピスノート』講談社, 2015. p.74.

徳永進医師は、1948年、鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、2001年12月、鳥取市内に、ホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を開設。2002年に在宅ホスピスも始め、2013年からは診療所の活動の中心としてきた。1928年、『死の中の笑み』(ゆみる出版)で第4回講談社ノンフィクション賞受賞。1992年、第1回若月賞(地域医療に貢献した人に贈られる賞)受賞。数多くの著書がある作家としての顔をあわせ持つ。

徳永さんが20年以上取り組んできた在宅ホスピスケアについて、実際の患者さんや家族の話もまじえながら、なぜ在宅ホスピスケアなのか、やっぱり「家」がいいのはなぜか、どのように在宅ホスピスケアや「ひとり死」を地域で支えていくことができるのか、といったことが徳永さんらしい筆致で、ときにはユーモアたっぷりに書かれているのが本書『在宅ホスピスノート』である。

家では不思議なことがたくさん起きる。痛みや苦しさのあった末期の患者さんが、家に戻ると楽になったり痛みがおさまったりする。余命が数日と思われた患者さんが数週間も長生きする。病院と違って家にいると、新聞屋さんや豆腐屋さんの声など生活の音が聞こえてくる。家にいると、いつもと変わらぬ日常の中で、人は死を迎えられる。病院での死に比べると、家での死には何か豊かなものがある。それを徳永さんは、さまざまな言葉で表現している。

それは、生活の「ぬくもり」であったり、「よそよそしさからの決別」であったり、「家の神」といったものではないか。家には、無宗教と言っている家でさえ、「家の神」がいるように思える、と徳永さんは言う。家の中の家族の面々、家族の思い出や家の歴史、それらを知っている「家の神」。家の神は一神教の神と違って、八百万の神々、その家ごとの神。そうした「家の神」に守られつつ、家での死は、日常生活のぬくもりと、その人らしさが発揮できる環境に包まれている。そうした中で、家では「家ぐすり」も産生されているのではないか、と徳永さんは言う。「懐かしい家という空間で、友だちと話す中で、いつもの米や味噌、醤油の味の中で、庭の木々や植物の中で、不思議な薬が産生されている」と。だから、多くの患者は病院から家に帰ると、呼吸苦や痛みが軽くなったり、おさまったりする。

徳永さんの医師としての原点に写真家ユージン・スミスの「カントリー・ドクター」がある。スミスは、1954年にアフリカのランバレネでシュバイツァー博士を撮っているが、その6年前の1948年に、米国コロラド州のクレムリンでセリアーニというひとりの医者を撮っている。そのフォト・エッセイが『カントリー・ドクター』である。徳永さんは、人びとの中で悪戦苦闘する医者であらねばならない、そうありたいと、医学生の頃から思っていた。母によく「シュバイツァー博士のような人になりんさい」と言われていた。しかし、医者になってからの徳永さんは「セリアーニのようなカントリー・ドクター(田舎医者)になりたい」と思っていたそうだ。そのような思いが、学生のときはハンセン病患者支援運動に彼を立ち上がらせ、医師になってからも、在宅ホスピスケアをはじめとする困難な挑戦に向かわせたのだろう。そして、その徳永さんの数々の挑戦は、今大きく花開きつつあるのではないかと感じている。


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